a 第36日目     2008/11/07 (金) 

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 経路    民宿喜楽苦−44番・大宝寺−民宿和佐路

 歩き距離 43.2千歩 28.1km  地図上距離 26.6km  

 出発 7時  到着 15時半  雨曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    久万高原 民宿和佐路  泊まりのお遍路 2人


 

 7:00 雨。ポンチョを着て出発。
 7:10 梅津(うめづ)トンネル。国道379号の新しいトンネル。

 国道379号は拡張工事をしている。

 

 7:20 突合(つきあわせ)。標高130m。

 以前、2回とも、右に行ったが、今回は、左へ曲がる。ひわた峠へ。

 7:40 魔除(まよけ)地蔵お参り。
 8:20 薬師堂お参り。
 8:40 落合(おちあい)トンネル。
 8:50 落合トンネルを越えて、直ぐ、右折、県道42号へ。
 9:40 三島神社。

 右の道は、畑峠遍路道。以前、ここへ出ようとしてが、元へ戻ってしまって、果たせなかった。

 10:20 県道42号。大分寂しい道になってきたが、一人で行く。

 寂しい感じ、だが、不安はない。

 堂堂たる歩きだ。

 写真右 車道の終点。ひわた峠遍路道の道標。

 10:40 下坂場(しもさかば)峠。標高570m。

 

 10:50 県道際の旧遍路道。長さ20m位で終わり。標高520m。

 葛城(かつらき)神社。

 11:00 森田(もりた)の遍路道。ひわた峠への道。 標高530m。
 11:10 遍路休憩所。
 11:20 車道と歩き道の遍路道。
 11:40 歩き道の遍路道。
 11:50 だんじり岩

 弘法大師が、腹が減り、この岩でじたんだ(だんじり)踏んだそうだ。

 鴇田峠(ひわた峠) 標高790m。
 13:10 久万の集落の遍路道。標高480m。
 13:10 大宝寺山門。
 13:30 第44番大宝寺(たいほうじ)お参り。標高560m。
 14:10 大宝寺の裏山から河合(かわい)への遍路道。標高710m。
 14:50 河合の集落。標高560m。

 昔は旅籠が随分あって、賑わったらしい。岩屋寺打戻の宿場。

 遍路休憩所。

 15:00 住吉神社お参り。
 15:30 下畑野川(しもはたのかわ)の宿に入る。

 宿の玄関には、リュックが1つ。荷物を置いて、岩屋寺へ行ったらしい。

 5時過ぎ、暗くなってから帰ってきた。時々、一緒だった、福島の石塚さんだった。それにしても健脚だ。明日は雨になるので、行ってきたという。

 彼女とは、次の次の日、道後で別れた後、遂に会うことはなかった。

 

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b 第37日目     2008/11/08 (土) 

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 経路    民宿和佐路−45番・岩屋寺−民宿桃李庵

 歩き距離 39.1千歩 25.4km  地図上距離 22.5km

 出発 7時  到着 15時  雨  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    久万高原 民宿桃李庵  泊まりのお遍路 6人


 

 7:00 雨。ポンチョを着て歩く。今日1日、脱ぐことはなかった。

 福島の石塚さんは、ゆっくり立つといっていた。

 岩屋寺の遍路道は、山の道であるが、雨のため県道を行く。その代わり、山の紅葉は見られない。

 豊川の間瀬さんと会う。昨日、岩屋寺を打って、今日、三坂峠を越えるという。

 8:00  国民宿舎 古岩屋荘(ふるいわやそう)。

 豊川の間瀬さんも泊まった。チェックインの、午後4時まで、入れなかったらしい。

 県道12号の紅葉。

 古岩屋トンネル。

 

 8:40 岩屋寺への入り口。標高440m。

 きつい坂道。

 大きなミミズがたくさん出ていた。

 雨の山道で、よく見かける。土が水を含みすぎると、地上に出てくるのだそうだ。

 

 9:00 第45番岩屋寺(いわやじ)お参り。標高670m。
 岩屋寺の紅葉。

 どこかの遍路宿の親父が、欲しいことをした、山道を行けばよかったのに、といっていた。

 11:40 宿に置いていた、リュックを貰って、国道12号を行く。

 峠御堂(とのみどう)トンネル。標高590m。

 トンネルの左の坂道は、大宝寺から降りてくる遍路道。

 トンネルには、歩道なく、壁に張り付いて歩いた。

 12:30 久万(くま)で、昼食。

 国道33号に出たら、500mほど先を行く遍路が1人いた。追いつかない。若い人のようだ。

 風が出てきて、寒くなってきたので、セーターを着て、ポンチョを羽織る。

 三坂(みさか)峠への、登りがきつくなった所で追いついた。学生だった。今から三坂峠を越えるという。

 15:00  遍路地図にない、桃李庵(とうりあん)に泊まる。標高620m。

 ポンチョ、リュック、靴など、湿った物を、ストーブで乾かす。大きな、薪のストーブあり。朝までにすっかり乾いていた。

 宿の親父(私より、随分若いが)は、脱サラらしい。羨ましい限りだ。その日暮らしとは、いっていたが。

 左の写真をクリックすれば、大きな写真が見られる。

 福島の石塚さんと、また、一緒になる。

 東京の坂井姉妹と、一緒になる。妹は、英語の通訳をしているという。

 

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c 第38日目     2008/11/09 (日) 

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 経路    民宿桃李庵−番外・網掛石大師堂−46番・浄瑠璃寺−47番・八坂寺−別格9番・文殊院−番外・札始大師堂−48番・西林寺−49番・浄土寺−50番・繁多寺−51番・石手寺− 道後あい

 歩き距離 45.8千歩 29.8km  地図上距離 27.1km  

 出発 6時半  到着 16時  雨曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    道後 道後あい  泊まりのお遍路 1人


 

 6:30 ほぼ、同じ時間に出発したが、私は遅れる。
 7:20 国道33号から三坂(みさか)峠への遍路道。

 昔の久万(くま)街道。三坂峠。標高710m。

 8:10 国道を分かれると、 すぐに、長い下り。

 やがて、軽四輪の通れる道となるが、舗装されていて、急坂で、苦労する。滑るので、際の地面を選び、おっかなびっくりの下り。

 8:40 明治から大正に掛けての遍路宿 、坂本屋。

 正岡子規もここに遊び、句を残す。

 旅人のうたのぼりゆく若葉かな 子規

 遍路の墓。

 天保の年号が読める。

 9:10 相変わらず、急坂 が続く。

 あみかけ大師お参り。

 網かけ石。

 10:00 第46番浄瑠璃寺(じょうるりじ)お参り。標高85m。
 10:20 第47番八坂寺(やさかじ)お参り。標高95m。
 10:50 別格9番文殊院(もんじゅいん)お参り。標高60m。
 11:10 県道194号から 西林寺への遍路道。
 11:20 札始大師堂(ふだはじめたいしどう)お参り。
 11:40 四国八十八カ所番外大師堂(名前はないのかな?)お参り。
 12:20 第48番西林寺(さいりんじ)お参り。標高40m。
 13:20 第49番浄土寺(じょうどじ)お参り。標高50m。
 境内に句碑。

 お遍路や杖と大師とたのみつつ 森白象

 13:40 県道40号から繁多寺への遍路道。

 

 14:00 第50番繁多寺(はんたじ)お参り。標高80m。

 繁多寺に、辿り着いた時、福島の石塚さんと、東京の坂井姉妹と、一緒になる。

 繁多寺から次に向かう時、また、東京の坂井姉妹と一緒になる。逆打ちの人について歩いてしまい、戻ってきたのだそうだ。

 石手寺まで、一緒に歩いた。

 14:50 第51番石手寺(いしてじ)お参り。標高50m。
 石手寺境内の句碑。

 南無大師石手の寺よ稲の花  子規

 身の上や御鬮を引けば秋の風  子規

 鎌倉の昔を今に寺の鐘  前田伍健

 門を出る時、福島の石塚さんと一緒になる。

 15:40 子規記念博物館の広間で、お祭りを行っていた。

 石塚さんの宿まで、連れてってやる。私の方が、地図を読めるらしい。

 小さなホテルだった。観光ホテルと比べるまでもないが、小さいと寂しがっていた。私は、安い、夕食のない、相部屋の宿に泊まるんだといって別れた。

 坂井姉妹、石塚さんとは、これが最後だった。2,3日後、坂井姉妹は、1日前に行っているのを確認できたが、石塚さんは、会う遍路達に聞いても消息は判らなかった。

 伊予鉄道の電車。
 15:50 道後温泉駅前のからくり人形の時計台。
 道後温泉駅前の道後ハイカラ通り。

 今夜の宿は、この通りにあった。

 16:00 道後あい 今夜の宿。

 泊3000円。夕食無し。朝はセルフの朝食。風呂は道後温泉本館。部屋は相部屋。

 宣伝はしないそうだ。左の写真の裏に、大きい写真あり。クリックして。

 道後温泉本館で、坊ちゃん風呂に入り、松山名物の”鯛めし”を喰う。安くてうまかった。生ビールを飲む。

 相部屋だが、今日は1人のみ。管理人は夜は居ない。鍵は持っている。火の用心泥棒用心は、私の責任。もっとも、楽には、入って来られない。

 明日は、月曜日であることが気になる。松山で、1日遊び。

 

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d 第39日目     2008/11/10 (月) 

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 経路    道後あい−休日 松山市内−道後あい

 歩き距離 15.5千歩 10.1km  地図上距離 10km  

 出発 8時  到着 15時  曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    道後 道後あい  泊まりのお遍路 2人


 

 6:50 朝食。

 冷蔵庫から、お盆を出して、味噌汁に湯を注いだ。

 やり方、今日の予定など、メモがあった。

 玄関の鍵を掛けて、鍵は持って出かけた。

 8:00 道後温泉本館。
 8:20 道後温泉  椿(つばき)の湯。
 8:30 伊予鉄道の道後温泉駅。

 坊ちゃん列車。

 9:10  駅前の子規庵を訪ねていく時に見付けた。臨済宗興聖寺(こうしょうじ)お参り。

 第二代松山藩主の蒲生忠知(がもうただとも)公の菩提寺。

 赤穂浪士大石主税等10名は、松山藩江戸三田屋敷で、切腹した。松山藩士宮原頼安は、介錯した、木村岡右衛門、大高源五の供養塔をこの寺に建てた。

 大高源五は子葉と号し、辞世の句を残している。

 梅でのむべし茶屋も有べし死出の山  子葉

 

 柳原極堂句碑。

 こころざし富貴にあらず老の春  極堂

 9:20 子規堂 を訪ねた。写真撮影を忘れる。

 名月や寺の二階の瓦頭口(かとうぐち)  子規

 笹啼が初音になりし頃のこと  高浜虚子

 子規堂の小窓開けあり葉鶏頭  雄之

 右 子規髪塔

 左 鳴雪髪塔 前に晶子の歌碑。

 子規居士と鳴雪翁の居たまへる伊予の御寺の秋の夕暮  与謝野晶子

 内藤鳴雪(めいせつ)は、子規門ですが子規よりも20歳の年上である。

 子規堂の敷地に、坊ちゃん列車。
 10:00 松山の繁華街。
 11:00 松山城。

 城内の句碑。

 松山や秋より高き天守閣  子規

 松山城の建物、石垣。
 天守閣からの松山の町。
 城内の庭。
 13:00 電気で走っているらしい。
 14:00 郷土美術館。

 坂の上の雲ミュージアム。

 共に、休日。今日は月曜日。

 道後の子規記念博物館も休みでした。

 15:00 宿に帰る。

 洗濯して、天日に干す。明日から、また、歩きの毎日だ。

 夕方、若者1人、宿泊する。春日井市の豊田さん。

 相部屋の泊は、今回の遍路では、この日1日のみだった。

 

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e 第40日目     2008/11/11 (火) 

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 経路    道後あい−52番・太山寺−53番・円明寺−太田屋ビジネス旅館

 歩き距離 37.8千歩 24.6km  地図上距離 22km  

 出発 7時  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    北条 太田屋ビジネス旅館  泊まりのお遍路 3人


 

 7:00 相部屋の豊田さんは、すでに出発。

 書き置きがあった。

 玄関に鍵を掛け、鍵をポストに返して、出発。料金は、到着時精算済み。

 7:00 愛媛県護国神社お参り。
 9:00 大山寺 、一の門。

 山門。ここを過ぎて本堂まで、20分程かかった。

 種田山頭火の句碑。

 もりもりもりあがる雲へあゆむ  山頭火

 9:30 第52番大山寺(たいさんじ)お参り。標高75m。
 10:10 第53番円明寺(えんみょうじ)お参り。
 境内に、キリシタン灯籠。

 十字形の灯籠、マリアらしい観音像。

 12:30 北条の瀬戸内海。
 13:20 蓮福寺(れんぷくじ)大師堂お参り。

 句碑あり。

 志保ひ潟隣の国へつづきけり  子規

 釣鐘のうなる許に野分かな   漱石
 

 13:30 粟乃井(あわのい)。

 粟井坂の大師堂には、子規の句碑ありという。見たけど寄らなかった。

 涼しさや馬も海向く粟井坂   子規
 

 

 粟乃井の際の句碑と歌碑。

 粟の井やそこ夏の海よりの風  村上壺天子

 すめる世にまたも粟井の水ならばたち帰りきてかげうつさまじ  釈学信

 15:00 伊予北条。

 早坂暁(はやさかあきら)の故郷。

 「夢千代日記」や「きけ わだつみの声」などの北条市出身の作家。

 16:00 北条に泊まる。

 静岡の山村さんと一緒になる。大分、交通機関を利用しているらしい。明日も、JRを使うといっていた。78歳。未だ、働いている。

 以降、会うことはなかった。

 

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f 第41日目     2008/11/12 (水) 

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 経路    太田屋ビジネス旅館−番外・遍照院−54番・延命寺−別宮大山ずみ神社−55番・南光坊−笑福旅館

 歩き距離 43.6千歩 28.3km  地図上距離 28.7km  

 出発 7時  到着 14時半  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    今治 笑福旅館  泊まりのお遍路 3人


 

 7:00 北条の宿を立つ。
 7:10 県道179号、遍路道。

 国道196号に出て、遍路道に行くつもりが国道を行ってしまった。

 そんなことで、鎌大師(かまたいし)をお詣り出来ず。

 7:50 遍路道は旧道で、峠越え。標高80m。

 今治方面の海。

 9:00 山が海までせり出し、JR予讃線、国道196号がくっついている。

 菊間(きくま)中学校、菊間町のお接待処。

 みかん二個貰う。

 無事帰るの蛙焼き物を貰う。お礼をノートに書いた。

 坂井姉妹の、昨日の日付のお礼文あり。

 9:20 遍照院(へんじょういん)お参り。

 お寺のお婆さんから、お菓子の袋を頂く。接待です。

 10:00 太陽石油の精油所。理由は判りかねるが、懐かしい???
 10:40 JR予讃線の特急。
 11:20 大西の造船所。
 13:00 県道38号から延命寺へ。
 13:10 第54番延命寺(えんめいじ)お参り。

 仁王門 山門 本堂。

 13:30 延命寺からお墓の中行く遍路道。丘越えの道。

 南光坊側にも霊園があった。

 14:10 別宮大山ずみ神社お参り。
 14:20 第55番南光坊(なんこうぼう)お参り。

 立派な山門。去年、しまなみ海道の歩きで、この前の国道317号を歩いた。

 納経所で、納経帳に名前がない。盗まれたり、混ざった時困る、といわれ、”三河国 服部”と書いて貰った。

 長野の大原さんと一緒になる。今夜の宿が一緒。

 仙遊寺泊の人、2,3人が、道を急いでいたが、我らは、ここ泊。

 14:30 今治駅近くの遍路宿に入る。大原さんと一緒は、この宿だけだった。

 ここも、宿が廃業していた。

 

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g 第42日目     2008/11/13 (木) 

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 経路    笑福旅館−56番・泰山寺−番外・龍泉寺−57番・栄福寺−58番・仙遊寺−59番・国分寺−敷島旅館

 歩き距離 41.1千歩 26.7km  地図上距離 26.2km  

 出発 7時  到着 15時半  晴れ  すれ違ったお遍路さん 1人

 宿屋    三芳 敷島旅館  泊まりのお遍路 1人


 

 7:00 長野の大原さんと宿を出発。
 7:10 JR今治駅南口。

 しまなみ海道の歩きの時は、北口に降りた。

 今治の明徳学園高校。

 足が遅いので、大原さんには、先に行って貰う。瞬く間に、見えなくなった。

 7:40 第5 6番泰山寺(たいさんじ)お参り。標高20m。

 長野の大原さんが、遅れて入ってきた。行き過ぎてしまったという。

 8:00 泰山寺奥の院、龍泉寺(りゅうせんじ)お参り。
 8:10 栄福寺への、田んぼの 中の遍路道。
 8:20 遍路無縁墓地。
 8:40 栄福寺へは、あと少し。左へ遍路道。
 8:50 第57番栄福寺(えいふくじ)お参り。標高50m。
 9:20 山間の田んぼの遍路道を行くと、犬塚池。山道となる。
 9:40 山に入る。今治の来島大橋が見える。

 国分寺への分岐点辺りに、句碑。

 南無大師木の実に打たれありがたし  みのる

 10:00 第57番仙遊寺(せんゆうじ)お参り。標高281m。

 宿坊があり。遍路仲間には、ここ泊が多かった。

 10:30 五郎兵衛坂(ごろべえざか)。

 仙遊寺の太鼓がうるさいと文句を言いに来た、五郎兵衛が、ここで転んで死んだそうだ。

 12:30 第59番国分寺(こくぶんじ)お参り。

 伊予国分寺があったという。

 県道156号、国道196号を行く。

 14:00 今治湯ノ浦温泉。

 昔から、温泉があった地域でしたが、枯渇してしまった。昭和52年源泉開発したという。

 今日は、三芳の敷島旅館に泊まる。湯ノ浦を過ぎて、遍路道は右に入るが、国道196号を行く。

 法事で夕飯は出来ないが、それでも良かったら泊めるとのことでした。

 15:30 三芳(みよし)の敷島旅館到着。

 玄関は、鍵をしてなく、私宛のメモがあった。部屋の指定と、洗濯の場所が書いてあった。

 書類の整理、短歌投稿の準備などして、洗濯が終わった頃、おかみが帰る。

 自転車を借りて、夕食を食べに出たが、目指した喫茶店は、店じまいしていた。弁当など買って帰った。

 風呂に入り、夕食をとる。

 

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