a 第15日目     2008/10/17 (金) 

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 経路    民宿徳増−番外・御蔵洞−番外・観音窟−24番・最御崎寺−25番・津照寺−吉松旅館

 歩き距離 35.9千歩 23.3km  地図上距離 23km  

 出発 7時  到着 15時  曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    室津 吉松旅館  泊まりのお遍路 1人


 

 6:10 2008年10月17日6時9分 室戸岬の日の出。

 残念ながらの天気でした。

 7:30 食事して 、出発。

 波が高い。

 8:50  鹿岡鼻(かぶかばな)の夫婦岩(めおといわ)。

 室戸まで、あと、13km。

 9:00 室戸岬の風力発電の風車、無線塔が見え 始める。
 9:40 高知県海洋深層水研究所 。

 この辺りは、急深となる地形のため、水深300mの海水が近くで採取出来る。

 深層水の「低温性」、「豊栄養性」、「清浄性」と言う特性を生かした、水産分野、化学、工学、食品、医療の研究をしていると説明あり。

 11:00 青年大師像。台座部分をあわせると高さ21mの巨大な像。 皆さんの寄進で作ったという。

 室戸岬は、19歳の弘法大師が、悟りを開いたとされる地である。

 11:10 御蔵窟(みくろど)。弘法大師修行の場。
 11:20 室戸岬。
 11:30 中岡慎太郎像。坂本龍馬と共に、京都の近江屋で暗殺された。
 11:50 最御崎寺への遍路道。

 この遍路道を少し上がった所にある、観音窟。最御崎寺の奥の院。

 11:50 捻岩(ねじれいわ) 。

 大師が念仏を祈念して異変を収めたという。

 12:20 第24番最御崎寺(ほつみさきじ)お参り。標高165m。
 12:50 最御崎寺からの室戸の町と港。
 13:40 室戸岬港(津呂(つろ)港)。

 紀貫之朝臣泊舟之處の石碑。

 土佐から京に帰る時、天候待ちで10日程滞在したという。

 14:40 第25番津照寺(しんしょうじ)お参り。標高30m。
 15:00 室戸の室津(むろつ)港。

 1998年、台風が接近していて荒れていたが、黒鯛の子(ちんた )が、入れ食いだった。

 今日は穏やかな港。

 

 15:00 室津宿泊。

 遍路の我1人のみ。

 

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b 第16日目     2008/10/18 (土) 

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 経路    吉松旅館−26番・金剛頂寺−番外・弘法大師御霊跡−浜吉屋

 歩き距離 46千歩 29.9km  地図上距離 29.5km  

 出発 7時  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    唐浜 浜吉屋  泊まりのお遍路 8人


 

 7:00 宿出発。宿は、室戸市の中心部にあった。

 国道55号を行く。

 7:20 奈良師川に掛かる、平等津(ならし)橋。

 向こうの山は、金剛頂寺の山並み。

 7:50 金剛頂寺への遍路道。

 歩き遍路のほぼ唯一の道。迷うことなし。

 8:20 第26番金剛頂寺(こんごうちょうじ)お参り。標高165m。

 金剛頂寺は土佐西寺(にしでら)、最御崎寺は土佐東寺(ひがしでら)ともいわれている。

 越智雄二画伯、四国霊場の本尊の絵画が金剛頂寺に奉納され、本堂地下に一括展示されていた。

 国道55号に出る遍路道を行こうとしたら、自動車のおじさんに呼び止められ、道が違う、この道を行けと車道を示す。教えて貰った道を行くと答えて、お礼を言って別れた。

 実は、自動車道を教えられた。判っていたが、あまりにも熱心だったのでそのように返事した。歩き遍路道を降りた。

 自動車道は、5割以上距離が長い。

 

 9:50 吉良川(きらがわ)の町並。

 石垣塀や水切り瓦は、台風などの厳しい自然環境から家屋を守るためのもの。

 美しい伝統的建築をもつ吉良川の集落は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 13:00 羽根岬。

 羽根岬付近の歩き遍路道は、中山峠を越える山道であるが、車道の国道を行った。

 紀貫之歌碑。 土佐日記に、羽根岬の記述がある。

 まことにて名に聞く所羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな 紀貫之

 13:30 弘法大師御霊跡(こうぼうだいしごれいせき)お参り。

 奈半利(なはり)の町を通り、国道55号を行く。途中、遍路の川崎の堀江さん他と会う。

 15:00 唐浜(とうのはま)の宿に到着。神峰寺は明日お参り。
 

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c 第17日目     2008/10/19 (日) 

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 経路    浜吉屋−27番・神峰寺−住吉荘

 歩き距離 54.3千歩 35.3km  地図上距離 32.3km  

 出発 6時半  到着 16時  曇り後晴れ  すれ違ったお遍路さん 人

 宿屋    香南 住吉荘  泊まりのお遍路 1人


 

 6:20 神峰寺をお参りして、35kmの歩きがあるので、6時食事 。

 6時半、リュックサックは預けて、身軽で、往復8kmに出発。

 

 7:00 相当急な自動車道を上り、山道の遍路道へ。

 頂上に近づくと、歩き道は、急となり、車道と別れる山道が多い。

 7:40 第27番神峰寺(こうのみねじ)お参り。 標高430m。
 境内に句碑。

 お遍路に春告鳥の啼きそめぬ 旭洋

 10:40 伊尾木(いおき)の堤防上の遍路道。今回、新しく遍路道になっていた。堤防は昔からあったと思う。

  鉄道は、土佐くろしお鉄道ごめん・なほり線。

 14:40 安芸(あき)から夜須(やす)まで、海岸沿いの歩き遍路道に、遍路接待所。場所が特定出来ないが、安芸の西外れだったと思う。

 セルフのお茶をよばれた。 熱いお茶がうまかった。

 右の写真の椅子の上の荷物は、私の全財産。思えば、私の遍路姿の写真は、1枚もない。

 いや、1枚あった。

 88番大窪寺の手前の長尾の前山おへんろ交流サロンで、東京の学生、川崎君と一緒に1枚取った。送ってくれるといっていた。

 15:20 芸西(げいせい)村の琴ヶ浜(ことがはま)。
 琴ヶ浜に、お龍君枝姉妹像。坂本龍馬の妻お龍と、海援隊士菅野覚兵衛の妻君枝(起美)の姉妹の像 。

 お龍は京都の医師楢崎将作の長女であり、菅野覚兵衛(千屋寅之助)は芸西村和食(わじき)の庄屋の出で、その妻君枝は将作の三女である。すなわちお龍の実妹であった。

 お龍は龍馬を失ったあと、明治元年から一年余り、妹の嫁ぎ先千屋家に身を寄せた。

 この琴ヶ浜にお龍と君枝の像を建てて追善、併せて義兄弟の龍馬と覚兵衛の二人を記念したいという芸西村の人たちの温かい気持ちが実ってこの姉妹の像となった 、と説明あり。

 句碑。

 春潮の騒ぎて網を曳くところ 虚子

 歌碑。

 字が読めなかった。残念。

 16:00 54千歩、34kmの歩きだった。疲労感はない。歩きに慣れた。結構なことだ。

 宿は、香南市に入った所。我1人のみだった。

 

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d 第18日目     2008/10/20 (月) 

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 経路    住吉荘−28番・大日寺−29番・国分寺−30番・善楽寺−サンピア高知

 歩き距離 50.8千歩 33km  地図上距離 29.7km  

 出発 7時  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    高知 サンピア高知  泊まりのお遍路 3人


 

 7:00 泊1人だった 宿を出発。

 夜須(やす)まで、海岸沿いの遍路道。

 7:50 国道55号に入り、月見山の岸本神社。
 香我美(かがみ)の町に、詩人岡本彌太の生誕地の石碑。

 安政地震の碑。地震の有様を書き記し、地震に備えるよう警告している。

 10:10 第28番大日寺(だいにちじ)お参り。
 11:10 国分寺への歩き遍路道。
 11:40 土佐山田の松本大師堂。へんろ小屋になっている。

 際に、石碑。

 文政元年と読める。

 13:20 第29番国分寺(こくぶんじ) お参り。
 境内に句碑と歌碑。

 お遍路の静かに去っていく桜 年尾

 晴れてゆく早さに梅の匂い立つ ・・・

 国分寺の薬師如来は十年の・・・・・ いそ子

 時々、私の夢に現れるものに、急いで走る小川沿いの細い道がある。場所がどこか判らなかった。

 国分寺からの遍路道が、それだった。田んぼの中の用水用の小さな流れに沿ったあぜ道。以前、雨の中、急いで通った道だった。思い出した。

 夢に現れる、どこか判らない場所の1つが判明した。頭の中は、不思議な世界だ。

 15:10 第30番善楽寺(ぜんらくじ)お参り。
 高知市の税理士、石橋さんに会う。

 京都の人だが、四国に魅せられ夫婦で移り住んだという。善楽寺の近くに住んでいるらしい。ボランティアなどやっているという。

 困ったことがあったら、呼び出して、と、名刺をもらう。

 私は、年を取りすぎている。今更真似は出来ないと思う。それにしても、羨ましい限りだ。

 15:30 土佐一宮。土佐神社。

 宿まで、3kmほどだが、歩き出があった。少し疲れたかな?。明日は、休日。

 16:00 厚生年金サンピア高知に泊まる。2日連泊の予定。

 宿泊料が安くなるので、厚生年金を受けている証明書を見せろという。手帳の写しを出した。

 厚生年金を受けている証明書ではないという。

 その通りではあるが、年金手帳と、現在、70歳が証明できるのだから、受けていることは、疑いないではないかと、文句を言ってしまった。

 家を出る時、年金支払い通知が来ていることは承知していたが、探し出せなかった。

 そんなことで、つい、文句を言ってしまった。

 この遍路行で、唯一の文句となってしまった。と、自分で思っている(他にもあったかもしれないが。また、愚痴もなかったと 、勝手に自分で思っている)。

 宿泊料は安く、泊まった。安価な遍路コースがあった。

 

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e 第19日目     2008/10/21 (火) 

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 経路    サンピア高知−休日 高知市内−サンピア高知

 歩き距離 17.5千歩 11.4km  地図上距離 10km  

 出発 9時  到着 14時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    高知 サンピア高知  泊まりのお遍路 3人


 

 9:00 休日の1日。

 1日、数本のバスに乗って、市内に。

 高知市の市内見物。

  10:50 はりまや橋。江戸初期に、商人の播磨屋等が架けた橋が、名前の始まり。

 かんざし買った坊さんは、第31番竹林寺の坊さんで、橋の南詰東側にあった小間物屋の橘屋だったそうだ。

 11:50 JR高知駅前。整備中。
 12:50 高知城。
 山内一豊と妻。

 中国人の団体さんが、城見物。

 13:50 坂本龍馬誕生地。

 お城から少し、西に行った所にあった。

 土佐は、武士の身分差別がすごかったという。住む所も差別があったと思われる。

 パソコンの扱える、インターネットカフェを探したが見付けられなかった。

 バスで、宿へ戻る。昼間は、2時間に1本しかない。時間に合わせてバス停に行った。 

 15:00 宿に戻り、洗濯、風呂を済まし、短歌の推敲、整理。

 夕食に、生ビールを飲む。うまかったが、時々にしよう。

 石川のおばちゃん遍路と同宿となる。ひさしぶり。

 

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f 第20日目     2008/10/22 (水) 

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 経路    サンピア高知−31番・竹林寺−32番・禅師峰寺−33番・雪蹊寺−高知屋

 歩き距離 29.2千歩 19km  地図上距離 17.9km  

 出発 7時半  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    高知長浜 高知屋  泊まりのお遍路 9人


 

 7:30 宿出発。

 遍路道は、車道を外れる。竹林寺へ向かう。

 8:20 竹林寺のある、五台山。
 8:30 竹林寺への五台山へ登る遍路道。
 8:50 牧野植物園内の遍路道。

 遍路には、入場料はなし。

 8:50 第31番竹林寺(ちくりんじ)お参り。標高120m。

 本堂の写真を忘れた。

 境内の句碑。

 ほろほろと山吹散るか瀧の音 芭蕉

 

 (はらわた)汚れ濯(すす)かん苔清水 佐藤哲山

 花はらむ梢の痩や冬木立 似芳坊

 折々は枯るるも時の柳かな 松窓

 

 10:30 遍路道の県道247号沿いに、武市半平太の生家。
 11:40 第32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)お参り。標高82m。
 禅師峰寺の庭。
 禅師峰寺から、桂浜を望む。
 境内に歌碑。芭蕉の句碑もあるらしい。

 思い出を枝にのこしてはらはらと落つる木の葉よ秋をうらむな 晴海

 曇り無き心の空に照る月はいく世経るとも光輝やく 玉照

 12:00 同宿だった、石川のおばちゃんと一緒になる。

 お寺を降りて昼食にしよう、といって降りたが、はぐれてしまった。私の方が、遍路道を外れていた。夕方、また、同宿となったので、聞いてみると、昼食は、取り損ね、コンビニに入ったという。

 川崎の堀江さんとも一緒になったが、禅師峰寺に付いたら、一緒ではなくなっていた。

 今日は、種崎渡船で、渡らないで、手前で泊り、といっていた。

 15:00 種崎(たねざき)渡船場。県道の一部 なので、料金は取らない。

 浦戸(うらど)大橋。橋の右側が、桂浜。

 遍路道で、舟の道は、ここのみ。昔は、もっとあったという。舟は、歩くのと同じ扱いだったという。

 15:30 第33番雪蹊寺(せっけいじ)お参り。臨済宗。
 16:00 お寺の前の宿に。たたきのうまい宿、たたきを食べたくて、この宿に泊まる。

 また、石川のおばちゃんと同宿。

 道路が広くなり、宿は建て替っていた。

 

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g 第21日目     2008/10/23 (木) 

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 経路    高知屋−34番・種間寺−35番・清滝寺−白石屋旅館

 歩き距離 33.4千歩 21.7km  地図上距離 19.6km  

 出発 6時半  到着 14時半  雨のち曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    土佐高岡 白石屋旅館  泊まりのお遍路 5人


 

 6:30 雨の中、出発となった。

 朝食で一緒だった石川のおばちゃんとは、その後、全然、別で、青龍寺の手前で会うまで、一緒にならなかった。

 8:00 第34番種間寺(たねまじ)お参り。
 9:50 仁淀川(によどがわ)の仁淀川大橋、遍路道。

 仁淀川は、四万十川ほど有名ではないが、水を100%、無駄なく使っている。しかも、きれいな水。

 

 11:00 高岡の今日の宿にリュックを預け、清滝寺へ。

 途中、足の速い、滋賀の人他3人と会う。もう、清滝寺を打ってきたという。

 11:50 清滝寺への登り道。
 12:30 第35番清滝寺(きよたきじ)お参り。 標高130m。
 13:10 田んぼの中の遍路道。

 ナベツルの飛来地だそうだ。脅かすような動きはするなと、看板あり。

 14:30 宿に入る。

 出会った遍路の皆さんの顔と名前と、会った場所が、ごちゃごちゃになってきた。もし、間違っている部分があったとしても、許して下さい。

 

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