a 第8日目     2008/10/10 (金) 

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 経路    おんやど松本屋−番外・地蔵院−番外・弘法大師御杖の水−18番・恩山寺−19番・立江寺−立江寺宿坊

 歩き距離 37千歩 24.1km  地図上距離 22.9km  

 出発 7時半  到着 15時  曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    立江 立江寺宿坊  泊まりのお遍路 15人


 

 7:50 吉野川の支流、鮎喰(あくい)川の上鮎喰橋。

 地蔵峠の遍路道を行く。

 地蔵院前の池。

 上鮎喰橋から、この池まで、よく道を間違えた。遍路の案内が少ないこともあり、地元の人に聞いたが、あまり知らなかった。新興住宅地だった。

 8:20 地蔵院(じぞういん)お参り。標高30m。
 8:40 地蔵峠遍路道の石碑。山の道だ。余り整備されていない。

 自動車道は県道203号。

 送電線のヘリコプター巡回に出会った。
 9:20 地蔵峠。標高140m。

 宿で、この峠の道を詳しく教えて貰った。よく、眉山(びざん)の方向に行ってしまうらしい。

 このお地蔵さんの横を下へ降りた。

 12:20 国道55号の露ヶ本(つゆがもと)遍路休憩所。

 一服する。接待のみかんあり。ありがとう。

 10人位の外人さんのグループと一緒になる。外人さんもみかんを食べていた。私の言葉(もちろん、日本語)は、ほとんど、通じない。

 12:50 小松島の弘法大師の御杖の水(おつえのみず)。お参り。

 ここ、小松島は、NHK短歌によく採って貰って見える、短歌の上手な人の町だ。

 13:10 恩山寺の、直ぐ手前、義経上陸の地。

 屋島の奇襲のために四国に向かったが、上陸は、こことなった。数百人だったという。屋島では、数千人の平家を破ることになる。

 13:20 第18番恩山寺(おんざんじ)お参り。標高78m。
 立江寺に向かう、山の遍路道の弦巻坂(つるまきさか)。

 義経が、敵の有無を確認するために、弓の弦を鳴らしたという。

 2組の外人さんに、道を聞かれた。意味は分かったが、日本語の説明は、全然通じず。両手を挙げて、別れた。

 

 13:50 釈迦庵(弘法大師おむつき堂)お参り。
 釈迦庵から立江寺に向かう遍路道。
 14:40 第19番立江寺(たつえじ)お参り。
 15:00 立江寺宿坊に泊まる。

 昼の外人グループも一緒。食事は、外人さんとは別の机に作ってあった。お寺さんは、言葉の通じる人を用意してあった。

 

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b 第9日目     2008/10/11 (土) 

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 経路    立江寺宿坊−星の岩屋−民宿かえで

 歩き距離 28.9千歩 18.8km  地図上距離 17.4km  

 出発 8時  到着 14時  曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    勝浦 民宿かえで  泊まりのお遍路 4人


 

 8:00 立江寺の周辺の遍路道。
 9:00 胎蔵寺(たいぞうじ)、沼江(ぬえ)大師お参り。

 沼江大師は胎蔵寺境内にあったが、写真を撮り忘れた。

 10:30  勝浦川(かつうらがわ)。

 星の岩屋への遍路道。

 水没する橋。

 11:30 星の岩屋への遍路道。
 12:00 星の岩屋、星谷(しょうこく)寺お参り。標高250m。

 立江寺の奥の院。無人。

 その昔、人々に災禍をなしていた悪星を弘法大師が法力で岩屋に封じ込めたという伝説が残っている。

 立江寺に頼み込んで、学生が一夏過ごしたことがあるそうだ。

 私も、一月位泊まり込んでみたい気がした。

 星の岩屋の際に滝。

 下山途中で、登ってくる女遍路にあったが、同宿とはならず、その後、会うこともなかった。

 14:00 今日の宿は、短歌の雑誌が一杯ある、遍路宿。

 お婆さん一人でやっている。風呂の準備など出来てないので、手伝う。目が悪くなって、うまく動けないという。

 今日は、4人泊まるが、食事の用意は2人分しかできない。お客2人は遍路で、食事なしを納得しているという。

 

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c 第10日目     2008/10/12 (日) 

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 経路    民宿かえで−別格3番・慈眼寺−穴禅定−民宿かえで

 歩き距離 31.1千歩 20.2km  地図上距離 15.6km  

 出発 7時  到着 15時  曇り後晴れ  すれ違ったお遍路さん 13人

 宿屋    勝浦 民宿かえで  泊まりのお遍路 3人


 

 7:30  別格3番慈眼寺へ向かう。

 右 旧道。遍路道。

 8:00 旧道から山道への分岐点。標高150m。

 中川理髪屋から右へ。慈眼寺まで、表示もあり、歩きやすい山道だった。

 10:00 別格第3番慈眼寺(じげんじ)お参り。標高550m。

 納経所の建物は、本堂ではなかった。

 穴禅定(あなぜんじょう)を申し込む。腹の大きさを測った。狭い柱の間を通れなければ穴禅定は出来ないという。合格。

 一般の人は、1人3千円、3人集まれば、3千円という。しばらく待って若い2人連れを誘い込み、千円でOK。

 12:00 白衣を受け、15分程山を登ると、本堂と穴禅定の行場があった。標高650m。
 穴禅定

 鍾乳洞の細い隙間を通って、洞の奥の広間へ。全体が、修行場。洞窟は、約二億五千万年前にできた鍾乳洞という。

 ここでも、もう一度腹の大きさチェックを行う。腹が大きすぎると通れない。

 ローソク1本を持って、穴に入る。案内の先達のいうことを聞かないと通れない。お経を上げて、賽銭を上げて、修行してきた。

 そんな、約1時間だった。人が多いと、3時間を要すという。

 13:00 お寺を立って、同じ道を下る。

 途中、道を間違えて、県道の新坂本トンネルの向こうに出てしまった。

 14:00 トンネルの手前の果物を売っていた店に、道を聞く。

 丁寧に教えて貰い、接待の柿を貰う。

 しばらく、世間話をして、お礼を言って出発。

 15:00 宿到着。女将に、穴禅定を報告(報告しないと怒られそうな雰囲気あり 。時々、威張っている遍路宿の大将、女将がいる。いい人が多い。今回遍路行の第1号)。泊3人。1人、食事なし。先客の堀江さんが、風呂の用意をしてくれていた。

 夕食時、短歌の話を聞いた。

 結社水甕(みずがめ) 尾上紫舟(おのえさいしゅう)に属していた。年を取ったので、最近は止めたという。

 本人の歌集は見つからず、亡くなった息子の歌集を、1冊貰ってきた。

 作ってあった短歌を5首程、見て貰った。添削してくれたが、ほめては貰えなかった。

 この日、同宿の神奈川の堀江さんとは、この後、伊予の道後あたりまで、先になったり、後になったりして、大いに、お世話になった。その後の消息は不明。今年2回目、通算6回目の遍路とのこと。

 岡崎市の浄瑠璃寺(じょうるりじ)のことを知らせる約束をした。以前から気にしていたお寺とのこと。

 岡崎市の浄瑠璃寺は、義経の恋人、地元の長者の娘で、義経を訪ね行き、死んだという、浄瑠璃姫を祭ったお寺。多分、何かと勘違いと思うが、写真などを送る約束をした。

 12月下旬、資料、写真を送った。お礼の手紙が来た。

 

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d 第11日目     2008/10/13 (月) 

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 経路    民宿かえで−20番・鶴林寺−21番・太龍寺−龍山荘

 歩き距離 22千歩 14.4km  地図上距離 13.2km  

 出発 7時  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    加茂 龍山荘  泊まりのお遍路 24人


 

 7:00 勝浦の町。

 左の白い3階建てが、民宿かえで。元料理屋だった。やっていた息子が亡くなって、遍路宿になったらしい。

 7:10 鶴林寺への遍路道。初めての道。

 自動車道から、山道への分岐点。

 今も、主の遍路道は、民宿金子屋からの道という。

 7:40 30分登った所に、分岐点あり。ここで、道を間違えるそうだ。

 道は悪くないのに、主流の遍路道になれない理由の1つだ。

 一に焼山、二にお鶴、三に太龍、遍路泣く、と言われているが、鶴林寺はそうでもない。2時間で登れた。

 

 9:00 遍路道は仁王門の際に出る。
 9:10 第20番鶴林寺(かくりんじ)お参り。標高500m。

 太龍寺に向かう。標高50mの那賀川まで降り、520m登る。最後の登りが急斜面でつづら折り。

 13:00 仁王門に到着。ここはロープウェイがあるが使ったことはない。
 13:20 第21番太龍寺(たいりゅうじ)お参り。標高520m。
 遙か向こうに、鶴林寺。この枠の中にお堂が見える。標高が 、ほぼ同じ。

 長い遍路道を下る。

 車道だが、駐車場から太龍寺まで、1km以上歩かなければならないので、ロープウェイ使用が多いという。

 15:00 遍路宿2軒の内、1軒休みのため、混む。泊24人。携帯つながらず。携帯のつらがらない宿は、ここ1軒のみだった。

 洗濯、風呂が大変だった。

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e 第12日目     2008/10/14 (火) 

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 経路    龍山荘−22番・平等寺−23番・薬王寺−きよ美旅館

 歩き距離 48.1千歩 31.3km  地図上距離 28.6km  

 出発 7時  到着 16時  雨のち曇り  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    日和佐 きよ美旅館  泊まりのお遍路 2人


 

 7:00 宿を立ち、国道195号に出る。雨の歩きだ。終日雨だった。山道の遍路道で、大根峠標高200mを越える。今日は、距離が長く、また、雨で、写真 を撮らなかった。
 9:00 車道に出た。平等寺まで、1.5km。
 9:20 第22番平等寺(びょうどうじ)お参り。標高60m。
 月夜御水庵(つきよおみずあん)お参り(写真を忘れる)。 標高55m。

 月夜坂を越えて国道55号線との交差点に、2つの小さな御堂あり。それが鉦打(かねうち)坂薬師堂と鉦打大師堂でした。

 11:10 鉦打坂薬師堂、鉦打大師堂お参り。標高62m。
 

 

 13:00 国道55号の星越トンネルを越えた所で、昼食を取る。(遍路地図には、星越茶屋とあったが店の名は変わっていた)

 昼のランチ注文。寿司とうどんで、650円。寿司は本格的で、量もある。安くてびっくり。

 国道を歩くのみ。何んにもなし。 

 15:50 第23番薬王寺(やくおうじ)お参り。曹洞宗。
 薬王寺多宝塔。
 16:00 宿着。薬王寺宿坊は断られ、旅館に泊まる。遍路は2人。

 ここ、日和佐には、無料の善人宿があり、途中会った遍路の何人かそこへ泊まるといっていた。

 雨と汗で、びしょ濡れ。洗濯する。

 

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f 第13日目     2008/10/15 (水) 

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 経路    きよ美旅館−別格4番・鯖大師−生本旅館

 歩き距離 45.8千歩 29.8km  地図上距離 27.6km  

 出発 6時半  到着 15時  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    海部 生本旅館  泊まりのお遍路 2人


 

 6:30 宿出発。天気良し。
 6:50 薬王寺多宝塔。

 次の札所は室戸岬。76kmあり、途中、海部(かいふ)、尾崎泊、2泊の予定。

 7:00 JR日和佐(ひわさ)駅とJR牟岐(むぎ)線。
 8:00 国道55号の日和佐トンネル。
 11:00 牟岐の入り口に、山頭火の碑。昭和14年11月3日、ここ の長尾屋に泊まった。

 牟岐の町も、遍路道でなく、国道を行く。

 牟岐トンネルの手前の警察署前に遍路接待所あり。しばし休憩する。

 川崎の堀江さんと会う。

 12:10 牟岐内妻(うちづま)の海岸。
 13:00 別格4番鯖大師(さばだいし)お参り 。標高20m。
 13:30 浅川(あさかわ)の海岸。

 今日の浅川、内妻の海岸は、静かな海であるが、7,8mの津波が押し寄せる海なのだ。

 海抜何mの表示と、避難通路、避難カ所の表示が至る所にある。

 15:00 海部に泊まる。歩くつもりで歩けば、割りに楽に歩ける。

 6時に食事。7時には眠くなり、床に就く。

 明日は、「淀ヶ磯」四里。

 

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g 第14日目     2008/10/16 (木) 

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 経路    生本旅館−番外・佛海庵−民宿徳増

 歩き距離 52.7千歩 34.3km  地図上距離 31.9km  

 出発 6時半  到着 15時半  晴れ  すれ違ったお遍路さん  人

 宿屋    尾崎 民宿徳増  泊まりのお遍路 3人


 

 6:30 海部(かいふ)の旧道、遍路道。

 宿を立ち国道55号を行く。

 7:20 海部駅から甲浦(かんのうら)駅まで(8.5km)は、鉄道は阿佐海岸鉄道阿佐東線となる。

 鉄道は、国道55号と交差する、宍喰(ししくい)の手前。

 

 高知県に入る。甲浦。

 8:20 1998年7月30日、マメと暑さで歩けなくなり、休んでいたら、冷たい麦茶の接待をしてくれた喫茶店です。甲浦港の入り口に架かる橋の手前。

 ママさんとしばらく話をして、マメの治る気配がないので、鉄道の途切れる、この甲浦から、帰ることに決めた事を、鮮明に思い出した。

 店は閉めたまま。6年前も、使っていなかった。頭を下げて、出発。 

 8:40 甲浦。

 津波対策の構造物らしい。

 10:50 野根(のね)の先、伏越の鼻(ふしごえのはな)から入木(いりき)までの淀ヶ磯四里(よどがいそよんり)。
 12:00 法海上人の堂にて、昼食。誰とも会わず。

 お参りを忘れ、写真を忘れる。

 淀ヶ磯四里の続き。国道が出来るまでは、大変な難所だったという。

 山と海だけで、人家なく、「ゴロゴロ石と飛び石、跳ね石の中を進む四国第一の難所」と手記が残っているという。

 13:40 入木の佛海庵(ぶっかいあん)お参り。

 佛海さんは、江戸時代、遍路を助けてくれたお坊さんという。

 15:20 佐喜浜(さきはま)を過ぎ、夫婦岩が見え始めた。尾崎だ。

 疲れたのかな、ここから宿までの距離が長かった。

 3回目でもあり、多少景色など知っているので、頭の方が先行してしまうらしい。

 15:30 尾崎の宿に到着。明日の日の出が楽しみだ。

 今日の歩いた距離34.3km。

 

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