a 第1日目     2015/10/01 (木) 

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 経路    −自宅−名古屋駅−明石大橋−徳島駅−1番・霊山寺−2番・極楽寺−3番・金泉寺−泊 5番・地蔵寺近く 民宿森本屋−

 歩き距離 22.4千歩 13.4km  地図上距離 5km  

 出発 6時  到着 16時  雨 曇り


 

 遍路に出るに際し

     満願を五十八日目に延ばし喜寿の遍路の行程を決む  俊介

     体重の十キロ減が目的の遍路の心ひたぶるなるや  俊介


 9月初旬、出掛ける予定でしたが大腸検査が大幅に遅れてしまい、10月1日出発となってしまった。

 6:00出発 鉄道で舞子まで、高速バスで徳島へ。
 10:30 高速舞子駅。

 舞子を発ってすぐの明石大橋。

 12:00 徳島駅で昼食。
 
 13:30 鉄道で板東駅へ。

 霊山寺(りょうぜんじ)の門前通り。
 13:45 第1番霊山寺お参り。
 

 納経帳、杖、納め札を求める。

     霊山寺にて声掛けくるる遍路あり話弾みても宿は違えり
 14:30 第2番極楽寺お参り。

 今日の泊をお寺に聞く。

 板野駅前の旅館は年取り休業。3番近くの宿は満杯。結局、5番近くの宿に決めた。
 15:30 第3番金泉寺(こんせんじ)お参り。
 4番に向かう遍路道 田圃の畔と狭い山道。 
 昔からの遍路道が残る。

     四番の札所に向かうあぜ道は遍路ら踏みて固めし道よ
 第3番金泉寺の奥の院 愛染院お参り。

 第4番大日寺への遍路道を逸れて、第5番地蔵寺近くの宿に向かう。


 16:00 宿へ。
 

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b 第2日目     2015/10/02 (金) 

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 経路    −泊 5番・地蔵寺近く 民宿森本屋−4番・大日寺−番外・五百羅漢−5番・地蔵寺−6番・安楽寺−泊 安楽寺宿坊−

 歩き距離 22.3千歩 13.4km  地図上距離 11.3km

 出発 7時半  到着 15時  曇り


 

 7:30出発。4番大日寺への遍路道に戻る。
 7:45 4番大日寺への遍路道。
 戦争中、藍の栽培が禁止されたが、岩田ツヤ子さんは、藍種を取るため、密栽培した、という日本藍染文化協会の碑があった。

 大日寺まで、登りで歩きでがあった。ゆっくり登る。
 8:45 第4番大日寺お参り。標高75m。

 本堂、大師堂の撮影忘れた。

 下りもゆっくり歩く。
 10:00 地蔵寺の奥の院、五百羅漢お参り。
 五百羅漢 親父の顔を探し3回廻る。

     似た顔があるはずという五百羅漢三度廻れど父の顔無し
 10:30 第5番地蔵寺お参り。
 12:30 別格1番大山寺(たいさんじ)分岐点
 14:00 第5番安楽寺お参り。

 15:00 リュックの荷物の内、防寒着など2kgほど宅急便で家に送って、宿に。

 今日は、温泉のある安楽寺宿坊に泊まる。
 6畳間の部屋。今回の宿で相部屋は一度もなかった。相部屋にするほど客がないこと、大人数の食事の用意が出来ない、が理由のようです。

 私の、いつもの部屋模様です。

 荷物は杖を始め持ち物を一纏めに並べ置く。上着は衣紋掛けに掛けても、朝には畳の上に並べる。書き物、見る本は、必要の都度、出し、机に広げる。そんなことで、宿への忘れ物はなかった。

     背負っていたセーターなどを小包に出して足早峠越えの道
 安楽寺宿坊の夕食と朝食。

 夕食:18時、ホテル、大きな旅館を除いて遍路宿は18時だった。

 朝食:6時半。遍路宿は、5時半〜7時の間だった。
 

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c 第3日目     2015/10/03 (土) 

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 経路    −6番・安楽寺−泊 安楽寺宿坊−7番・十楽寺−8番・熊谷寺−9番・法輪寺−10番・切幡寺−泊 藤井寺への途中 八幡旅館−

 歩き距離 30.3千歩 18.2km  地図上距離 13.4km  

 出発 8時  到着 15時  晴れ


 

 8:00出発
 8:30 第7番十楽寺お参り。

 竜宮門と山門。

 このお寺も宿坊あり。
泊まったことあり。
 本堂と大師堂。

 熊谷寺(くまだにじ)への遍路道、間違える。

 みんなの通る遍路道は、歩きやすくて、早い道。自然とそうなるんだ。
それなのに間違える。
 10:30 第8番熊谷寺お参り。標高120m。

 仁王門と山門。
 本堂と大師堂。
 12:00 第9番法輪寺お参り。

 1998/05/01 法輪寺にての出来事。

 7時少し前、すでに、納経の受付待ちのお遍路さんが居た。もうすぐ受付できますよ、と声を掛けてくれた。 白装束の見とれてしまうようなきれいな女の人でした。
 急ぎお参りを済まし戻ると、どこにもいなかった。門の外にも見えずでした。 
 秋月(あきずき)城址。

 戦国末期に、長曽我部に責められ廃城。
 14:00 第10番切幡寺お参り。
標高150m。

 先回は登り口の店にリュックを預け登った。その店始め民宿もすべて戸締まり閑散としていた。

 15:00 宿へ。
 

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d 第4日目     2015/10/04 (日) 

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 経路    −泊 藤井寺への途中 八幡旅館−川島城址−11番・藤井寺−泊 11番・藤井寺近く 旅館吉野− 

 歩き距離 18.2千歩 10.9km  地図上距離 8.0km  

 出発 8時  到着 15時  晴れ


 

 8:00出発。今日は、吉野川の沈下橋、川島城址を尋ねる。
 9:00 吉野川左岸堤防から 大野島橋。
 9:40 吉野川右岸を見る 川島橋。 
 10:40 岩の鼻展望台から 吉野川。

 城址は公園になっている。
 川島神社お参り。
 川島城 中には入らず。

 ほんとに天守があったのかな。
 12:30 第11番藤井寺お参り。
       標高 40m。

 座り込んで、短歌の整理をした。約2時間かかった。
 15:00 宿へ。

 体力を気にして歩き距離を短くしたが、ゆっくり歩くことも難しく、早く着いてしまう。チェックイン時間を守る宿が増え、入れて貰えない場合があり、なかなか上手くいかない。

 今日の宿はOKでした。

 リュックを宅急便で明日の宿まで届けてくれるという。依頼することにした。荷渡しは明日の朝。

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e 第5日目     2015/10/05 (月)

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 経路    −泊 11番・藤井寺近く 旅館吉野−12番・焼山寺−泊 13番・大日寺への途中 すだち館−

 歩き距離 34.3千歩 20.6km  地図上距離 16.3km  

 出発 6時半  到着 17時  曇り


 

 6:30出発。

 飲み物の手配を忘れて、藤井寺でウロウロしていたら、水を呉れるというおじさんに巡り会った。水は1人分しかなかったので、遍路が1人になるのを待っていたようだ。

 2リットルのペットボトル 1本(よく捨てずに持って歩いて、すべて飲み干した。捨てなかったことが良かった。自分に感謝)。

 7:00 藤井寺本堂際に、焼山寺への遍路道登り口。登り始める。

 5分ほどで林道に出て、再び山道へ。

 7:10 端山休憩所 標高225m。
 7:40 休憩所。

 石碑が幾つか。へんろ道の碑が古いかな? 他に焼山寺参道と、表示の碑も。
 8:30 長戸庵(ちょうどあん) 標高440m。藤井寺から3.2km。
 10:00 柳水庵 標高500m。藤井寺から6.6km。

 柳水庵の直ぐ下の県道245号。すぐ、左の山道へ。
 10:40 1本杉への林道。

 標高585m 藤井寺から7.9km
 11:30 1本杉と浄蓮庵 標高745m 藤井寺から8.8km。大師像の石碑 健在。

 近くに軽自動車が上れる林道あり。逆打ちの遍路降り来る。

 挨拶する。大きな返答あり、久しぶりの人の声、うれしかった。。
   途中、標高400mの県道43号横断して、また、登る。1km、高さ300mの登り、2時間費やす。
 15:10 第12番焼山寺お参り。標高700m。

 宿坊は近々閉鎖だそうだ。

 人を泊める施設を法律通りにするには、お金が掛かりすぎるらしい。安全のための法律らしいが、何かおかしい。
 焼山寺境内。

 水2リットル飲み干す。自販機でペットボトル1本 160円。

 今夜の宿に電話。焼山寺に着いたら電話せよ、とのことでした。15時過ぎの電話の為か、ゆっくり降りてこいとのことでした。足が弱いと見られたらしい。

     納経帳に賜びたる朱印と筆の跡夕日に映えて我がしり叩く  俊介
 16:20 杖杉庵(じょうしんあん)と杉の大木。
 17:00 今日の宿 すだち館に到着。リュックが届いていた。

 宿 すだち館について
 ・廃校となった小学校を改造して民宿に。2008年には、なかった。
 ・私の部屋は教員住宅の1部屋。独身用の部屋もあり、7、8人は泊まれそう。夕食3人、朝食5人でした。
 ・風呂はなし。数キロ離れた温泉に送ってくれた。温泉は、入場券を貰ったように思う。
 ・年寄り2人で店も開いている。2食付きで4000円。初めての泊。
  
 夕食しながら、同宿のオランダ人と仲良くなる。片言の日本語なれど、意志は通じる。Elly (絵里)さん、64歳、夫を置いてのひとり遍路、3度目という。ホームページアドレスの交換をする。家へ帰ってから、「.nl」 のホームページ、確認できた。

 夕食は、ほとんど口に入らなかった。
 ほとんど日本語が理解できない同宿の韓国人の女性遍路から、これを貰う。

 17時過ぎ、電話あり。宿のおばあさんに代われと言われて、私が出た。

 韓国人の遍路、焼山寺にいるとのこと。1時間かかるが宿まで来い、と言う。片言の英語と日本語で話すが、ほとんど会話にならなかった。おばあさんに返した。おばあさん、日本語で一方的に喋り、電話を切った。

 朝食時、一緒だった。

 宿到着は20時過ぎと思われる。遍路は、こんなもんと思う。二人連れの韓国人、あっけらかんと元気でした。こうでなくちゃー、と思った。

 握手して別れた。次に会ったのは、次の大日寺で、ちらりと、1度だけ。道が異なっていたらしい。

 後日、「.kr」 のホームページを確認できた。

 

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f 第6日目     2015/10/06 (火) 

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 経路    −泊 13番・大日寺への途中 すだち館−13番・大日寺−泊 13番・大日寺近く 名西旅館− 

 歩き距離 35.4千歩 21.2km  地図上距離 17.4km  

 出発 7時  到着 16時半  晴れ


 

 7:00出発。

 今朝も、食事食べられない。焼山寺越えの疲れのようだ。食欲はあるのに、のどを通らない。
 7:30 玉が峰峠への遍路道に入る。標高240m。
 8:10 玉ヶ峰峠への登り口。標高300m。 写真の裏に大きな写真があるよ。 ellyさんと、北海道の床屋さん、名前を忘れました、ごめん。

 北海道の床屋さんは、テント持ち。大日寺まで、一緒した。足が合ったのだと思う。ellyさんとは神山休憩所、鮎喰川の○○橋で一緒になったが、その後合わなかった。別格の建治寺(こんじじ)へ向かったらしい。

     オランダ語に日本語混じるお遍路に遅れる足は元気を貰う  俊介

 2016年10月19日、エリーさんから「ごめん、後の祭り!」の返信がありました。
 9:00 玉ヶ峰峠。標高455m。

 ここから、ずーっと降り坂。
膝が気になり、ゆっくり下る。
 9:30 神山休憩所で一服。ellyさん、床屋さん、良く会う夫婦連れと一緒になる。

 地元のおばあさんから接待を受ける。細かい硬貨を5人に分けてくれた。
 
 12:10 植村旅館の横の橋を渡り、駒坂峠へ。標高120m。

 12:20 鮎喰川を沈下橋を渡って、左岸に。

 鮎喰川の渡り、駒坂峠は、全然記憶が無い。後日確認するも、このルートしか道はない。
 
 15:45 第13番大日寺お参り。

 女住職は元気とのこと。顔は確認出来なかった。

 16:30 宿へ。
 

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g 第7日目     2015/10/07 (水) 

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 経路    −泊 13番・大日寺近く 名西旅館−14番・常楽寺−15番・国分寺−16番・観音寺−府中(こう)駅−自宅−

 歩き距離 17.1千歩 10.3km  地図上距離 5.9km  

 出発 8時半  到着 20時  晴れ


 

 8:30出発。

 夕食、朝食とも、口を通らない。ビールも駄目だった。食欲はあるので、好みの甘い物のつまみ食いは続いている。

 眠りは十分。19時過ぎれば眠くなり、5時過ぎまで眠られる。

 でも、無理は禁物。まだ、歩けるが、2日食事出来ず。今日は家に戻ることにした。
 9:00 第14番常楽寺お参り。

 岩の上に立つお寺。
 10:00 岩船地蔵尊お参り。
 10:10 第15番国分寺お参り。
 11:30 第16番観音寺お参り。
 12:15 府中(こう)駅

 徳島に戻る。
 20:00 帰宅。

 11月14日まで7日間、自宅休養。飯は喉を通るようになり、体重減が止まる。
 

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