18 島原 壬生寺 新撰組 二条城 町家写真館 2000/12/23
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京都大宮通り元誓願寺下ルの町屋写真館で、中村光江氏の能面展があり、出かけた。上天気の日曜日。 いつも通りの新幹線米原乗り換え東海道線で京都へ。約束は13時のため、少し歩くことにした。 丹波口の駅を降り、高架沿いに南に下る。島原西門跡に石碑あり。小さなお宮があった。お参りする。 |
なお、少し行くと、揚屋(あげや)の角屋がある。春まで休みとの説明文が張り付けてあった。東に少し歩くと島原大門、柳の木があった。東京の吉原にも、大門と柳があった。 |
北に向かい歩く。壬生寺をお参り。重要文化財の大念仏堂があるが、その周りを囲む、土塀も重文に指定されているようだ。初めて知る。大念仏堂では、4月に壬生狂言の催しがある。1度来たことがある。 壬生寺のすぐ北に、新撰組発祥の屯所跡があった。新撰組に詳しいボランティアさんがお話をしてくれた。実際に生活していた家だそうです。誰々がこの部屋で寝ていて、襲われて殺された、などの説明があった。 |
帰りに、出口のお菓子屋さんで抹茶を頂く。このお菓子屋さんの家だったそうです。観覧料が少し高かったのは、お茶代込みのためでした。 しばらく前から、抜いたり、抜かれたりしていた若い3人組の娘さんと仲良くなり、一緒にお茶をいただいた。私が朝早く出て、新幹線米原で乗り換え、東海道線で来た話をしたら、彼女たちは愛知県の岡崎を5時頃の1番電車で出て、乗り継いで来たとのこと。見るところ、行くところも、泊まるところも決まっているようだった。ここで別れた。 |
日本近代医学発祥の地の石碑を見て、なお、北上する。 熊谷蓮生坊守護本尊の表示のあるお寺さんがあった。大宮通の2条と3条の間だった。又行ってみよう。近くに、重要文化財の2条陣屋あり。 神泉苑は、謡曲に良く出てくる。謡曲「鷺」はここでのお話である。良く泉が湧いていたようだ。御池、御池通りなどあり、この辺は湿地帯だったと思われる。 |
二条城。修学旅行以来の入場。二の丸御殿を拝見。ウグイス張りの廊下。徳川幕府の京都本店だった。本丸は工事中で入れなかった。 二条城を出て、なお、大宮通を北上する。大宮通と言っても、乗用車の行き違いも大変な狭い道である。 約束の少し前、町屋写真館に着く。大阪の中山先生が来ていた。奈良の永谷先生もすでに来ているとのこと。私の師匠の三島先生が、来ていない由。先生方は、みんなお医者さんで、私だけ、ただのサラリーマン。 町屋に入り、記帳して、お面を拝見する。「淀君」のお面有り。大阪で新作能で使った由。賞を貰ったお面とのこと。30点の展示があった。お面の表情が、今風な感じのするお面が多かったように思った。 師匠到着。もう一度、はじめから見直す。30点をしっかり見て行くと時間がかかる。多少、混み気味で4人でまとまると窮屈。 江戸時代の町屋だそうです。道路面は3間くらいであるが、奥行きが深い。土間が奧まで続いている。小さい坪庭あり。2階に2間あった。急な狭い階段を昇った。 絵はがきを買う。 三条で、遅い昼食をして、コーヒーを飲んで、京都駅へ出て、解散。久しぶりにお面をゆっくり見ることが出来た。
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