42 鎌倉古道 等正寺 小関峠 渋谷街道 清閑寺 清水寺 滋賀

18 km   2003/09/07

鎌倉街道へ 


 

 最後の鎌倉街道をJR大津駅から歩く。逢阪峠を越え、粟田口へのルート、逢坂峠を越え、汁谷(しるたに)口のルートの2つの入り口があった。

 今回は、逢阪峠(大関)の裏街道、小関(こぜき)峠越えをして、汁谷口への渋谷(しるたに、しぶたに)街道(又は、苦州滅道)で六波羅へのつもりで出かけたが、清閑寺から、歌の中山を通り、清水寺に出た。ご開帳の観音さんを見ようと気が変わり寄り道してしまった。

 大津駅から旧東海道に出て、札の辻を真っ直ぐに西に行く。昔からの狭い道を暫く行くと、古い道標があった。1つは、”蓮如上人旧跡等正寺、堅田の源兵衛の首”。もう1つは、”小関峠、右三井寺”の2つの石碑が並んで、窮屈そうに立っていた。
 等正寺お参り。吉崎御下向蓮如上人お立ち寄りの旧跡。今でも毎年、蓮如の命日旧暦3月25日頃、吉崎まで、片道6,7泊して、御影の輿が往復する。その時、ここも泊まり所になっている。堅田源兵衛のしゃれこうべも安置され、蓮如奇瑞の”源兵衛の段”を詳しく描いた”蓮如上人絵伝”があるようだ。
 この寺を過ぎ人家もなくなると、今は、舗装された車道を登る。たまに車が通るが、静かな山道だ。30分も経たずに峠に到着。
 地蔵堂がある。地元の人達が建てたようだ。板に墨で書いた歌があった。

 「あら草の中に放置されし地蔵尊 うやまい祭らるここ喜一堂」

 「夏空に風の織りしく峠道 緑(あお)葉がくれに鎮もるみ堂に」

 「念じ入る心通じしかたぎつ水 あふれ出でけりみ堂の前に」    梶谷花子

 琵琶湖疎水がこの峠の道に沿って、道の下をトンネルで通っている。峠から、細い山道がある。旧道のようだ。これを下る。高架の湖西へのバイパス道路に突き当たる。山科側の疎水を見た。大量の水が流れていた。

 小関峠は、歩く人が多く人気があるようだ。、20人近くの人とすれ違ったが、山科から登る人が多かった。

 旧東海道に、小関越えの道標が会ったので、捜したが見つけられなかった。後で、地図を見たら少し西に出たようだ。

 山科駅まで、旧東海道を行き、少し南下して、渋谷古道らしい道を見付け西に向かう。見事的中して、地図の通りの曲がった道を通り坂を登り、1号線に出た。

 名神高速が出来たので、ここの1号線を通り京都の町に入った事がない。トンネルに歩道があるだろうとは思ったが、歩行者用のトンネルがあり安心。四国遍路では、トンネルの壁に張り付いて歩いた道が幾つかあった。

 花山洞と名が付いていた。

 トンネルを越え、少し山に登ると清閑寺。六条、高倉天皇陵お参り。
 清閑寺お参り。謡曲「小督」の謡蹟である。”歌の中山”は、清閑寺から清水寺に続く古い道の事を言うそうだ。鎌倉古道の渋谷古道は諦め、歌の中山を行く事にした。突き当たりは、清水寺の南。この先は、清水寺の境内。

 「緑濃き「歌の中山」歩み行けば「子安の塔」が漸くに見ゆ」

 

 子安の塔を通り、音羽の滝。今日は、お金を払って、皆さんが列を作って、音羽の滝の水を掬っていたが、意味は判らず仕舞い。
 本堂の舞台を支える柱群をまじまじと眺めた。柱が林立して、水平に桁があり、その繋ぎには、楔が入っていた。免震構造だ。
 奥の院の観音さんをお参りした。小さな千手観音の仏さんだった。
 田村堂に、ここ20年位無かった「田村堂」の名札を掲げてあった。どうして復活したか聞き損なった。
 5条の1号線に出て、五条橋を渡る。鴨川を渡り、枳殻邸の東を下り、いつものラーメン屋に寄り、遅い昼食を取り、京都駅へ向かった。

 2001年6月17日、鎌倉から歩き始め、2年3ヶ月で、ようやく鎌倉街道を歩ききった。東海道、中山道に比べ、山寄りで、高台の道が多かった。河川の水を避けた道だった。

 

本日歩いた概要図

 

 

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