8 関寺 近松別院 等正寺 小関越え 15km 1997/11/30 5 滋賀 関寺 近松別院 等正寺 小関越え 祥瑞寺 光徳寺 本福寺 1997/11/30 作成 2003/08/01
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謡曲「関寺小町」は、年老いても小町が優雅で上品なことを素直に描いた曲ですが、その関寺がどこか不明であったが、大津市に問い合わせたところ、現在の長安寺(ちょうあんじ)が、関寺であると聞いて、訪ねることにした。 |
JR逢坂トンネル入り口近くにあった。時宗のお寺さんでした。昔、関寺復興の時、工事を助けるために現れた霊牛を供養する塔のみが残っていた。牛塔と言い、鎌倉時代の宝塔。また、比叡山焼き討ちで埋もれていた地蔵さんが、掘り出され、100体程あった。
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長安寺の北、日赤の前に、近松別院があった。蓮如上人近松御旧跡の石碑があった。比叡山に追われ、三井寺に助けられ、三井寺境内の近松に、金森へ行ったりした祖像(親鸞の木像)を安置した。漸く安住の地を得た地である。 |
小関(こぜき)町の狭い峠に行く道に、「小関越え、右三井寺」の古い道標があった。少し登ると、蓮如上人御旧跡のある等正寺お参り。 |
峠には、峠の地蔵さんがあり、保存会の案内板があった。 |
山科へ降り、東海道本線に沿って東海道へ。琵琶湖疎水のトンネルが、この小関峠を通っている。 |
JR山科から堅田へ。一休和尚の祥瑞
寺お参り。京も、和尚さんが居なくて、和尚
(華叟禅師(かそう))の頂相(ちんぞう 肖像画)は拝見できなかった。
芭蕉の句碑あり。 堅田祥瑞寺にて 「朝茶飲む 僧静なり 菊の花」 芭蕉 |
隣の光徳寺も浄土真宗の寺で、堅田源兵衛付父子殉教之像が立てられている。
お参り。
御真影を受け取りに、三井寺に行ったが、「人間の生首二つ持って来い」と言われ、蓮如上人は困惑した。当時光徳寺の門徒衆に篤信の源右衛門・源兵衛という漁夫の父子がいた。この難題に 、この親子は、日ごろのご恩に報いたいと、首を差し出す決意をし、父は、息子源兵衛の首を持ち三井寺へ行き、「もう一つ首が足らない」と 詰め寄られると、「もとより覚悟のうえ自分の首を取ってくれ」と言った。三井寺はこの親子の殉教心に感じ入り、御真影と源兵衛の首を返した。その後、父源右衛門は、諸国巡礼の旅の末、備後国(広島県)で没したと 言う。 源兵衛の墓にも、いつも花が絶えない。 |
本福寺お参り。蓮如が比叡山に虐められ、逃げ込んだ所。応仁の乱の時は、ここに祖像を移しているが、比叡山に攻められた。世に言う「堅田大責め」である。大敗し、沖の島に逃れる。近松御坊成り祖像を移し、蓮如は加賀吉崎に行く。 |
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