終わりに 第1番霊山寺から 第88番大窪寺まで 期間 2015/10/01〜2015/11/21 歩いた距離 686km
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今回は、焼山寺越えの疲れで、食事が食べられなくなってしまい家に戻り、1週間休みを取り、続きを再開した。また、すっかり交通機関のお世話になってしまったが、八十八ヶ寺へは、自分の足で納経してきた。
・歩いた日数 45日 延べ日数 52日
・1日歩き距離 15.2km 1日最長距離 25.1km 1日最短距離 4.6km 1日費用 9700円
1 5回目の遍路を決めた
・結願の寺の庭で日向ぼっこしながら、3年後、傘寿の年に、出かけようと心に決めた。
・交通機関はたっぷり使うが、自分の足で門を入り、納経してこようと思う。
・それでも、お寺は、山の上にあるので、随分の距離を歩かなければ。岩屋寺が大変かも。
・何とか歩ける体力を維持して、お金を貯めて、もう少しゆっくり余裕を持って歩いてみたい。
・スタンプラリーは脱出したと思う。お寺滞在時間、平均30分くらいでした。
2 反省したこと
・愚痴、文句を言わない。自慢をしない。少なくとも、口に出さない、は何とか守れたかな。態度には、出てしまったかも。
・歩き20km/日が、15km/日しか歩けなかった。
・讃岐、土佐は、案外、歩いたが、伊予、讃岐は、すっかり交通機関の世話になってしまった。
・山の上の札所の内、雲辺寺はロープウェーで往復、八栗寺はケーブルカー往復、三角寺はタクシーで下った。
焼山寺、鶴林寺、太龍寺、神峯寺、清瀧寺、青龍寺、岩屋寺、仙遊寺、横峰寺、白峯寺、根香寺、屋島寺は、麓から往復歩いた。
・52番太山寺の高浜からの峠越えルート、始めて歩くことができた。
・泊処は約半数が、新しいところだった。宿坊では、安楽寺、仙遊寺が初めてだった。やはり、馴染みを選んだようだ。
・相部屋は1度もなかった。馴染みの、好みの泊処の廃業がたくさんあった。
3 四国遍路を歩いて思ったこと。
・写真に人の写りが少なかったこと。ちょっと、町を外れると、人の気配がなくなる。寂しいが、より、悲しくなる。
・高速道始め道路が良くなっていても人が少ないこと。津波対策は昔のまんま、目に触れる警告案内看板は増えた。
・売り地売り物件の多いこと。店屋が減ったこと。
・年取って廃業の遍路宿の多いこと。チェックイン時間を守る宿が増えたこと。
・傍若無人な団体の遍路が多いこと。これは昔からかな?集団の性質は少しも変わらない、怖いことだ。
・挨拶の帰ってこない人が増えたこと。年寄りばかりとなり耳が遠い人が増えたかも。
・外国人の遍路が増えたこと。
・自分の体力の落ちたこと。
などを見て、
我日本国の将来の心配事が増えたと感じた。
誰かの命令ではなく、個々の人々の個々の意思で、人口の減らない国になれなければと思いました。
資本主義、共産主義、一神教の時代は終わりかけ、と思った。
強い国でなくて良いので、日本国がリード出来ることがあるような気がする。
逆に、絶対、強い国になってはいけない、人口が減る国が成れるわけがない。
2015.11.21 <とり>
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