第29日目     2002/11/26 (火) 

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 経路    国宿土佐 清瀧寺 種間寺 雪渓寺 高知屋

 歩き距離 53千歩 37.1km  地図上距離 30.8km

 出発 7時半  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん 10人

 宿屋    高知屋  泊まりのお遍路 2人


 

 自動車道を下る。まだ、波が高い。

 宇佐の町で、塚地峠越えの遍路道を確認。遍路札で直ぐに判った。

 今日は塚地トンネルを行く。高岡町に入り、遍路地図の点々道を行く。学校の手前を左に曲がり、三嶋神社の横を抜け、田んぼに出る。高速道路が出来て様子が変わっているが、東谷の参道に行き着けた。

 石仏が沢山ある参道だ。
 11時、35番清瀧寺お参り。

 高岡の町まで、車道を通り、国道56号に出る。食事処を見つけ、昼食を取る。

 仁淀川を渡って右折する所で道が無く慌てた。よく見ると、国道の下を通り、川に沿う道があった。よく見れば、遍路札もあった。

 遍路地図も、右折れがはっきり表現されて居るので、地図を良く読む事。

 遍路道を行く。
 14時半、34番種間寺お参り。

 春野町の高知市境に近い唐戸で、道を間違え、1kmほど行き過ぎた。保育園の前の細い道を右折せず、広い道を直進してしまった。よく見れば遍路案内もあった。

 注意不足。遍路地図だけだと、ちょっと判りにくい。注意不足はかわいそうかもしれない。

 唐戸は、人が切り開いた運河のある所。後、この運河沿いに行けば、雪渓寺である。
 16時、33番雪渓寺お参り。先回、台風がひどくなりそうなので、ここで打ち切り、高知駅へ向かった。列車の切符が買えたので喜んだが、運行中止となりがっかり。仕事に間に合わなくなる、どうしよう。うろうろしているといろいろ目にはいる、バスの窓口で聞くと、夜行バスは動くとの事で、漸く帰る事が出来た。
 境内に、太玄塔(雪渓寺再興の和尚さん)、土居楠五郎墓碑(坂本龍馬の師匠)、石仏墓碑の一塊があった。
 

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第30日目     2002/11/27 (水) 

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 経路    高知屋 禅師峯寺 竹林寺 高野寺 安楽寺 Hタウン駅前

 歩き距離 37千歩 25.9km  地図上距離 21km

 出発 7時  到着 15時半  晴れ  すれ違ったお遍路さん 7人

 宿屋    Hタウン駅前  泊まりのお遍路  人


 

 渡船に乗るべく渡船場へ。これも初めて。7時半に到着。 ストがあると昨夜聞いていたので、今朝早く出た。待合い所にストの表示があった。時間区切りストで、私の歩きには支障なしだった。

 通勤通学の人が多かった。渡船料は無料。市の船だった。先回、渡った浦戸大橋を見上げながら、対岸に着いた。

 覚えのある旧道の遍路道を行く。

 禅師峯寺の登り口が判りにくかった。聞く人も居なかったので、車の参道から遍路道は別れていたのを思い出し、左への車道を曲がる。50m位行くと、山道の遍路道があり 遍路札があった。車道の左折箇所の遍路札は気が付かなかった。

 左の山の上がお寺さんのため、大きく間違える事はないが、地元の人に聞いた方がよい、と思った。

 9時半、32番禅師峯寺お参り。
 境内の岩の露出している所に、石仏がまとまってあった。時間が経つと面倒を見る人が無くなるのだ。少し寂しい気がするが、逆に、自然のままで良いとも思う。

 歩き道を降り、細い道を通り、北側の道を目指す。順回りの場合は、目の前に、山道の遍路道登り口があり、迷う事はない。

 道路に出る手前で、野村さんのお宅から、声を掛けられ、接待のお茶をいただく。玄関先で、例の世間話。自分たちも、禅師峯寺の住職が先達となって、今まで毎年お遍路していたが、今年は行けなかった、と言って見えた。

 トンネルを越え、吹井へ。

 10時半過ぎ、武市半平太の旧宅。 家の前まで行ってみた。お墓もあるようだ。

 下田川の左岸を下り、五台小学校へ出た。これから、山の遍路道に掛かる。遍路札もあり、迷うこともない。

 11時半過ぎ、33番竹林寺お参り。

 ここにも、石仏の集まりがあった。

 句碑が6つ。最後の句の作者判らず。

    腸の汚れ濯かん苔清水 佐藤哲山

    花はらむ梢の痩や冬木立 似芳坊
    折々は枯るるも時の柳かな 松窓
    ほろほろと山吹散るか瀧の音 芭蕉
    寒声のあとや松風瀧の音 其性
    さし柳葉となる雨のこぼれけり
 山門を降りて右に曲がり、車道を行く。先回は、左の植物園の中を通って上がって来た。

 12時半過ぎ、五台山の公園に。

 公園の建物の横の遍路道を下り、直ぐに、伊達騒動の伊達兵部少輔宗勝の墓に到着。伊達騒動の責任を取らされ、この地の山内家にお預けとなった、と説明があった。

 山を下り、初めての青柳橋も無事越え、高野寺へ向かう。

 

 14時、高野寺お参り。ここから、北にとり、安楽寺へ 。
 14時半、安楽寺お参り。青柳橋から、高知駅まで、お遍路さんとは、1人も会わなかった。ほとんどのお遍路さんは八十八箇所を主に廻って見えるんだと、自分で納得。

 高知の町を過ぎ、28番大日寺まで、宿がない事と、高知市内を歩いてなかったので歩きたく、今日は高知市内宿泊にした。

 

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第31日目     2002/11/28 (木) 

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 経路    Hタウン駅前 善楽寺 国分寺 大日寺 国宿海風荘

 歩き距離 50千歩 35km  地図上距離 29km

 出発 6時半  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん 2人

 宿屋    国宿海風荘  泊まりのお遍路 2人


 

 高知駅から、善楽寺の道は、遍路地図の道を歩いた。神社の鳥居に行き着き、境内を通り、善楽寺へ。

 8時、30番善楽寺お参り。

 お寺の北に回り、国道へ出た。地図ではここから点々道の表示であるが、その取り付きが判らなかったので、国道を行く事にした。

 300m程度行った地点で、順回りの時の墓地公園の横を降りて行く降り口を確認した。

 国道と別れ、刑務所横を通り、高知医大の裏に出た。ここから、また、点々道の水路の畦道を行く。

 岡豊橋に出て、国道を越えると、田んぼに出る。田んぼの遍路道。国分寺が見える。 墓地公園の降り口からここまで覚えがある。特に、国分寺南の田んぼと遍路道は鮮明に覚えている。理由は良く判らない。

 9時半、29番国分寺お参り。門 を出て、いつもの1礼をして振り向くと、順回りのお坊さんに会う。長い時間見られていた感じがする。私の手にある遍路地図を見て、逆打ちかと  声を掛けられて、お話しする。

 自分は、逆打ちは2回、順回りは?回目(忘れた)、何回歩いても、道を間違える、と言って見えた。私も、道を間違えるのは当たり前のつもりで歩いています。2回目です。

  句碑歌碑が4つあったが、

    来し方を行く方を草朧かな 高木晴子

 しか、判らなかった。

 句碑。
 祈年の分岐点も良く判った。ここを左折。JRを越え、昔からの遍路道を行く。都築さんの無料接待所を見て、戸板島橋を渡った。
  12時、28番大日寺お参り。
 ここにも石碑の集まりがあった。
 昔からの畑の中の遍路道があった。ほんの短い区間だったが、このような道は、嬉しくなる。
 龍馬歴史館による。岡田以蔵、武市瑞山、近江屋の騒動などの蝋人形を、1時間ほど見学。
  国道55号に出て海岸の道を暫く行くと、左側に、無人島長平の像があった。 200年前、遭難して鳥島に流れ着いたが、挫けずに、12年後に生還した、の説明板があった。案内板に、平成10年の日付があった。
 

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第32日目     2002/11/29 (金) 

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 経路    国宿海風荘 神峯寺 濱吉屋

 歩き距離 52千歩 36.4km  地図上距離 34km

 出発 7時  到着 16時  晴れ  すれ違ったお遍路さん 13人

 宿屋    濱吉屋  泊まりのお遍路 2人


 

  8時、虚子の句碑、龍馬の妻お龍と妹君枝の像 のある、芸西村琴ヶ浜の公園到着。

       春潮の騒ぎて網を曳くところ 虚子

 龍馬の妻お龍と妹君枝の像
 先回は、まだ開通していなかった鉄道に沿って、海岸の自転車道を歩く。天気が良く、見晴らしも最高。
 矢流の岬の休憩所で、また、一服。
 安芸市不動に、梛(なぎ)の木が55号線の真ん中にあった。道路拡張によって道の真ん中になったらしい。 
安田明神で、左の旧道に入る。 13時過ぎ、登り口に到着。
 ここから、3kmほどの登りの参道を行く。途中、大きな荷物の若い2人連れを追い越した。若い人を追い越したのは、久しぶり。
  14時過ぎ、27番神峯寺お参り。先回、このお寺さんにお茶の接待を受けた。雨で、寒く、実に有り難かった事を思い出した。
 関東からの車のお遍路さんに、声を掛けられた。私の掛け軸を見たいらしかった。朱印を乾かすために、広げたままで、お話しする。羨ましがっていた。

 追い抜いた若者二人は、相変わらず、現れない。駐車場を少し下った、椅子などが少しあるお休み所の場所でようやく会った。荷物が大きく、登るのに苦労しているように見えた。 野宿のつもりらしい。お別れの挨拶をして別れた。

 車道を外れた歩き道を降りていた時、10人ほどの集団のお遍路さんとすれ違う。みんな元気な所を見ると、山道だけ歩いて、お寺の移動は、車でしているようだ。いろんな遍路の仕方がある んだな、と感心する。

 

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