4回目 第34番種間寺から第38番金剛福寺まで

1999/01/09〜1999/01/17

四国遍路八十八カ所へ  次へ  1999/03/31 作成


第1日目 1999/01/09

 

 この冬1番の寒波襲来の日の出発です。案の定、関ヶ原は凄い雪、京都で、30分遅れ。大阪に着いたら、雪落としで又遅れ。行程は余裕を取ってあったので、まあいいや。

 岡山へ到着直前に車内放送有り。南風1号は定刻どおり出発、申し訳ないが次の列車に乗ってほしいとのこと。

 先回までは、徳島へ出たが、今回は、高知へ、JRの乗り継ぎです。

 13時半、高知着。はりまやばしから、バスで長浜へ。空は雲1つない晴天。先回、納経時は暴風雨の雪渓寺でしたが、今日は、晴天の雪渓寺。門前で一礼して歩き始めです。

tanemaji34.JPG (14304 バイト) 種間寺へ。田圃の中のお寺さん。般若心経をあげて納経所へ。 お遍路さんは私1人だけです。

 今日は清滝寺の麓で泊。足の”豆”は大丈夫だ。

 

第2日目 1999/01/10

 

 日の出は7時10分頃、朝飯7時、7時30分出発。これを今回の出発の標準としよう。

 宿のおかみさんが、清滝寺への遍路道を漫画に書いて、注意箇所を、それはそれは細かく教えてくれました。荷物は置いて行けと言われましたが、背負って行くことにした。

 遍路地図にも詳しく書かれているし、遍路マークも、そろそろ確認したくなると現れるほど整備されていますが、私が時々変なことをやり、迷うので、おかみさんのくどいほどの説明が本当に有り難い。

kiyotakiji35.JPG (19704 バイト) 全然、迷わず、35番清滝寺に着きました。今回も、幸先がよい。天気も最高。

 山のお寺さん。ここでも遍路は我1人。大きい声で、たどたどしい心経をあげる。まだ、本が離せません。納経を済ませ青龍寺に向かう。来た道を戻る。今回初めての、遍路さん1人と行き違う。少し、安心する。

 行き会う人とは、できるだけ大きい声で挨拶することにしています。今日も、土地の人が、トンネル10分、峠越え1時間、海岸廻り2時間と教えてくれた。

 塚地峠越えか、トンネルか迷う。元気が良いので、峠越えとする。峠越えでも、ゆっくり歩けば、そんなに苦にならない。聞いたとおりに1時間を使う。途中、安政地震の碑があった。

 また、海を見ながらの歩きです。変化のある四国の海です。見飽きる事のない海です。歩くと、景色がじっくりと眺められる。実に贅沢。

syouryuuji36.JPG (22650 バイト) 36番青龍寺では、車のお遍路さんと一緒になった。また、少し安心。今夜は、グリンピア泊と決め、予約電話する。OKです。

 歩いても、歩いても、目的地が近ずきません。距離の計算を間違えている。出入りの大きい海岸線の読み違いでした。地図を見ると、直ぐそこです。事前に、地図をよく見て、研究して、大まかな予定を立てているし、節目、節目で、地図で確認するよう心掛けていますが、よくこの様なミスを犯します。宿到着は遅くなりそうだ。

 宿着、5時過ぎ。薄暗く成っていた。よく歩いた、30kmは越えているだろう。”豆”少し出来たが、よく歩いた。

 

第3日目 1999/01/11

 

syouryuuyoake36.JPG (7485 バイト) グリンピアの日の出を見て、出発。37番岩本寺へは、もう一泊が必要です。今日はひたすら歩くのみ。須崎市へは佛坂越えの道を選ぶ。

 2時間ほど歩いて、三叉路の山道に至る。どちらか、迷う。地図を出し磁石で方向を確認し道を選んだ。ところが、遍路のマークに全然、会わない。少しおかしい。1時間ほど歩くと広い道に出た。調べてみると、新道の鳥坂トンネルの手前に出てしまった。

 新道を歩く距離の倍ほど、歩いてしまった。例の三叉路の選択が間違っていた。地図を見て確認したのに、結局、1時間のロス。次の焼坂峠は新道を通ることにした。豆電灯を点けてのトンネル通過が多い。

 冬の歩きは、歩き易い。夏は、宿へ3時着を標準に歩きましたが、まだ明るい5時着を目標にしよう。

 久礼泊。

 

第4日目 1999/01/12

 

 大阪越えの道を選ぶ。町を抜けるまで、道に迷う人が多いそうです。宿のおばーちゃんが細かく教えてくれました。

 途中で、大阪集落のおかあさんが自転車で追いついて来て、一緒に歩きました。今、子供を学校へ連れていった帰りであること。自分の家は此の奥の五軒目であること。十数戸の 集落であること。此の道は車では行けないこと。自分は嫁に来てから、此の道で窪川へ行ったことはないこと。など話してくれた。

 勿論、どこから来たか。どこへ泊まったか。今日は岩本寺まで行けるとかの話もしました。

 七子峠の直前まで、田圃の中の平らな道です。新道は遙かな高さの所を通っており、200m程、一気に登りです。登りの道は、けもの道のように細い道。休まず登ると峠です。峠に出てみれば、次は下りと思っていたが、ほとんど平坦でした。

 後で調べてみると、峠300m、窪川200mの標高、窪川へは13km。ゆっくりの下り坂。

 少し早めの昼食にセルフサービスのうどん屋に入りました。天ぷらうどんを食べました。客も少なかったので、岡山出身のおかみさんに、どこから来たかなど聞かれ、又、トラックの運転手さんも加わって、天気の話などして、又、歩き出しとなりました。

 おかみさんが、お釣りを呉れずに、商品のおにぎりを、2個包みました。変な時に、変な事をしているな、と見ていると、お釣りと一緒に、私に呉れるではありませんか。思いがけないことでしたが、遠慮なく頂くことにしました。

 黙々と歩くのは、根気がいります。今日は、目の前に、お寺さんがあるので、歩きがいがあります。”豆”が少し、痛む。

iwamotoji37.JPG (18733 バイト) 3日目のお寺さんです。37番岩本寺です。お経を上げ、納経所へ。今日は岩本寺泊です。お寺さんの奥さんが、宿坊へ案内してくれました。 3時です。がらがらです。7時頃までには10人位になりました。

 

第5日目 1999/01/13

 

 足摺岬まで、100kmほど。足が少し痛いので、3泊4日に決める。今日、明日は、少な目の行程。宿も、佐賀、中村、足摺岬の近くと、ほぼ、決めて出発する。
 今日も、山の中。黙々と歩くことになる。思ったよりも、足は痛くない。順調な滑り出し。国道を外れる遍路道が2カ所有り。遍路道を行く。迷わず行けた。

 昼食後、宿に予約電話する。早く宿に来て、休めと言う。距離と宿屋の関係で、早めの宿入りが、多いのかもしれない。2時着。海の見える佐賀の宿です。

 

第6日目 1999/01/14

 

iwamotojiyoake37.JPG (10299 バイト) 日の出を見て宿を起つ。今日は、中村まで。ほぼ、1日海が見られる。久しぶりに、”豆”の調子が良いせいか、暇が生じた。般若心経を覚えよう。以前一度覚えたことがあるので、すらすらと出てくる。此の分では、昼までに覚えてしまいそうだ。

 歩きながら、本を見ながら、一くさりずつ、声に出して、多分、ぶつぶつ言いながら、海を見て歩いていきます。ところが海に見とれて、お経の方が留守になる。車がくると口が締まる。で、少しも前に進まない。結局、覚えることはあやふやでお終いとなる。

 2つ目の渡しも渡らず陸づたいです。宿へは、2時着。久しぶりにビジネスホテル。快く部屋へ通してくれる。”豆”、極めて、順調に、直っている。

 明日からは、予定通り、少し強行軍出来そうだ。毎日、夜は、よく寝られる。7時には、眠くなり、遅くも、9時には、
眠っています。テレビはほとんど見ません。

 

第7日目 1999/01/15

 

 弱い雨。傘で出発。四万十川を渡る。般若心経を読みながら、歩き始める。割合、車の数が少ない。しかし、坂道に掛かると、歩きのスピードが落ち、お経は練習は終わりとなった。

 トンネルを越えると土佐清水市である。少し早い昼飯。雨が時々強くなる。今夜の泊に迷うが、足は大丈夫。もう少し、歩こう。

 下の加江で以布利泊と決め、予約する。以布利は、一番遠い地点です。元気に歩ける。雨が止んだ。

iwamotosimonokae.JPG (8119 バイト) 大岐海岸は、砂の浜を歩く。足が沈み歩き難い。後で聞いたことですが、水の中の砂は、締まって歩き易い。波打ち際を歩くと良いとのこと。30kmを越えると、さすがに、疲れが大きい。スピードが落ちる。

 5時、宿着。今日はよく歩いた。夕食は、魚料理。刺身が旨かった。腹一杯食べた。

 

第8日目 1999/01/16

 

 宿のおかみが、遍路道を案内するとのこと。有り難くお願いする。足摺岬は、景色がよいので、外で昼飯を食べなさい。と弁当を作ってくれた。有り難く頂戴する。

 宿を立つと、直ぐ、脇道に入る。港に出る。港で工事をしている。若いときは、小さい港1つであったが、今は、3つある。また、拡張工事をしている。とのこと。貝殻を拾ってくれる。きれいな巻き貝です。30分ほどで舗装道路に出る。荻原健一さんも、ここまで案内した。と言っていました。多分、おにぎりを作ってあげたんだろうと思った。

 足摺岬まで、16kmほど、車の数が極めて少ない。足は調子よい。お遍路さんにも会わない。

konngouhukuji38.JPG (16963 バイト) 11時予定通り、38番金剛福寺に着いた。まずは、お札を納め、賽銭を上げ、お経をあげ(すらすら出来た!)、納経所へ。お寺のおかみさんが、ご苦労様です。頑張ってください。と言ってくれた。

 40年ほど前に、ここに来たことがあったが、何も思い出せない。勿論、お寺のことは、少しも、頭に無かった。と思う。風が強いが、晴天の太陽を浴びて、太平洋を見ながら、弁当をいただく。

 

konngouhukujiasizuri38.JPG (9298 バイト) 足の調子は最高。疲れも少ない。土佐清水まで頑張ろう。宿を予約。5時までには、着くだろう。海を左手に見て、後16km。風が強いが、いい景色だ。途中、2,3人の土地の人に会う。頑張ってください。と励ましてくれる。

 松尾、大浜、中の浜を通り、土佐清水の港が見え始めたが、海が中に入り込み、大回りの道である。ほんの2km程度ですが、此の大回りは、歩き出があり、大変でした。

 

第9日目 1999/01/17

 

 明日から、仕事だ。今日は家へ帰る日だ。予定時間を確認して、朝食を食べる。宿のおかみさんが、お遍路さんには、弁当を作っている。持っていって。と言われる。有り難く頂戴する。

 中村発9時の列車に間に合うように、バスに乗る。しばらく行くと、昨日まで歩いた道を走る。あっという間に、中村着。バスの窓から、歩き遍路さんを2人見た。

 もう少し、鉄道に近い所で、区切りとすべきであったが、結局、1番遠い所で、区切りとなってしまった。次回は、又、土佐清水まで来て、歩き出そう。

 

感じたこと

 お遍路していると、土地のみなさんから、非常に親切にして貰っています。いままで、冷たく扱われた事は、一度もありません。不思議に思うほど親切にして貰っています。お遍路で、お世話を素直に受け入れる事を覚えました。その分以上に、今から、この先いつでも、誰かに、お世話しなければ、と思っています。

 日頃の自分の生活態度を反省させられるお遍路行きです。

 自分の体力と、感情、知識、意志など”頭の中の事”を上手にコントロールする事が、いかに大変かを教えて貰いました。上手に出来た時の喜びも覚えました。

 次のお寺さんまで、歩くことだけですが、これが修行と言われるものの1つかなと思いました。

 四国の海のすばらしいこと、一日中見ていても飽きません。しかも、時々刻々、変化します。海の日の出、日の入りも素敵です。

 1日で歩く距離が、少しずつ増えています。今回は8里歩くことが出来ました。歩くことは、相当に苦痛ですが、普通の生活に戻ると、また、出かけようと思う毎日です。次は、4月と思っています。

 遍路始めは、昨年の4月でしたが、その時4人ほどのグループが出来ました。また、どこかで会いましょう と別れましたが、最近、連絡が取れました。

みんさん、遍路を続けています。

 

以    上  TOPへ戻る