5回目 第39番延光寺から第43番明石寺まで

1999/05/01〜1999/05/09

四国遍路八十八カ所へ  次へ  1999/06/06 作成


第1日目 1999/05/01

 

 歩き始めは、昨年の4月29日でしたので、2年目に入りました。5回目の四国遍路の区切り打ちに行ってきました。

 いつもの、6:48発の新幹線で岡山へ。鉄道、バスの乗り継ぎで、土佐清水、14:30着。今日は、座れないかなと思ったが、高知乗り継ぎの時、1区間のみ。その他は、座れました。

 変なこだわりですが、出発地点(終了地点も同じ)までは、鉄道、バスで、特急には乗るが、指定席は乗らないで、通しています。

 先回は、足摺岬をまわり、西海岸を歩いて、土佐清水の町で泊。バスで帰った。

enkoujikaigan39.JPG (18439 バイト) 今回は、海を行くか、山を行くか、バスを降りるまで、迷ったが、結局、見飽きない海をみたいと、1日余分になる海の道を選ぶ。10km先の竜串に向かう。

 途中で、休んでいたお坊さん夫婦を追い越す。少し、話する。お坊さんは、2度目。今回は、奥さんが40歳になったので、廻っている。なぜ、此の道を行くかと問われる。海があるからと答える。

 竜串に泊まる。連休の初日なのに、空いていた。

 

第2日目 1999/05/02

 

enkoujitatukusi39.JPG (15559 バイト) 竜串は、見所が沢山ある、見て行け。と誘われたが、海の見える裏道を教えてもらい、6:30出発。

 下川口で、海の道、山の道の分岐あり。やはり、海を取る。

 海が本当に美しい。此の1年、台風の荒れた海、冬の風の海、今日のような静かな、穏やかな海、昇る太陽の海、沈む太陽の海、四国の外海の海を、じっくりと見せて貰った。ありがとう。

enkoujikaigann39.JPG (16795 バイト) ふと、あの世も、この様な美しい所だと、嬉しいが、と思った。もし、あの世が、この様に美しい所だったら、両親を始め御先祖がたくさん住んで見えて、私の住む所はないなー、と思う。

 遍路地図は、国道を行けと書いてあるが、トンネルを避け、海岸沿いの道を歩く。誰とも会わない。時々、地元の人のトラックが行く。叶え崎を廻り、大月町へ。大分、大回りで、時間を費やした。しかし、いい海を見せてもらった。

 小才角で、接待です、休んで行け、と呼び止められる。5月5日は大師さんの誕生日(と言われた?)。餅をついて、接待する。あなたは早すぎた。此の道は、(遠回りなので)お遍路さんの数が非常に少ないがよく来てくれた。昨夜は竜串に泊か。今日は宿毛まで行くかね。など、聞かれる。饅頭とジュースを頂く。

 住所、氏名の記帳をして、お礼して、また、歩き始める。

 昼飯のパンを買う。

enkoujitukiyama39.JPG (25585 バイト) 月山神社への途中の海の見える峠で、昼食。これで海の道が終わり、山道に入る。月山神社をお参り。宿の予約のため、電話を探すが無い。携帯電話も通じない。3時。ようやく、姫の井で国道に戻る。早速電話する。

 ところが、どこも満杯で断られる。4時間先の宿毛も、満杯。土佐清水(バスで戻られる)まで電話するも駄目。

 今夜は、野宿の覚悟を決め、野宿できそうな場所を探しながら行くも、何もない。ふと、目に入った、「ふるさとセンター」に飛び込み、釣り宿でも良いから宿を探して、とお願い。

 非常に親切に探してくれたが、やはり無い。

 さあ、どうしようと思った時、その場に居た地元の方が、家へ来いと言ってくれた。夜は寒そうだし、どうしよう!。結局、泊めていただくこととする。

 家には、奥さんや子供さんがみえるだろうに、迷惑をかけるな。個人の見知らぬ人の家に泊まることは、始めて。

 おどおどして、付いて行き、泊めて貰う。奥さんが 風呂から、食事から、寝床から、いやな顔ひとつせず、面倒を見てくれる。遍路のこと、私の家のこと、仕事のこと、高知県のこと、子供さんのことなど、いろいろお話しした。

 恐縮のしどうしでした。

 次の朝、子供さんも一緒に食事する。素直なよいお子さんだった。どうして、遍路しているか、なぜ歩くか、と聞かれる。

 丁重に、お礼申し上げ、洗濯代にしてほしいと、封筒を出したが、断られた。再度、お礼申し上げ、歩き出した。

 「次の寺へ三日がかりの遍路道日が傾くも宿は決まらず」

 

 

第3日目 1999/05/03

 

 歩き出して直ぐ、宿毛泊まりに決めて、ビジネスホテルに、今夜の宿の電話を入れる。昨日、断られた宿だ。駄目かと思ったが、OKだ。

 国道をひたすら歩く。足に「マメ」が出来た。少し痛むが、大丈夫だ。

 宿毛に入ると、高架の立派な鉄道があった。駅は、町から、相当離れた所にあった。不便だろうにと思う。

 宿毛の町で、昼食。39番延光寺へ。

 延光寺の近くで、「おーい」と声をかけた人が居る。よく見ると、一昨日の坊さん夫婦だった。昨日は、山道を通り、延光寺を打ってきた所で、今日は宿毛泊まりとのこと。

 昨夜の宿のことを話す。坊さんは、宿屋へ泊まったが、泊まれない遍路さんが何人かいたそうです。健康ランドで寝た人もいたとのこと。

 みなさん、昨夜は、大変だったようです。

enkouji39.JPG (20716 バイト) 38番延光寺。3日目の今回始めての、お寺さんです。ほっとします。「修行の道場」の最後のお寺さんです。般若心経をあげて、お賽銭とお札を納め、納経帳に記入して貰う。

 宿毛の町へ、国道を、戻る。5人ほどの、歩きお遍路さんとすれ違う。

 16時、宿に着く。今日は、空きがあるらしい。昨日は、特別の日だったのかと思う。

 明日は、雨だ。愛媛県に入る。

 

第4日目 1999/05/04

 

 5時、起床。雨だ。朝飯はパンと牛乳で済ます。「マメ」が少し心配だ。薬を付け、絆創膏を張り替える。リュックにカバーをかけ、合羽を着る。足首、手首、首筋の防水をして出発。

 松尾峠に向かう。松尾坂番所跡あり。土佐と伊予を結ぶ重要な道で、1日200〜300人が通ったと看板あり。

 峠への登り口からは、相当急な道となる。合羽は新品でもあり、少しも、浸みないが、靴は、すでに、びしょ濡れ。「マメ」が痛む。湿って、どうしようもない。足を引きずり、ゆっくり行く。

 峠に純友城址ありとのこと。あの「藤原純友」の城らしいが、雨が強く、行くのは諦めた。

 漸く、一本松の町。昼過ぎとなる。たっぷり、時間を使ってしまった。相変わらずの雨、おにぎりを買う。

 雨宿りの出来る場所を探すも、ない。雨も、止む気配もない。とにかく前へ進む事にする。

 農具小屋を見付け、借用する事とした。雨漏りが凄く、合羽は脱げなかった。おにぎりを食べ、お茶を飲み、楽に休めないが、しばらく、休憩。

 漸く、町らしい所に出る。城辺町と御荘町の境付近で、小綺麗な店があり。熱いコーヒーを飲みたくなり、休憩することにした。始めて、合羽を脱いだ。

 綺麗な店の奥さんだった。コーヒーに寄る遍路さんの事など、いろいろ話してくれた。

 あと、1Km、頑張ろう。

kanjizaiji40.JPG (17790 バイト) 「菩提の道場」に入る。40番観自在寺。漸く、着いた。やれやれだ。コンクリートの本堂。大師堂をお参り。記帳して貰う。道では、ほとんど会わないが、お寺さんに着くと、お遍路さんが、10人はいる。

 今日は、お寺さんから、2Km程離れた宿。びしょ濡れで到着。おかみさんが親切に面倒を見てくれる。洗濯するから、濡れた物を皆出せ、とのこと。遠慮なく出すことにした。

 「マメ」が、非常に痛む。酷くしてしまった。風呂の後、1時間ほど治療する。明日の歩きが、気になるが、明日の朝の様子を見て、予定を立てよう。

 今日は、早く寝よう。8時。テレビを切って寝る。 あっという間に、寝てしまったようだ。

 

第5日目 1999/05/05

 

 良い天気だ。今日も、峠越え。コーヒーが飲みたくなったので、喫茶店に入る。珍しく、早朝営業のお店がありました。

 支払いを済まし、出発準備していると、店の奥さんが声をかけてくれた。バナナを持っていって下さい、と。有り難く頂戴する。今回、2回目のお接待です。

 「マメ」は、少し痛むが、歩き出せば、痛みが感じなくなる。あまり、無理はしないほうが良さそうだ。

 登り口の柏郵便局の前で、休憩。お遍路さんが1人、追い抜いて行く。一緒に行きませんかと、声をかけてくれたが、先に、行って貰いました。

 人家が切れて、山に入る所で、おばあさんに呼び止められる。大きいみかんを2つ持って行けと。先ほどの人にも声をかけたが、行ってしまった。だから2つ持って行け。

いろいろの問い掛けがあり、出身地など、おはなしして、お礼を言って、登り初める。

 昨日の峠より、うんと楽だ。野口雨情の歌が道沿いに、幾つも立ててあった。内容は、此の地方を歌ったものでした。

kanjizaiyanagimizu40.JPG (22682 バイト) 柳水大師をお参り。ゴメン木戸、接待松跡を見、清水大師をお参り。

 峠でパンの昼食。良い天気で、見晴らしのよい場所で、晴れ晴れとしてパンを食べる。

 猪ののヌタ場(泥浴び場)があり、説明用の看板が立ててあった。はじめて見た。

 峠を越すと、緩やかな下り道が、延々と続く。

 ぼつぼつ、人家が見えだした。後ろで、声が聞こえた。振り返ると、おばあさんが、一生懸命、走ってくる。 息を切らして、お接待です、受けて下さいと、41円を頂く。元気で、続けて下さい。と言うと、すぐ、すたすたと、引き返していく。

 後ろ姿に向かって、お礼を言い、頭を下げた。

 今日は、津島町泊。あと、1時間だ。

 後ろから自転車で来た、お遍路さんが、話をしても良いですかと、自転車を降り、並んで歩き始めた。

 家は、この先の峠を越した、宇和島の手前である。自転車による2度目のお遍路で、今日が最後の日。歩くより、早く、回れる。

 お遍路で、不思議なことに、パンクは1度も無し。銀行員だった。退職して、15年になる。急に、お遍路したくなり、一回りしてきた。1ヶ月位かかった。

 元気な方でした。痩せている感じですが、顔は、つやつやしていた。

 私も、70過ぎてもこのくらい元気でやりたい。もう少し、体重を下げなければ、と思いながら、津島の町で、お別れした。

 今日は、22kmの短い距離でしたが、思いがけない事が、沢山あった。ただし、「マメ」が痛み、足を引きつる1日でした。

 

第6日目 1999/05/06

 

宿泊人は1人だった。2日の大騒ぎが嘘のようだ。今日も、峠越えしよう。

 宿を出た所で、いつものお坊さん夫婦に会う。夕べは、えらいところに泊まってしまった。とのこと。何の事かは、聞かなかった。二人の足は速い。30分経たないうちに、もう、見えなくなる。マイペースで行こう。

 旧の国道松尾トンネルの道をとる。江戸時代の道は、藪の中に消えてしまって居るのだろう。今回、始めてのトンネル通過。車も10分に1台位、勿論、人には、1人も会わない。のんびりと歩く。青葉がきれいだ。

 宇和島の町に入る。町の小さな八百屋さんの前で、声を掛けられる。中年の奥さんだった。お接待です。納めて下さい、と、500円頂く。

 ありがとうございます、と頭を下げている間に、自転車に乗って行ってしまった。

 久しぶりに、暖かい昼飯にありつけた。美味かった。

kanjizairyuukouin40.JPG (19443 バイト) 宇和島の龍光院をお参り。番外のお寺は、小さいお寺が多いが、ここは大きなお寺さんだった。

 今日の宿の、予約をする。宿の奥さんに、”だんまりで、キャンセルされて困っている。必ず、泊まるか”と、念を押される。

 今まで、この様に言われたことも無かったし、そのつもりも無かったので、びっくり。お遍路さんも、いろいろな人が居るんだなー。

 宇和島の町を過ぎて、遍路道は県道に変わる。逆打ちのお遍路さんと会う。70才過ぎと思われるが、すこぶる元気。こちらは、足を引きずりスローペース、それを見てと思われるが、次の龍光寺はあと少しだ。と言ってくれる。

 あと、8km。登りの自動車道。1時間ほど歩くと、例のお坊さん夫婦が、道端で、足を投げ出して休んでいる。 私も、靴、靴下を脱ぎ、一休み。

 峠は、新道のトンネルを通った、とのこと。

 よく会うのに名前も知らなかった。お札の交換をする。お坊さんのお札は、自分で作った物でした。私は、1番札所で、手に入れた物。

 私の札は、住所は番地まで、電話番号、名前を記載してあったが、電話や手紙で、悪戯されるから、全部、書かないほうがよいと言われる。お坊さんのは、”長野 ○○○○”だけでした。住所、電話番号を手書きして渡してくれた。

 今日は、お遍路さんの、悪口を、2回聞いた。2つとも、素直に聞けた。

 奥さんは、1番から40番まで歩いて、始めての「マメ」が出来たと治療していた。お坊さんは、絆創膏だらけだった。「マメ」は、荷物の重さが重いと出来ると言っていた。その通りと思う。私は、今回10kg。次は、8kgに工夫しよう。

 務田駅近くの田圃道で、”お母さん”と呼びながら歩いている幼稚園の女の子に、出会う。

 お母さんが居ないので、お兄ちゃんに聞くと犬の散歩に出たと言った。この絵を直ぐに、見せたいので、お母さんを捜している。とのこと。拓けた田圃で、見通しが利くのに、見えません。しばらく、一緒に歩いて、探したが見えません。

 話しながら、何度も、”お母さん”と呼びかける。絵には、お母さんの顔が紙一杯に元気よく描いてあった。

 本当に、可愛いかった。自分の子も、この様な時期があったなー、と思い出す。

 「描きたる母の絵を抱く幼子の手を引きその母探すお遍路」

 

ryuukouji41.JPG (20785 バイト) 41番龍光寺、2日ぶりのお寺さんです。嬉しい感じ、わくわくする。お経をあげ、賽銭とお札を納め、納経帳に記帳して貰う。

 今日は、ここ泊。奈良のお遍路さんと2人。一緒に食事した。

 1番から、交通機関と歩きと併用している。毎日、時間表を見て決め、待って乗るのと、歩くのを天秤に掛けて、早いほうにする。

 88カ所を早く廻ってしまいたい、とのこと。

 いろいろな遍路の仕方があることに気付く。

 

第7日目 1999/05/07

 

 奈良の人は、先に出発。マメを治療して出る。

 晴天。マメは良くならない。少し歩くと慣れて、痛みが和らぐ。

butumokuji42.JPG (15155 バイト) 3kmで42番仏木寺。お参りを済ます。門を出ると、無人販売所があり、美味そうな饅頭があったので買い食べる。美味かった。

 先の山を見ると、電気を送る小さい送電線が、山を越えている。今日はあそこを越えるのだなと思い、遍路地図で確認する。

 動物も人間も、送電線も大体同じ所を通るんだなと思う。しかし、最近は、山があったり、川があっても、道路は、幅広く、車が走りやすいように、トンネル、橋を作るし、送電線は、背が高くなり、真っ直ぐに作られている。

 あの送電線は、昔の送電線だろう、など思いながら歩く。

 じき、山道に入り、登り道。雨の松尾峠に比べれば、うんと楽。

butubokujitouge42.JPG (21655 バイト) 峠で、見送り大師をお参り。

 紫のアヤメの様な花が群生して咲いていた。杜若は湿地に咲くから、やはりアヤメだろう。人が植えたものの様です。

 道引大師をお参り。

 宇和の町に入る。遅い昼食は、大師うどんとした。

 食事して出ると、例のお坊さん夫婦に会う。今回も、声を掛けてくれた。

meisekiji43.JPG (30583 バイト) 43番明石寺。私は、いつもの通り、本堂、大師堂の順で、お札賽銭、般若心経をあげ、納経帳記帳を済ます。10分で終わる。

 お坊さんは、納経帳、掛け軸を依頼してからお参り。お参りは、長いお経を、よく通る大きな声で、2人であげる。お坊さんの息継ぎの時、奥さんのよく通る声が聞こえる。30分ほどかかった。

 お坊さん達は、これから昼食に大師うどんを食べる。今夜は、この先のホテル泊、とのこと。又会えそうだ。お坊さんは下の店へ。私は、山を少し登り町中に。

 女医イネの家、高野長英の隠れ家など、見学。開明学校は見損なう。

 ホテルでは、お坊さんには、結局、会わずじまい。その後、2日とも会わず。

 最後まで、廻ると言っていました。今、6月中旬、もう、家に戻ったかな?。

 

第8日目 1999/05/08

 

 6時、出発。ホテルは、食事は7時頃からが多い。大抵、朝食は、パンと牛乳で済ます。

 今日も、峠越えを選ぶ。鳥坂峠にも、番所があった。江戸時代、各藩は、人の出入りに、随分、気を使っていたんだなと思う。

 峠には、幾つかの石像と日天月天様が、いました。

 登りは、急な坂道だったが、下りは、緩い坂で、いつまでも歩いても、国道に出られない。

 番外札所仏陀懸寺で、お参り。

 いよいよ、伊予の小京都、大洲に入る。

 ”おはなはん”の町とのこと。白い壁の蔵、狭い昔の道、赤煉瓦の家を見学。昼食をとる。今日はラーメン。

 大洲駅の建物を見て、明日の帰りの汽車を確認。

meisekijitoyogahasi43.JPG (16202 バイト) 十夜ヶ橋へは、3時。すっかり遊んでしまった。十夜ヶ橋のお寺さんお参り。橋の下に、布団を被ったお大師さんがいた。

 お大師さんが、昔、宿が無く、野宿した橋とのこと。此の橋の下で、野宿する、お遍路さんが沢山居るとのこと。私は、野宿は出来そうもありません。”お許し下さい”とお参りして、お別れした。

 宿は、お遍路は、私1人だったが、工事の人達が泊まっていた。

 今日も、マメは、良くなる気配はなかった。風呂に入り、治療にかかった。直る気配があると、治療も楽しいが、多少、うんざり。

 今日は、早く寝よう。明日は、帰る日だ。

 

第9日目 1999/05/09

 

 明日から、仕事だ。今日は家へ帰る日だ。予定時間を確認して、朝食を食べる。

 国道を歩き始める。内子町に入ると、国道を外れ、山に入る。2時間程で、内子駅着。これで、お遍路の歩きはお終い。「マメ」で苦労したが、ギブアップなしでした。駅に着いたら、「マメ」が、急に痛くなった。

 次は、この駅から出発となる。

 内子は観光地と聞いていたが、小さい駅だった。駅員も女性1名だった。鉄道は高架で立派だった。

 

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