10 吉原 原 沼津 三島

27 km    1995/10/07        

東海道へ


 

 吉原駅からスタート。富士山が丸見え。

 東海道は浮島沼の海側と海の間になる。原には立派な昭和排水路がある。

 江戸時代は、稲作りをしていた が、飢饉や水害から守るため、1800年代、地元の増田平四郎さんが浮島沼の干拓と今の昭和放水路の位置に排水路を計画、着手したが、完成は明治(1869年)に入ってからの説明があった。

 海岸は、堤防が出来、1号線は最新式のバイパスに。東名高速、新幹線は山裾の高台の地盤の良い所に。東海道線、旧1号線と旧東海道が海岸と沼との間を通っている。

 何々新田と言う地名が並ぶ。また、蒲原辺りから原宿辺りまでを歌枕の「田子の浦」。それから東は「千本松原」。

 北は、「この辺り富士の正面なりの富士山」と田圃、南に深い海の駿河湾と松林。先人の努力、苦労が思いやられる。

 贅沢に富士山を見ながら、沼津宿に入る。

 玉砥石(たまといし)あり。柱状の石に直線状の溝があり、玉を磨いた跡とのこと。古い土地の名に玉造郷があり、近くに玉造神社あり。古墳も多くあり、古い集落跡、遺跡が発見されている。暴れ川の狩野川の近くの高台。今は、何気なく歩くことが出来るが、昔は、住める場所が限られたんだなと思う。
 日本三大仇討ちのひとつ。浄瑠璃「伊賀越道中双六」の沼津の平作のゆかりの地蔵尊あり。 この時まで、この話は知りませんでした。
 湧き水の川「柿田川」の清水町に入る。

 頼朝、義経の対面石が八幡神社に。富士川の合戦の時、奥州から駆けつけた弟義経と対面した所。源氏再興の苦心を語り、懐旧の涙に暮れた場所です、との説明があった。本当にそう思った本当の涙だったと思う。

 三島宿。本陣跡の小さな石碑が、商店街の中に1つだけ、歩道の隅に遠慮しながら建っている。
 

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