4 四日市 石薬師 庄野 亀山 関

28 km    1995/08/14

東海道へ


 

 東海道は、伊勢街道との分かれ 地点、「日永の追分」を右に進む。この辺は、泊(とまり)、采女(うねめ)の地名がある。昔からの街道筋 がそのまま残っている。

 ここの追分にも、昔、金持ちがお金を出し造った、伊勢神宮の二の鳥居がある。

  石薬師の手前、杖つき坂。かなりの坂道である。曲がりくねった昔からの坂道である。

 杖つき坂の途中に、芭蕉の「かちならば杖つき坂を落馬かな」の季語のない句の句碑があった。この辺は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の話が幾つかあり、采女の名前もそうだ。

 また、この近くに、能褒野(のぼの)の地がある。日本武尊を埋葬した地と称し、能褒野神社がある。また、加佐登神社と白鳥塚もあり。

 坂を登りきると、日本武尊御血塚の碑がある。血塚社。
 石薬師宿。鈴鹿市内。庄野も鈴鹿である。古いものがある宿場だ。立派な建物があ り、小澤本陣跡の碑があった。

 歌人佐々木信綱の生まれた土地。立派な資料館があった。

  集落の外れに、石薬師寺があった。芭蕉「春なれや名もなき山の薄霞」 の碑あり。

 石薬師の東に、山辺町があり、ここに山辺赤人の井跡があるらしい。1度尋ねてみよう。

 庄野。なにもなし、庄野宿本陣跡の石碑が1本あった。広重の庄野の白雨の絵の雰囲気は感じられなかった。川俣神社境内にスダジイの巨木があった。

 鈴鹿川に沿い、上流に行く。和田の道標あり。脇道神戸道の分岐点。和田一里塚も綺麗になっていた。

  亀山の江戸口門跡、京口門跡あり。京口門は、立派だったらしい。広重の亀山宿、雪晴の場所との事。野村の一里塚も立派になっていた。

 関宿に入り、関の地蔵院お参り。 

 

以     上   TOPに戻る