5 関 坂ノ下 鈴鹿峠 土山

20 km    1995/08/15

東海道へ


 

 関の古い町並みを見ながら、いよいよ鈴鹿峠である。

 鈴鹿川に沿って歩く。一里塚は、標識のみで跡形もない。

 「岩根山世に狩野筆捨山 」と言う筆捨山の標識を見て、1号線に沿って登る。

 峠上り口に坂下宿があるが、今は、お茶畑で、本陣跡の石碑が有るのみで、建物は、全然無しの、ただの山の中の道であった。

 片山神社をお参りして、いよいよ 山道の峠越え。

 鳥居の左に、石碑「鈴鹿流薙刀術発祥の地」。また、神社前には、行宮が

あったようだ。

 途中、鈴鹿山の鏡石を見る。鈴鹿の盗賊の根拠地。

 片山神社から1kmも来ないうちに、平らなところに出た。ここが鈴鹿峠である。この下に1号線のトンネルが通っている。箱根、宇津ノ谷、小夜の中山に比べて、実に呆気ない峠である。

 山を下る感じの少ない下り道を行く。やがて1号線に出る。

 蟹坂古戦場の石碑あり。蟹が坂と言う字の土地あり。蟹とは、坂上田村麿が滅ぼした敵のことらしい。田村川、田村橋、野洲川あり。

 田村神社をお参り。 由緒書きがあるはずだが、見つからず、又、人も見つからず。

 謡曲「田村」に「君の宣旨には、勢州鈴鹿の悪魔を鎮め、都鄙安全になすべしと・・・・」、坂上田村麿は、清水の観音に立願してここの敵を滅ぼした。

関係がある様であるが、不勉強で判らないが、立派な神社だった。

 旧道に入り、土山宿。 今も人が住んでいる建物で本陣跡の碑が立っていた。

 帰りは、草津線三雲駅までバスで行き、東海道線に乗った。ここは滋賀県であると、改めて確認。

 

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