14 薩埵峠 由比 蒲原   静岡

16 km       2008/04/27

東海道へ


 

 富士山との出会いを期待して、出かけたが、全然、顔出さず。残念。冬にまた出かけよう。 
 身延山への道の分岐点。

 旧1号線、興津川を渡る。東海道を歩く人多し。

 今日は、この旧道が、バイパスに合流する地点から、山には入る、中道を行く

 

 中道。

 途中に、海岸寺あり。地震や火事で、何回も、被害に遭っている。小さいお寺参らしい。お参りは、失礼した。

 薩埵峠の西側、最後の坂道。

 薩埵峠。江戸時代、道幅は4mはあったという。右、海側は急な坂。転げたら海まで落ちそうだ。

 室町時代の足利尊氏、戦国時代の武田信玄らが戦った地という。ここしか通り道がなかったらしい。

 薩埵峠から、富士山の方向を見るが、富士山は顔出さず。

 眼下の国道1号線、東名高速、JR東海道線は海岸を通っているが、安政の大地震(1854年)で、海岸が隆起したので、通れるようになったという。

 それ以前は、越後の「親知らず子不知」と同様、波の寄せる合間に走って渡ったという。下道という。

 江戸の道標。
 由比倉沢の一里塚。
 由比倉沢の家並みと郵便ポスト。
 由比正雪の生家。江戸時代より続く。今も現役の染め物屋。

 東海道広重美術館は、由比本陣後の公園内にあり、浮世絵師・歌川広重の作品を中心に収集・展示する世界で最初の美術館という。今日は入らず。

 由比の宿場の家並み。
 蒲原宿西木戸。
 蔀戸(しとみど)の民家。味噌醤油の商家だったという。
 西本陣。東本陣は消滅したらしい。

 大正時代の洋館、旧五十嵐歯科医院。

 広重の浮世絵、「蒲原夜之雪」の場所らしい。
 JR新蒲原駅から帰る。静岡、浜松、で乗り換えし、帰る。大儀だった。昨日、新幹線に乗って贅沢になったらしい。
 

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