9 興津 由比 蒲原 吉原

25 km    1995/03/21、1995/09/30        

東海道へ


 

 95.3.21、さった峠の写真を撮ったので、ここに追記する。(追記 2003/07/03)
 車でさった峠手前まで行けた。少し歩くと峠。下に海、向こうに冨士が見える、絶景である。なかなか、すっきりした写真が撮れない。

 興津川も川越しであった。今は小さい川である。今日はさった峠越え。大菩薩峠のさった峠である。

 峠道は4つあり、下道、昔からの古い道、親知らず子知らずの道で海岸の波打ち際の道。安政の地震で隆起した後、良く使われるようになった。中道、海沿いに山に入った道。上道、大名が通った道。脇道、今の東名高速道に沿った道。

 今回は、写真の地図の1番上のルートである脇道を登る。峠はすぐだった。ここは古戦場でもあった。峠からの富士山は実に綺麗ですが、今回は霞み、見ることが出来なかった。下に、東海道線、1号線、東名高速が通っている名高い構図の場所である。

 みかん畑の道、昔の東海道を下り、由比の倉沢。一里塚の石碑があった。由比本陣跡があった。

 蒲原の宿。地元のおじさんがやって来て、北の山を指差し、あの山が広重が書いた山と説明してくれました。

 蒲原東木戸の辺りから山に入る。富士川町の中之郷、岩淵の集落を通り、富士川の渡船場へ。山に入る理由があったのだろう。多分、富士川の水を避けた道と思われる。

 富士に入り、吉原宿へ。宿外れに、平家越えの石碑があった。平家が夜、水鳥の飛び立つ音に驚き、逃げ帰る富士川の合戦の記念碑。

 この碑は、大正13年地元青年団が建てたと説明があった。

 ここから、道は、工場に沿った南向きの道となる。ここが東海道の有名な左富士の場所である。広重の絵である。

 周りは工場と住宅地になっていますが、松が1本残っていました。

 

 

 

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