2 岡崎 池鯉鮒   愛知

16 km       2009/02/11

東海道へ


 

 東海道を西に向かい、岡崎から歩き始めた。14年ぶりの東海道です。
 9:30 矢作川左岸の、八丁味噌(はっちょうみそ)の工場と店。

 2,3年前に、NHKの朝の連続ドラマで、有名になった。

 今朝は、まだ観光バスは止まっていなかった。

 9:40 秀吉と小六の出会いの場、矢作川。石像があったが、どこかに避難しているそうです。

 拡幅の工事中。

 9:50 矢作川の右岸に勝蓮寺。

 真宗大谷派の寺

 家康の父、松平八代広忠、家康、長男信康、など崇敬。

 17代住職行誓の時には、松平信康と関係が深かったと言われている。

 10:20 薬王寺。

 三河国刀匠造跡の石碑。

 室町後期に刀鍛冶集団の三河薬王寺刀工が居住していたという。

 旧東海道筋の1号線を挟んで、薬王寺の向かいに、聖善寺。

 

 11:00 江戸の東海道以前の東海道、鎌倉街道は、矢作川下流を渡って、北に上り、尾崎のこの辺りを通って、なお、北上していた。

 河川の水のコントロールが出来なかったので、水の着かない丘を、辿って道があったらしい。今、矢作川が決壊しても、鎌倉街道沿いは、水に着かないと思う。

 今村から池鯉鮒に掛けての松並木。
 11:10 永安寺の雲龍の松。

 案内板によれば、当地の庄屋柴田助太夫は、村の人々のために、助郷役の免除を願い出て刑死したという。

 土地の人々は、命を賭けた助太夫を、この松の昇天する竜の姿に、重ねて見、これまで松を支えてきたという。

 助郷(すけごう)とは、宿場機能を補助するため、人馬の提供を義務づけられたもの。多少の駄賃は支払われだが、労働に見合うものでなく、また農繁期でもお構いなしに要求されるため、農民への負担は大きかった。

 12:00 来迎寺の一里塚。
 12:30 池鯉鮒の馬市の跡。
 池鯉鮒宿の石碑。

 雨が落ちそうになってきたので、ここで切り上げた。

 

以    上  TOPへ戻る