2 鳴海 宮

18 km    1995/06/21

東海道へ


 

miya01032701.JPG (15589 バイト) 有松を過ぎ、鳴海の宿に入る。今の鳴海は海までは数kmある。鳴海と言う名前の通り、昔は、すぐ近くまで海が来ていたようです。汐田と言う名前もある。

 鳴海の宿を出て、東海道は丘の周辺を少し北上する。その丘の上に千鳥塚がある。

miya01032702.JPG (19796 バイト) この碑は貞享4年(1687年)、寺島安信宅での歌仙「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」の巻が満尾した記念に建てたもので、文字は芭蕉の筆、裏面には連衆の名、側面に興行の年月が刻んである。芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚との説明書きあり公園となっていた。
miya01032703.JPG (17165 バイト)  天白川を渡り、又小高い丘に入ると笠寺一里塚。榎の大木があり、よく整備されていた。
miya01032704.JPG (21790 バイト) 笠寺観音も、丘の1番高い所にあり。丘の間の川筋は海が入り込んでいた様子が解かる。昔から道は水に浸からない所に作るんだなと思う。

 笠寺観音は11面観音を祀った天林山笠覆寺(りゅうふくじ)と言う。初めて知った。

miya01032705.JPG (16195 バイト)miya01032706.JPG (14677 バイト) ここを過ぎると名古屋の市街地に入り、ここが東海道と言う道を歩く。宮の宿入り口に姥堂、裁断橋がある。

 姥堂は奪衣婆(だつえば)と言う、三途の川で死者の衣類を剥ぎ取る恐ろしい鬼婆を祭るお堂。庶民の神様の1つだそうです。

 裁断橋は「金助の母の願い」の橋。秀吉の小田原攻めに金助は出かけたが、死ぬ。母は悲しんで、壊れ掛けていた裁断橋を架け替え、擬宝珠(ぎぼし 橋の欄干)に金助への思いを刻み込んだ。川は無くなり、コンクリート橋になったが、擬宝珠は残っている。

 ここは、都都逸発祥の地でもある。

miya01032707.JPG (12052 バイト) 宮の7里の渡しには、船出や時刻を告げる、時の鐘が残っている。常夜灯などもあり、公園風に整備されている。桑名まで3時間で行ったようです。

 

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