11 三島 箱根 湯本

27 km    1995/10/14        

東海道へ


 

 三島駅から。いよいよ箱根越え。富士山に雪、先週はなかった。 調べてみると、平年の初冠雪は10月はじめでした。

 東海道線の旧東海道踏み切りの手前で、カメラにフィルムを入れていたら、おばあさんに話しかけられた。何しているんだから始まって、東海道の事、昔の暮らしの事、孫の事など、1時間ほど話し込んでしまった。 その間、富士山の変化を、ちらちら見て楽しんだ。

 急ぎ別れ、富士山を背に、箱根路を登り始める。今井坂と言う名のある坂を登る。大体、1号線沿いであるが、狭い旧道が所々残っている。松並木も残っている。
 錦田一里塚が道の両側に盛土を含めて残っていた。この一里塚は国の指定になっていると看板にあった。何の指定かな?
 坂に名前が付いている。上長坂は1mくらいの山道になっていた。大名行列が通る巾は1間はあったはず、手入れをしないので狭くなったものと思われる。
 旧道の発掘が行われていた。50cm位の深さに石畳が出ていた。文化庁の看板が出ていた。また、今風の石畳が葺かれている箇所があった。

 山中城址。秀吉の北条征伐の時、落とされた城で、今は、土塁、通路などが残っているのみ。

 兜石があった。秀吉が小田原征伐の時、ここで休み、兜を置いたところから名付けたそうです。資料で見る兜石は、もっと立派。立派なのが、別のところにあるのかもしれない。
 箱根峠を越え、狭い旧道を下ると、石仏群に出あった。 芦川石仏、石塔。昔から街道を行き来する旅人を見守ってきた石仏です。
 箱根関所跡。旧街道は行き逢う人は皆無であったが、ここは人だらけ。昔は、私も人だらけの1人だった。今日は歩く人の体でした。杉並木も立派な樹木。箱根には、420本あるとの事。
 身代わり地蔵。頼朝の家来の梶原景季がここで襲われた時、この地蔵さんが身代わりになってくれたそうです。それ以来、景季の身代わり地蔵と言われるようになったそうです。

 芦ノ湖がきらきらと光っていた。

 賽の河原で石仏群を見る。明治の廃仏毀釈で、多く失われ今の規模となったようだ。
 本箱根から、自動車道を外れ、山に入る。甘酒茶屋を過ぎ、「親鸞上人の笈平」の碑があった。上人がここに来た時、弟子に向かい「師弟相連れて上洛した後は、誰が東国の門徒を導くのか心配であるから、御坊がこれから立ち返り強化してもらいたい」と頼み、 弟子と別れた所との事です。
 間の村だった畑宿。本陣跡もあったが、宿所ではなく、茶屋本陣だったらしい。今は寄木細工の山間の小さな 集落。
 鎖雲寺。浄瑠璃の一。躄となった飯沼勝五郎が妻初花と共に方々を流浪するが、箱根権現の霊験によって足腰が立ち、忠僕筆助の助太刀で兄の仇を討ったと言う「箱根霊験記」の勝五郎と初花の墓がある。

 時間が無くなり、寄らず急ぎ下る。どうやら箱根八里は1日では無理だった様だ。三島でのおしゃべりがたたったかな。

 途中、温泉の公衆浴場があり、立ち寄る。いい湯だった。

 湯本から、電車に乗り、帰途に付く。

 

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