10 掛川 日坂 小夜の中山 菊川 諏訪原城趾 金谷   静岡

19 km       2008/01/19 2008/02/23 2008/07/05

西行・一休など    東海道へ


 

 9時、掛川駅から歩き始め。
 宿の東外れに、七曲がりあるが、今回も、確認できず。地元の人に聞いても、この辺と言うのみで、納得できず。

 馬喰(ばくろう)橋。葛川(くずがわ)の一里塚。

 伊達方の一里塚。
 石川依平 (よりひら) 19世紀、江戸の国学者。冷泉為章に入門して歌道を学ぶ。本居宣長の『玉霰』を読んで国学を志した。生家跡に石碑があった。

 伊藤嵐牛(らんぎゅう)の生家。19世紀、江戸の俳人。倉を改造した美術館があり、事前の電話が必要という。

 ともに、伊達方の集落にある。

 日坂の西外れに、事任(ことのまま)八幡宮。

 「24日、昼になりて小夜の中山越ゆ。ことのままとかいふ社のほど、もみじいとおもしろし」。 十六夜日記 旅路の章 12小夜の中山 にあり。

 書家 成瀬大域(たいいき)の生地の石碑。江戸末期の人。

 日坂宿の下木戸跡。高札場。
 旅籠 川坂屋。

 日坂宿の本陣跡。

 日坂から小夜の中山に登る、沓掛の急坂。

 歌碑。

 「甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく横ほり臥せるさやの中山」 古今和歌集 読人不知

「東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲井に世をや尽くさん」新古今和歌集 壬生忠岑
 夜泣き石跡の石碑。

 久延寺にある石は、元は、ここの道の真ん中にあった。

 粟ヶ岳

 右側の山頂に近い所に「茶」の字あり。遠くからよく見える。

 涼み松公園。

 ここに、芭蕉の句碑あり。西行の歌を下地に、

 「命なりわづかの笠の下涼み」 芭蕉

 妊婦の墓。

 妊婦とは、三位良政卿と月小夜姫との間に生まれた娘のこと。名を小石姫といい、蛇身鳥一族の話を知り、悲しみから松の木で首をつったと伝えられています。

 蛇身鳥一族、この地方にいた悪い奴らとのこと。

 白山神社お参り。
 14世紀、北条高時の子、時行が鎌倉幕府復興のため挙兵した乱。北条と足利の戦い。

 その家来の、名越氏が、ここで、足利に殺されたが、名越の武勇をたたえ、碑を建てたという。

「東路のさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ」 古今和歌集 紀友則

 歌碑二つ。

 「ふるさとに聞きしあらしの声もにず忘れね人をさやの中山」 新古今和歌集 藤原家隆

 「甲斐が嶺ははや雪しろし神無月しぐれてこゆるさやの中山」 続後選和歌集 蓮生法師

 佐夜鹿(さよしか)の一里塚。

 佐夜鹿は中山の字名。

 「 年たけてまた越ゆべきとおもひきやいのちなりけり小夜の中山」  西行
「風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬわが思いかな」 西行

 十六夜日記   二十四日、昼になりて、小夜の中山越ゆ。ことのままとかやいふ社のほど、もみぢいとおもしろし。山かげにて、あらしも及ばぬなめり。ふかく入るままに、遠近の峰つづき、こと山に似ず、心細くあはれなり。

 麓の里に、菊川といふ所にとどまる。越えくらすふもとの里の夕やみに松風おくる小夜の中山

 あかつき、起きて見れば、月もいでにけり。雲かかるさやの中山越えぬとは都に告げよありあけの月

 河音いとすごし。わたらむと思ひやかけしあづま路にありとばかりはきく川の水

 飴屋 扇屋末広荘

 「子育て飴」を商う。もち米と大麦を原料に、昔ながらの製法でつくられています。口に入れると優しい甘味のひろがる水飴。(2008/02/23休業していました。2008/07/08営業していました。)

 真言宗の久延寺(きゅうえんじ)。

 境内に、夜泣き石。

 

 1600年、家康が会津征伐に出かけた時、掛川城主山内一豊は、ここで、茶を点てて、もてなしたという。

 家康お手植えの松。

 

 「雲かくるさやの中山越えぬとは都に告げよ有明の月」阿仏尼
「旅寝するさやの中山さよなかに鹿も鳴くなり妻や恋しき」 風雅和歌集 橘為仲

「旅ごろも夕霜さむきささの葉のさやの中山あらし吹くなり」 新後撰和歌集 衣笠内大臣

 間の宿、菊川に、

 中御門中納言藤原宗行の詩碑。13世紀、承久の乱の時、京都方の宗行は捕まり、菊川で殺された。

 「昔は南陽県の菊水下流を汲みて齢を延ぶ 今は東海道の菊川西岸に宿りて命を失う」

 鎌倉末期の公家、日野俊基の歌碑。承久の乱の約100年後、元弘の乱の時、鎌倉に送られた。宗行を追懐して詠む。

 「いにしへもかかるためしを菊川のおなじ流れに身をやしづめん」

 諏訪原城趾。

 武田勝頼の城。天守の発掘調査が行われていた。

 東海道、菊川坂の石畳。今日は登る。

 平成12年に、発掘調査し確認された。

 東海道、金谷坂の石畳。今日は下る。
 太田巴静(はじょう)の句碑。

 「曙も夕ぐれもなし鶏頭華」

 金谷駅で、電車に。

 地図上、15kmの距離。万歩計は、19kmを示した。諏訪原城など、寄り道が多かった。

 寝て帰ったが、浜松、豊橋間は、立ちん坊だった。米原大垣間と同じ。客の少ない所は、サービスが悪い。これを、効率化と言う。

 2008/02/23 金谷駅から歩いて、小夜の中山の飴屋、歌碑の写真がなかったので、撮りに出かけた。ところが、猛烈な風と雨で、満足に撮れずに、日坂からバスに乗り、 這々の体で、掛川に戻った。

 2008/07/05 小夜の中山公園を歩いてきました。

 

小夜の中山古歌 香村源本により之を写す

 古今 恋二 あつまちのさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけん 友則
 後撰 恋一 あつまちのさやの中山中中にあひみて後そ侘びしかりける 源宗千 朝臣
 千載  旅 夜な夜なの旅祢の床にかせさえて初雪ふれるさやの中山 八条前太政大臣
 同 旅寝する木の下露の袖に又時雨ふるなりさやの中山 権律師 覚弁
 新古今 旅 東ちのさやの中山さやかにもみえぬ雲井に世をやつくさん 壬生忠岑(ただみね)
 同 ふる里のけふの俤さそひこと月にそちきるさよの中山 藤原雅経
 同 古郷にききしあらしの声もにすわすれ旅人をさよの中山 家隆
 同 岩かねの床にあらしをかた敷て獨やねなんさよの中山 有家
 同 年たけて又こゆべしとおもひきや命なりけりさよの中山 西行
 新勅撰雑四 光そふ木の間の月におとろけハ秋も半のさよの中山 家隆
 続後撰 旅 可ひか祢ははや雪白し神な月時雨て過るさよの中山 蓮生法師
 続古今 旅 古郷を見果ぬ夢のかなしきはふす程もなきさよの中山 参議経雅
 同 さえくらすさやの中山中中に是より冬の興もますらし 家隆
 同 いかに寝て夢もむすはん草枕あらし吹く夜のさやの中山 中務郷親王
 続拾遺 旅 霧はらふ朝けの袖はひとへにて秋風寒しさやの中山 中務郷宗尊親王
 同 ながめつつ思へはかなし月たにも都にかはるさやの中山 前大納言為家
 親後撰 夏 待あかすさ夜の中山中中に一声つらきほとときす哉 前中納言定家
 同    旅 鳥の音をふもとの里に聞きすてて夜深くこゆるさよの中山 読人不知
 同 旅衣しほれぬみちはなけれとも猶露ふかしさよの中山 俊成
 同 旅衣ゆふくれさむき篠の葉のさやの中山あらし吹なり 衣笠内大臣
 続千載 旅 独行さよの中山半天に秋風さむくふくる月かけ 観意法師
 同 月まちて獨獨えゆかんゆふやみは道たとたとしさやの中山 前内納言為氏
 同 越やらて宿とひかぬる時しもあれ嵐吹そふさよの中山 平範貞
 続後拾遺旅 都にて行きまほのかにもえ出し草引結ぶさよの中山 式子内親王
 同 たび寝するさよの中山明たては行くてにわくる峰のよこ雲 藤原重真
 同 横雲のたなひく方を末に見てこゆれは明るさよの中山 藤原保能
 同 白雲のくる旅寝の哀しきは都を思ふさよの中山 万秋門院
 風雅 秋上 たび寝するさよの中山さよ中に鹿も啼なり妻や恋しき 橘為仲 朝臣
 同   旅  峰の雲浦はの波をめにうけてあらしを分るさやの中山 前大納言為兼
 同 篠の葉のさよの中山なかき夜もかりかねの夢は結ひやはする 光明峰寺入道前摂政太政大臣
 新千載 旅 雪積もる甲斐の白根をとそに見てはるかにこゆるさやの中山 大江義重
 同 東路のさやの中山こえていなはいとと都や遠さかりなん 鎌倉右大臣
 同 哀なり是や限のたひならんわか世も更ぬさよの中山 信生法師
 同 思出てさらにそまよふたらち祢の有世にこえしさよの中山 源頼康
 同 日数行草の枕をかそうれは露おきそふるさやの中山 俊成
 新拾遺 旅 行末は月にやこえむ旅衣日も夕くれのさやの中山 美了法師
 同 かひか祢は猶いかはかり積るらむはや雪深しさやの中山 寐真法師
 同 明ぬとて麓の里ハ出ぬれとまた霧くらきさよの中山 平宜時
 続後拾遺旅 これよりも深き嵐にききなれてこよひは寝ぬるさやの中山 僧正行意
 新続古今夏 おのれのみしはしかたらへ時鳥えあやの中山あふ人もなし 藻壁門院少将
 同    旅 長夜のさやの中山明やらて月にあさ立秋の旅人 参議雅経
 同 明日は又行へき道と思ひ寝の夢にそこゆるさやの中山 法師義宝
 同    恋三 詠めやるそのたの空はつれなくて獨しくるるさよの中山 源保経
     

 

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