12 藤枝 岡部 宇津の谷峠 丸子 千手の里 府中 静岡 27 km 2008/03/15
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東海道の歩きに出かけた。歩き始め、8時30分。 藤枝駅から歩く。藤枝宿まで1里程ある。 |
藤枝宿西の瀬戸川、勝平橋。
いよいよ藤枝宿。 |
藤枝宿。昔があまり残っていない。 |
大慶寺。日蓮宗のお寺。久遠の松あり。静岡県に入ると、日蓮宗が多いように思われる。
成田山。 |
蓮生寺。
一ノ谷で平敦盛を討ったという熊谷直実(蓮生法師)が、法然の弟子になって、関東に下る時、ここで世話になったという。
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水守に、須賀神社のクス。樹齢500年。
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鬼島の建場。岡部と藤枝の間の人夫、馬、籠のお休み場。 |
横内は、岐阜の岩村領の飛び地だった。
東と西に、これより岩村領の表示あり。 |
岡部の松並木。
岡部川、桜(花は梅ではなかった、桜と思う。)、菜の花。 |
小野小町の姿見の橋。 小野小町が、晩年に東に下る時、この橋で、周囲の綺麗な景色に見とれている時、ふと、足元を見ると、長旅で疲れ果てた自分の姿が映っていた。 嘆き悲しんだという。 |
酒「初亀」。
旅籠「柏屋」 |
宇津ノ谷トンネル1号線の昭和と平成のトンネル。
明治のトンネルと宇津ノ谷峠分岐点。 |
岡部側の登り口。
宇津ノ谷峠の頂。
十六夜日記 宇津の山越ゆるほどにしも、阿闍梨の見知りたる山伏、行きあひたり。「夢にも人を」など、昔をわざとまねびたらんここちして、いとめづらかに、をかしくも、あはれにも、やさしくもおぼゆ。「いそぐ道なり」と言えば、文もあまたはえ書かず。ただ、やんごとなき所ひとつにぞ、おとづれきこゆる。 わが心うつつともなし宇津の山夢にも遠き都恋ふとて 蔦かへでしぐれぬひまも宇津の山なみだに袖の色ぞこがるる 宇津ノ谷峠の歌 都にも今や衣をうつの山ゆふしもはらふ蔦のしたみち 定家 袖にしも月かかれとは契りをかず涙はしるやうつの山越 鴨長明 うつの山みちゆきふりのしら雲に誰がことづての雁の玉づき 家隆 はらはねと袖にぞつらき雲ぞ降る花ちる頃のうつの山道 康光 駿河なる宇津の山べにちる花に夢のうちにも誰れ惜しめてと 順徳院 駿河なる宇津の山辺の現にも夢にも人に逢はぬなりけり 伊勢物語 我も又ここをせにせんうつの山分けて色ある蔦のした露 東関紀行 立ちかえる宇津の山臥ことつてよみやこ恋ひつつひとり越えきと 貞応海道記 蔦かへでみるみるしげる軒端かな 宗長 |
峠の地蔵堂跡と石垣。 |
江戸時代の俳人、雁山の墓という。 |
宇津ノ谷の集落。
お爺さんに捕まり、1時間お相手。 戦争の話。国より2億円もらって、使い道に困って、東海道を整備して、昔の面影を無くしてしまった話。(集落の中が、昔の石積みを潰して、石畳の良い道になっている、と嘆いていた) |
東海道。説明書を読むと、東海道は、この程度の道幅があったらしい。 |
丸子側の登り口。 |
宇津ノ谷の集落への入り口。右は、大正のトンネルへの道。
大正のトンネルは、1度通っていると思う。 |
芭蕉句碑。 梅わかな丸子の宿のとろろ汁 十返舎一九の膝栗毛の碑。 |
丸子宿 とろろ汁の丁子屋。
とろろ汁 本陣2000円。席に着くまで、20分、食べ終わるまで、一時間。その間、綺麗な女性を見ていた。 お客の中に、とびきり、綺麗な、30代のお母さんがいた。目の綺麗な、女優さんのような人だった。1時間、見とれてみていた。写真を撮りたかったが、我慢した。 旦那もいい男だった。子供も綺麗なかわいい子だった。時々、声も聞こえてくるが、いい声だった。着ている物は普通の主婦の物だった。 顔は覚えがない。車に乗り込むまで見ていようと思ったが、時間の制約があり止めた。いい思いをした。子供が素直な綺麗な子だったのがいい。 |
丸子本陣の跡。 |
手越
。
安倍川右岸にあり。 |
手越 少将井神社。
十六夜日記 こよひは手越といふ所にとどまる。なにがしの僧正とかやの上るとて、いと人しげし。宿かりかねたりつれど、さすがに人のなき宿もありけり。
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千手の石像。
清盛の子、平重盛はとらえられ、かまくらにおくられたが、重盛を慰めたのが、手越の長者の娘、白拍子の千手。 2002年、鎌倉街道を歩いた時、すでにあったようだ。すっかり忘れていた。 謡曲「千手」に、
これは鎌倉殿の御内に。狩野の介宗茂にて候。さても相国の御子重衡の卿は。この度一の谷の合戦に生捕られ給ひ候を。某預かり申し候。朝敵の御事とは申しながら。頼朝痛はしく思し召され。よく痛はり申せとの御事にて。昨日も千手の前を遣はされて候。かの千手の前と申すは。手越の長が女にて候が。優にやさしく候とて。御身近く召し使はれ候事。・・・・ |
1号線 安倍川鉄橋。 |
安倍川左岸の安倍川餅の石部屋。
つきたての餅で、手作りで作ってくれる。1人前600円。 |
静岡駅前 十五代将軍・徳川慶喜屋敷
跡。
料理屋浮月楼となっている。 |
ようやく、30kmほどを、あまり疲れずに歩けるようになった。2007年秋のしまなみ海道の失敗を回復出来た気がした。
歩き続ければ、まだまだ歩ける。自信が付いた。2008年秋、四国遍路は予定どおり行くつもりだ。 |
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