3 御油 吉田

8 km    1995/07/02

東海道へ


 

 御油は姫街道との追分。姫街道は、東海道の浜名湖今切の海渡りを避け、浜名湖の北部を廻る裏街道です。御姫さんがよく利用したので、姫街道と言う。今日は東海道を吉田に向かう。

totoyohasi950702.JPG (16613 バイト) 御油の東林寺の墓地には、飯盛り女、遊女のお墓があるそうです。

 御油の町を出ると平野部に入り、田圃が広がる。ところどころ高台に至ると、昔からの集落がある。又、東海道は高みの所を通っている。

totoyohasi95070201.JPG (23100 バイト) 小坂井に入ると、伊奈村立場茶屋加藤家跡の看板があった。今は、井戸1つしかないが、昔は流行っていたようだ。芭蕉句碑「かくさぬぞ 宿は菜汁に 唐が羅し」があった。

 小坂井の町外れに、菟足(うたり)神社があり、その近くに「子だか橋」がある。

 昔、菟足(うたり)神社には人身御供があり、街道を通る若い女を生け贄にしていた。ある年の事、贄狩りに出た人の前を、若い女が故郷の祭りと父母に逢う楽しさを胸に秘めて、橋まで来た。見れば我が子である。「どうしよう」と苦しんだが、神の威光の尊さに「子だが止むを得ん」と生け贄にして神に奉った。それからこの橋を「子だか橋」と言うようになったとの事です。今は、12羽の雀を生け贄にしているそうです。

totoyohasi95070202.JPG (22925 バイト) 豊橋、昔の吉田に入ると、瓜郷(うりごう)遺跡がある。弥生時代の住居跡。低地性遺跡の特色を持つそうです。

また、松葉塚あり。芭蕉の句碑「松葉を焚きて手ぬぐいあふる寒さ哉」がある。

 豊川に架かる吉田大橋は120間。矢作橋、瀬田の大橋よりも長かったとの事。

 

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