1 焼津から久能山、日本平 150号線を歩く 静岡 27 km 2000/01/02
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遠い昔、通学の時、静岡用宗間の客車の最後尾の吹きさらしの連結口で、毎日見た冬の富士山が懐かしく、また、大崩海岸を1度歩いてみたいと思っていたことを実行に移した。 この冬は、2度、富士山を見に出かけたが、見ることが出来なかった。今回も見えなかった。 焼津の駅に降りる。何十年ぶりかのホームだが昔の面影は見つからなかった。東に向かう。正月休みのがらんとした港を見ても、思い出す物がない。 この町は、父方の祖先が暮らした所。広く商売をしていたらしい。何屋かは聞き損なった。親父に何回か連れられてきた、懐かしい町であるが、すっかり変わり取り付く島がない。 町外れの虚空蔵さんと呼んでいた、香集寺の山に登る。虚空蔵さんと言う言葉の響きが懐かしい。2,3人の散歩の人に会う。挨拶したが、私のリュックサックの姿を胡散臭そうに眺めていた。怪しい奴と思われたかな。 いよいよ大崩海岸の150号線を歩き始めた。焼津の簡保の宿や大きな旅館があった。海の見晴らしが良さそうだ。歩く人は1人だけ。車は多い。補修工事を至る所でやっている。壊れやすい場所だが、駿河湾の見晴らしは極めて良い。 道は狭く、歩く人への配慮はほとんどなし。トンネル内は懐中電灯を照らし大きく振って歩く。それでも近くに来るまで、スピードを落とさない車がある。 |
山に張り付いた昔の崩れた道を見て、迂回した海の中のコンクリートの道を行く。ここは歩道があった。ここを渡りきると富士山が見えるはずであったが、やはり、富士山は見えなかった。 安倍川を渡り、静岡大谷に至る。富士山を見て歩くことが出来る道だったのに残念だった。途中で昼食を取る。ここから久能街道の旧道を歩く。 今は海側に車道が出来、車はそちらをとおる。急傾斜の水の枯れた川の横にある久能小学校を見て行く。昔、この狭い道をバスがとおり、母親に連れられて、ここで降りた所だ。久能は、お袋の在所。懐かしい所。 終戦の直前と思われる頃、バスが通らず、静岡の駅からここまで歩いたことを思い出した。学校へ上がる前だった。よく世話になった在所だった。おじいちゃんに地引き網を海に下ろす舟に乗せられ、こわごわ大きな波を見て震えていたのを思い出す。最近はすっかりご無沙汰となり、今日は、家を確認して、頭を下げて行き過ぎることとした。 |
久能山に着く。初参りの客で混んでいた。長い坂を登り、参拝。 ケーブルカーで日本平へ。日本平から久能山に戻るケーブルカーは混雑し、2,3時間掛かる由。富士山の見える見晴台に登るも全然見えず。 静岡駅まで、バスで戻り、新幹線に乗った。 |
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