12 岐阜 淡墨

1994/04/13 作成 2003/06/13

その他


 

 大垣で樽見鉄道に乗り換え、1時間で根尾村の樽見駅に着いた。みんな淡墨桜が目的で、同じ道を同じ方向へぞろぞろ。速く歩く事は出来ない。30分位で淡墨公園到着。
 米寿を迎えたご夫婦が建てた、宇野千代さんの淡墨桜の石碑があった。

 「淡墨の桜のことを私に話して聞かせたのは小林秀雄であった。私はすぐ身支度をして根尾村へ出かけた。しかし、私の始めて見た淡墨の桜は、幹が大きく二つに裂け、その裂け口に宿り木が群生、見るも無惨な有様であった。私はこの話を新聞雑誌に書き、人々は口から口へと語り伝えた。この桜の起死回生に役立ったのは、これが原因であったかも知れない。 宇野千代」とあった。

 淡墨桜は、樹齢1500年の古木であるが、太く、たくましい幹と、広く枝を伸ばし花一杯咲かせたその姿は、何か神がかりな感じを与える。まだまだ元気で生きていくぞと叫んでいるようだ。この裏には、沢山な皆さんの肝いりがあったと思いつく。
 神社の前に、ソメイヨシノの桜があった。真っ白の花。こちらは、少し赤みがある。資料によると、散り際に、淡い墨色になるのだそうだが、見た事はない。
 朝の1時間の樽見鉄道の中で、根尾の人と思われるお爺さんと隣り合わした。淡墨桜や世間話の後、何がきっかけか覚えがないが、聞いた事のない話を聞いた。

 昔、娘を嫁に出す時、旅の見込みありそうな若者を連れ込んで、1晩、嫁さんと同室に押し込めるんだそうだ。それから嫁に出す。相手の婿さんもそれを承知している。そうして生活してきたんだとのこと。直ぐは納得出来なかったが、考えてみればありそうな事と思いついた。

 理由は、この山の奥で、人との交流は少なく、同族の結婚が多く、血が濃くなってしまう。他の新しい血を入れるのだそうだ。

 昔は、結婚についての考え方も違っていた。夜ばい、歌垣(うたがき)、謡曲(室町時代まで)の世界の土地が変わる毎の男女関係。有力な人物には、積極的に娘を差し出し、その子を手に入れる。男女の仲が極めておおらかだった。そんな世界だった。一方、閉鎖された 集落では、近親婚が増え、血は濃くなるばかり、悪い現象も出ていたのだろう。多分、昔からの言い伝えもあったのだろう。

 そんな事を思いながら、淡墨桜を見てきた。

 10年近くたった今、写真を見ながら、その時の事が鮮明に思い出した。

 

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