21 唐招提寺 平城宮跡 法華寺   奈良

16km    2008/06/07

京都奈良


 

 唐招提寺の金堂が出来上がるので、待避していた仏さん達が、元の場所に戻るという。間近で拝めるのは、この機会が最後になると思い、出かけた。

 新幹線のダイヤが変わり、1本速い電車に乗らなければならなくなりました。朝、5時、出発。日が長いので、助かった。

 9時半、西の京駅到着。

 南に、薬師寺を見ながら唐招提寺に向かう。

 久しぶりの道。記憶のある道。

 金堂の足場の解体中。ほぼ、金堂全体が姿を現した。

 同じ思いで来た人が多い様だ。

 仏像修理所 本尊・廬舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)、千手観音立像、薬師如来立像が 、金堂から搬出され、ここにて解体されていた。天井にクレーンがあった。

 光背、台座、千手観音の腕が別々に解体し展示。(腕は、現在、953本。最初は1000本だったという)。別々にしないと運べなかったと説明あり。

 江戸、大正の修理で、構造面の改修は終わっているので、今回は、表面の剥落防止が中心とのこと。

 これから、金堂に戻して組み立て、2009年8月完成。

 戒壇。石段は鎌倉時代のもの。僧尼に戒律を授けるために設けた壇。

 鑑真和上は、5年いた東大寺に設けたのが最初という。

 その後、天平宝字3年(759)、この地に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開いた。

 金堂、講堂は、8世紀後半、鑑真和上の弟子が仕上げた。そして、現在まで存続。 

 蓮池。

 醍醐井戸。

 講堂。

 礼堂(らいどう)。僧房のこと。

 芭蕉句碑。

 芭蕉が、鑑真和上坐像を拝した際に詠んだ句。

「若葉して御目の雫拭はばや」

 この柔らかい若葉で鑑真上人の見えなくなった目の涙を拭ってあげたい。

 若山牧水歌碑

 「水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして花よりもなほや白う匂はむ」

 若山牧水

「盲ひてなお浄慧(じょうえ)の人は明らけし面もちしろく春を寂びてぞ」

「み眼は閉ぢておはししかなや面もちのなにか湛へて匂へる笑を」

 会津八一歌碑  どこかにあるらしいが、探し損ねました。

「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ」

 御影堂。

 

 鑑真和上坐像(国宝)。

 東山魁夷が描いたふすま絵。

 御影堂の庭。
 鑑真和上の墓所。
 きささげ。

 ノーゼンカヅラ科の落葉木。

 泰山木。

 モクレン科の常緑木。

 新宝蔵。

 金堂に安置されていた木造大日如来坐像(重文)、旧講堂木彫群と呼ばれる、奈良時代末期に制作された多数の木彫像が収められ、また、金堂の屋根にあった、「天平の鴟尾(しび)」が展示中。

 鴟尾(国宝)   西方 奈良時代。東方 鎌倉時代。

 近鉄を西に越え、垂仁天皇陵を通り、菅原神社へ。お参り。菅原一族の地。道真の誕生の地。

 島原の古梅。

 西大寺駅にて昼食。ざるそば大盛りを注文。追加料金を取らなかった。しかも、味が良かった。

 平城宮跡。

 発掘の一般公開中。

 時間の都合で、パス。あと、少し。

 法華寺。

 本堂にて、本尊木造十一面観音立像お参り。

 華楽園、浴室(からふろ)、光月亭拝観。
 光月亭。

 月ヶ瀬の18世紀の農家を移築した。

 拝観料の高い、お寺参りだった。

 15時、近鉄新大宮駅で電車に乗る。京都のラーメンには寄らなかったが、京都駅でかき氷。

 近鉄、東海道線とも、しっかりと寝た。時間は掛かったが、あっという間に帰宅。21時。ビデオの篤姫を見て寝た。

 

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