9 白毫寺 新薬師寺 東大寺 手向山八幡宮 三月堂 二月堂 唐招提寺 薬師寺 西大寺

1994/11/19 作成 2003/06/27

京都奈良


 

 奈良の白毫(びゃくごう)寺お参り。萩で有名だ。この寺は,天智天皇の皇子のひとり,志貴親王の山荘跡を寺にしたものとも,聖武天皇の高円離宮の跡とも言われている。都が平安京に遷った後,寺は荒廃し,鎌倉時代に再興されたと 言う。「白毫」 とは,仏の眉間にあり,常に光明を放っていたという 「白い毛」 のことで,仏像などでは,丸い珠のように表されている。
 新薬師寺お参り。聖武天皇の眼病平癒を祈願して、光明皇后が建立したと伝えられる古刹で、かつては七堂伽藍が整っていたと言う。現在創建当時の天平建築様式を伝えるのは本堂のみ。内陣の中央には本尊の木像薬師如来坐像が座り、そのまわりを囲むように十二神将立像が安置されている。いずれも国宝。薬師如来の目が大きく美しいことから、現在も眼病の人の参拝が多いと言う。ここも萩の寺。なお、「新」は「あらたかな(仏の霊験がいちじるしい)」という意味。
 春日大社から三月堂への道の人通りも少なく、紅葉は散っていた。
 手向山八幡宮お参り。東大寺を守る宇佐八幡から来た神さん。紅葉の良い場所だ。
 三月堂お参り。法華堂というのが正式の名称、毎年旧暦三月に法華会を行うため、三月堂とよばれる。東大寺創建時代の建築物の一つ。
 二月堂お参り。「お水取り」は、正しくは「修二会(シュニエ)」と呼び、大きな松明を使うところから「おたいまつ」と呼んだり、本尊に捧げる1年間の閼伽水を井戸から汲み上げるところから「お水取り」と呼んだりする。1度見ておきたい。
 唐招提寺お参り。唐の高僧鑑真和上が聖武天皇に招かれ、12年もの間、幾度にも及ぶ苦難の末に来日し 、天平宝字3(759)年、新田部親王の旧邸を賜り受け創建。奈良の大寺のほとんどが勅願による官寺であるのに対し、この寺は鑑真和上発願による私院である。
 薬師寺お参り。天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため発願され、創建した寺である。
 西大寺お参り。称徳天皇が、鎮護国家と平和祈願のため、金銅四天王の造立を発願され創建。南都七大寺の一つに数えられ、百以上のお堂が立ち並ぶほど栄えた。東大寺に対する西大寺だ。 四王金堂(四王院)本尊は十一面観音立像で、創建時の由緒を伝える唯一の建物との事。
 

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