17  後楽園 しまなみ海道 広島平和記念公園 音戸の瀬戸 安神社 岩国錦帯橋 淡路島おのころじま神宮 淳仁天皇陵 由良の門 静御前墓 いざなぎ神宮 北淡震災記念公園 松帆の浦 絵島    岡山 愛媛 広島 山口 兵庫

86km       2007/09/27〜2007/10/02

その他


 

 9月27日、西行き新幹線の1番列車に乗って出かけた。9時、岡山着。今治へは、12時の列車の指定席を取ったので、それまで、後楽園を歩いてみるつもり。

 列車の指定席は、取ったことがないが、今回、しまなみ海道には、たくさんの人が集まるらしいので、指定券を奮発した。

 年金生活では、贅沢は出来ません。行きたいところも、出来るだけまとめて、安く。

 岡山駅前に、 桃太郎の像があった。 以前、あったかな。

 後楽園まで、路面電車の道を歩いた。天気は良いが、暑い。

 後楽園は、川の中州にあった。岡山城も。

 以前、1度来ているのに、始めて認識した。

 2時間、人も少なく、ゆっくり拝見した。

 後楽園の鶴見橋と正門。
 沢の池

 芝生がきれい。

 梅林

 千入の森(ちしお)

 花葉の池。

 絵を描いている人がいた。

 建物群。

 茶祖堂 流店 新殿

 茶畑の茅葺きの売店

 観騎亭 寒翠細響軒

 鶴鳴館 延養亭

 能舞台栄唱の間

 茂松庵
 郭沫若の詩碑。
 鶴舎 タンチョウ。

 郭沫若氏が、寄贈してくれたという。

 今治駅には、2時過ぎ。

 指定席は、3割程度。空いていた。

 宿まで歩く。

 今日は、シングルの朝夕食付き。

 

2007年9月28日(金) 晴れ

 今治城 。

 藤堂高虎の銅像。

 瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ。

 中央会場 今治城吹揚会場。

 テーマ 君とゆく、海の碧、空の青。

 少し、長時間の出発式。準備体操して、ほぼ、先頭で出発。

 ゼッケンは、タオル地のもの、私も付けた。

 四国遍路55番 南光坊。

 来年、歩き遍路の予定。

 

 来島海峡大橋第3大橋 。
 来島海峡大橋第2大橋

 第1大橋の遠景

 チェックポイントと昼食 よしうみいきいき館 。

 到着12時少し前。約14km歩く。

 漸く到着の状態。12時までに、6割18kmは、歩いていなければならない。

 少々慌てるが、暑さで、昼食も喉を通らない。休憩40分。12時30分出発。

 大島 椋名の海岸。

 水音高く、川の如し。

 歩きのスピード、相当落ちる。まめが少し出来はじめる。

 5分、10分の休みが多くなるが、後ろの人波を見ながら、前に進む。

 伯方・大島大橋。16時半。ほぼ 、しんがりとなる。28km地点。

 橋を渡りきるころ、前の人に追いつく。

 ゴール 伯方SCパーク 17時10分。人は、ほとんど居なかった。

 マメが痛い。足の裏にも出来はじめたがまだ小さい。

 最終バスで、大三島の宿に向かう。

 主催者の朝日新聞が、特別号外を出した。
 

2007年9月29日(土) 曇り

 スタート 伯方SCパーク。

 涼しい風。大助かり。

 先頭でスタートのつもりで、ゴールのゲート近くに。出発式に柔軟体操あり。

 スタート地点は、バス発着場側、見込みを間違える。真ん中の出発となる。

 足の裏のマメも気になるが、まずはスタート。涼しくて順調。

 大三島橋。

 スピードの合う人に、付いて歩く。

 追い抜く人が多いが、後ろに長蛇の列あり、安心して歩く。

 多々羅しまなみ公園。10km地点、あと10km。10時過ぎ到着。時速5kmのペース。

 チェックポイントと昼食。

 今日は、昼飯がうまい。11時出発。

 昼には、本日の朝日新聞を配っていた。記事が載っていた。

 多々羅大橋。

 主塔部で、手を叩くと音が反射する。鳴き龍である。

 多々羅大橋を12時過ぎに越えた。  順調な歩き。

 多々羅大橋からゴール瀬戸田市民会館まで、ほぼ海岸沿いの平坦な道。

 13時。健脚コース(40km)の人が逆方向に行く。すでに、35km歩いている。

 私の倍のスピード。凄い。

 瀬戸田の町。落ち着いた町並みだ。

 平山郁夫美術館があった。瀬戸田の生まれとのこと。

 ゴール 瀬戸田市民会館 13時半到着。

 預けた荷物が、まだ、半分以上残っている。昨日は2,3個だった。

 マメが痛い。足の裏が大きくなったようだ。明日が心配だが、宿へのバスの切符は、往復買う。

 瀬戸田の町は、良いところがあるようだが、宿に直行する。宿は、尾道の駅前の向島。

 明日は、バス、尾道駅前、7時出発。

 洗濯して、風呂にはいる。マメは、最悪。足の裏に5cm*3cmの大きさ、しかも痛み、階段は、後ろ向きで降りる。洗濯は順番待ちを含め、3時間。

 夕食は、東京、愛知のご婦人と同席になる。どうも一人での参加のようだ。飯はうまい。ビールを1本飲む。

 マメ、今日までの歩き、明日の歩きが、話題となる。インターネットの話になり、我がホームページのPRを行う。ホームページの名刺を渡す。相手の名前は聞かなかった。ホームページの感想は、メールで貰えそうだ。

 同室の長野の先輩は、健脚。今日も12時過ぎに、ゴールとのこと。

 

2007年9月30日(日) 雨 曇り

 雨。マメは痛く、階段昇降が困難。思い切り、今日は棄権と決める。

 宿に、申し出て、チェックアウトの時間を確認。

 朝食時、東京のご婦人も、棄権とのこと。同室の長野の先輩と、愛知のご婦人に、棄権の挨拶。二人は、大変に元気。多分、歩ききるでしょう。

 7時10分、電話あり、バスが待っているとのこと。棄権を申し出る。詳細は判らないが、宿への申し出が不十分だったようだ。皆さんに、迷惑を掛けた。

 マメは、化膿止めを塗ってバンドエード貼り付け、その上をテーピング。指を挙げて、ようやく歩く。

 10時、宿を出発。広島に向かう。雨上がる

 尾道の本土と向島の渡船。 渡船1分半。

 料金60円。

 今日のゴール 尾道駅前会場。 もう、私は、到着出来ない、ゴール。

 どなたかから、上手にチェックをして貰い、ゴールしたらどうかと、提案があったが、歩いていないからそれは出来ないと言いはなった。

 少し、格好付けすぎたかな???

 尾道駅。広島まで、山陽本線に乗る。

 広島駅 12時着。

 路面電車で、原爆ドーム前に。料金150円。

 2度目の訪問。

 相生橋。原爆投下の目標だったという。 T字形の橋、さぞ、照準し易かったことだろう。
 原爆の子の像。

  「これはぼくらの叫びです

  これは私たちの祈りです

  世界に平和をきずくための」の石碑。

 原爆慰霊碑。お参り。碑文を読む。

 しょうがないと、喋った大臣がいた。要するに、国民を守らないと言うこと、国というか、時の支配者を守っても、個々の国民は守らないと言うことだ。

 広島平和記念資料館を見る。観覧券 50円。

 本通りのアーケード街。

 マメは、何とか歩けた。1万歩、歩く。

 宿へ。素泊まりのホテル。夕食は弁当。ビールなし。

 

2007年10月1日(月) 晴れ

 これから、2日間、謡曲の旧跡、謡跡を、レンタカーで、回ってきます。 8時、出発。

 カーナビが付き、非常に便利。行き先をセットして、その指示通り走る。時には、回り道している時があるが、概ね、良好。

 音戸ノ瀬戸(おんどのせと) 。

 江田島の隣の倉橋島と、本土(呉市)との間の水路で、平清盛が開削した。清盛は、国の外に目が向いていた。

 

 音戸町の舟唄保存会の石碑があった。
 安神社。

 広島市北部の祇園町にある。

 素戔嗚尊(すさのおのみこと)と妻の稲田姫が祀られている。出雲から近いので、広島まで、出てきたのだろう。

 小さな神社。

 山陽自動車道で岩国へ。

 錦帯橋 入橋料300円。

 山口県岩国市にあり。

 吉川英治の「宮本武蔵」 には、佐々木小次郎は、岩国に生まれ、錦帯橋の柳や燕を相手に「燕返し」を編み出した、と書いてあるようだ。読んだが、忘れた。
 錦帯橋 の際に、柳と松。

 山陽自動車道で広島に戻る。

 途中、宮島の島影が、目に入ってきた。

 

 新幹線で、西明石へ。トンネルが多い。携帯は要注意。

 マメは、何とか歩けた。1万歩歩く。

 宿へ。素泊まりのホテル。夕食はカツ丼。ビールなし。

 

2007年10月2日(火) 晴れ

 レンタカーのカーナビに任せ、淡路島へ。

 明石大橋。明石サービスエリアから。

 南の西淡三原ICを降りる。

 おのころじま神宮。お参り。能「淡路」「道盛」に、この名が出てくる。

 おのころは、難しい漢字だ。石碑に彫ってあった。

 日本の神様が、矛の先から、雫が垂れて出来たのが、淡路島で、おのころじま は、その中心という。

 素樸な神社。

 観光バスが1台居た。

 淳仁(じゅんにん) 天皇陵。道鏡の孝謙天皇のころの天皇で、不幸な天皇であった。

 勢力争いに敗れ、淡路に流され、ここで死んだ。「淡路廃帝」といわれる。

 能「当麻」に出てくる。

 由良の門(ゆらのと)

 紀伊半島側の友の島と由良町の間の友の島水道のこと。

 能「玄象」に出てくる。景色の良いところ。

 津名町志筑(しづき)に静御前の墓がある。

 静御前が生まれた土地ともいう。

 能「船弁慶」ほか、多数。

 津名町志筑の西、一宮に、いざなぎ神宮。

 お参り。

 いざなぎ、いざなみを祀っている。

 淡路国の一の宮。

 

 北淡震災記念公園。

 風力発電機1基。容量600kw。高さ60m。

 阪神淡路大震災の野島断層が保管。

 発生 1995年1月17日、M7.3,震度7。

 死者6433人。

 震災体験館にて、震度7の揺れを体験。

 本物のような揺れを40秒、体験。

 江崎灯台 の公園。

 この近くは、松帆の浦(まつほのうら)。

 歌にも詠まれている風光明媚な土地。 今は何もなし。歌碑があると聞いていたが、見付からなかった。

 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ 定家

 絵島 淡路町岩屋にある。月の名所だった。

 能「弱法師」「玄象」「草子洗小町」「知章」 「岩船」に出てくる。

 歩数、8千歩。

 16時、西明石に戻り、新大阪に出て、新幹線に乗る。

 1時間に、1本、新大阪発のひかりがある。

 

2007年10月8日(月)雨

 マメの新しい皮が盛り上がり、痛みが取れました。薬指の根元の皮膚が硬くなり、割れてしまい、昨夜痛かったが、今朝は、痛みが取れた。

 今回の歩きも、多くの人達に助けて貰いました。ありがとうございました。

 

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