65 斎宮 松阪 六華苑   三重

5km       2007/10/16

その他


 

 短歌の仲間で、年一度のバス旅行に行ってきました。東名高速の集中工事時期と重なり、渋滞したが、2時間遅れで帰ることが出来た。
 11時、明和町の斎宮に。

 斎宮歴史博物館を見てきた。65歳以上は無料だった。払った人は、2人のみ。

 斎宮の模型があった。上手に出来ていた。

 みんなの意見を集約すると、総花的な行程になるようだ。昼食のこともあるらしい。

 忙しい。斎宮だけで、一日遊べるのに、、と思った。

 14時、松阪城の中の本居宣長記念館を見学。

 古事記の書物があった。

 左から、買った本に書き込みしたもの、自分が書いた原稿、出来上がった商品(漢字に仮名が振ってあった)。

 本居宣長旧宅 鈴屋。

 宣長の本職は、医者だった。が、著書、蔵書など、16,000点の資料が残されているそうだ。

 今でも、理科系の歌人は、沢山居るが、私には、とても、真似は出来ない。

 玄人ではないが、名古屋には、地学の先生、諏訪兼位さんが居る。

 松阪城は、蒲生氏郷が築いたが、江戸時代は、紀州藩の城となり、紀州藩藩士が出張してきていた。

 その人達の社宅だった、御城番(ごじょうばん)武家屋敷。

 石畳の両側に、檜垣を巡らし、長屋がある。

 松阪城址。石垣のみ。
 16時、桑名、六華苑。

 桑名の山林王、諸戸清六の邸宅だった。

 洋館と和館、倉などと日本庭園の5500坪の邸宅で、ほぼ、創建時のままという。

 洋館。

 和館。

 離れ。
 庭園。
 六華苑前の手前揖斐川と、向こう側の長良川の河口堰。

 この直ぐ下で、両川は合流する。

 河口堰は、役人の失敗と思うが如何。誰がやっても失敗したと思うが、失敗は失敗として、謝ればよいと思うが、謝らない。軍隊と同じだ。

 桑名城址と七里の渡し跡。

 10月の空が暗くなり出した。

 とかく文句を言ってしまう高速道路であるが、その高速道路の整備で、19時前に、岡崎に着いた。

 

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