8 大阪ビジネスパーク 大阪城 大槻能楽堂 大阪 11km 2003/10/25
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大槻能楽堂での「姨捨」を見に、大阪に出かけた。ついでに、長い間行ったことのない大阪城辺りを歩いてきた。 |
大阪城東北の大阪ビジネスパークのビルに38階の展望台があるとのことで出かけた。10時半、38階まで上がったが、シャッターが降りていて、展望台には行けなかった。後で調べると11時から、とあった。しかし現地には、展望台の表示は何処にもなかった。
長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅で降りた。地上まで、長い、長いエスカレーターで、地上に出た。聞き慣れない名前の地下鉄だった。 |
新鴨野橋を渡り、大阪城へ。丁度、水上バスが通る所だった。写真は、頭が切れてしまった。 |
紅葉が始まっていた。写真を撮ってみたが、紅葉らしい写真は撮れなかった。
初めて渡る極楽橋から天守閣へ向かう。天守閣北側に、秀頼、淀殿の自刃の地の石碑があった。又、石積には、大名の名前が刻んであった。秀吉の時代の大名の名は、皆無だそうだ。徹底的な根絶やし。 |
天守閣の入り口近くに、残念石の石碑とその残念石があった。どうやら、使われなかった石のことらしい。 |
天守閣からの見晴らしは、余り利かなかった。展望台は八階、三階には、金ぴかの「黄金の茶室」があった。 |
西の丸庭園に入る。ここも初めて。 一万坪の庭園。大阪ビジネスパークのビル群と天守閣が収まる場所があった。 |
西の丸庭園の北の端に、大阪迎賓館があった。APEC国際会議が開かれた場所だそうだ。鉄筋コンクリート造り。防弾ガラスの窓だそうだ。いま、立ち入りは自由だ。 |
桜門を出て、大手門の多聞櫓と石積の大石を見る。重さは100ton以上とのこと。 |
大手門、大阪城の正門だ。石積と低い建物。天守閣と対照的。天守閣が、さぞ目立ったことだろう。 |
NHKの建物が高い建物に替わっていた。名古屋のNHKと同じ感じの建物。天守閣と同じだなと思う。元NHKの南に、難波宮の跡が公園となっていた。ここに歩兵第八連隊があったと言う石碑あり。 |
上町交差点北西角に大村益次郎の殉難報国の碑があった。京都で襲われ、ここで、手術が行われたが、その甲斐なく亡くなったとのこと。 |
大槻能楽堂があった。全席自由席だったためか、長い行列が出来ていたが、食事前であったので、昼食を取ってから、入った。舞台の正面の席が取れた。 |
14時始め。
増田正造氏の「姨捨」を主としたお話。狂言「文相撲(ふずもう)」、茂山忠三郎師。仕舞「弱法師」、観世清和師。能「姨捨」、泉嘉夫師。 能「姨捨」は、難しいと言われる「三老女」の一つ。 山に捨てられた老女が、捨てられたことを、一言も言わずに、月を見に来た旅人と、月見をする話です。 秋の美しさを深く思い、「薄霧も立ちわたり、風すさましく、雲尽きて寂しき山の景色かな」と謡います。 「月に見ゆるも恥づかしや」と言いながらも、月に心を寄せ、月に同化して行く、と言う、年寄りの心を表現しようとする能です。美しく老いるとは、と問題を投げかける能です。 私も、年寄りの部類に入ると思いますが、判らないというか、出来ないというか、なかなか理解仕切れない能です。 動作はゆっくりで、私ならば、ゆっくり過ぎて、ふらついてしまう。随分、力がいると思う。 泉師の「姨捨を披くにあたって」の中に「さて、今秋の姨捨。立派な方々の支えによって、私のシテはどの程度まで、理想に近づけるか、淡々とした努力を続けたいと存じます。」とあり、 最後に、世阿弥の言葉が掲げてありました。 「しかれば当流に万能一徳の一句あり 初心不可忘 此句、三ヶ条の口伝在 是非初心不可忘 時々初心不可忘 老後初心不可忘 此三 能々口伝可為」
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17時半、終了。上本町まで歩き、近鉄に乗り帰る。 |
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