33 村積山 大給城趾 松平城趾 愛知 8km 2004/10/24
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岡崎市北部に村積(むらづみ)山と言う山有り。登ってきました。所要時間は、奥殿陣屋から頂上まで40分、下り30分でした。
村積山には、村積神社があり、木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)、大巳貴命(おおみたかのみこと)の三柱を祀る歴史の古い由緒ある神社である。 ここにも、持統上皇の行啓があったとのこと。この三河地方は、大海人皇子、後の天武天皇の勢力圏だったとのことです。持統上皇は、その妻で、天皇死後に持統天皇となった。 天武、持統天皇の息子、草壁皇子を祀る神社が、東三河の赤坂にある。 行啓の時の桜が見事だったので、花園山と命名したそうだ。花園と言う地名も残っている。 以前、見つけられなかった三角点を見つけた。村積神社の裏の高台にあった。標高256.9m |
徳川家康の一族に大給松平氏がある。1446年生まれの松平乗元を始祖としている。家康(1542年生)より、100年程前のひと。
大給松平氏は子孫繁栄して、三河西尾、信州龍岡、豊後府内の藩主になっているとの事。これは、現場の説明看板による。 |
豊田市大内町地内。大給と言う集落あり。 大給城趾の碑。 大給城の縄張り図。 |
山の城。掘り割りや土手があるが、小さい。100m四方程度の広さ。松平乗元が住んだと言う。 主な建物があった平坦部。 虎口(こぐち):入り口の事。
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松平乗元の墓。
お城の近くの山の尾根にあった。 |
城から南方方面の見晴らし。
もみじが沢山あった。 |
豊田市松平町
徳川氏の始祖、松平親氏が、応永年間(1400年頃)頃に作ったお城との事。 室町時代の不意の敵襲があった時用の城。 徳川家の松平郷と言う事で、綺麗になっているが、墓所高月院、松平東照宮ほど宣伝されていないので、ここにじょうしがある、と言う程度だった。 |
松平城趾の碑。
曲輪2の看板。 |
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