98 掛川駅 ねむの木村 ねむの木こども美術館 吉行淳之介文学館 ねむの木学園   静岡

10km       2010/08/10

その他


 

 7:00 故郷、島田の寺の施餓鬼供養があり、出掛けた。いつもの通り在来線で。

 掛川で、途中下車して、ねむの木村へ。 

 9:30 掛川駅。ねむの木学園行きのバス停を探す。乗り換え時間20分ほど確保してあったので乗れた。これに乗り遅れると、次は12時。

 東京のご婦人、出身地不明の男性と私を含め3人が、ねむの木村まで。ほぼ、同じコースで村内をまわり、今日1日、仲良く付き合って貰いました。

 お客は、そのほか地元の人2,3人、乗ったり降りたりでした。帰りも同じでした。

 10;10 運転手さんが、終点1つ手前のバス停が都合がいいよ、と教えてくれる。3人とも降りた。

 掛川駅への次のバスは、12時半と確認し、歩き始める。

 今回、初めて、訪問することが出来た。そして、自分の意志で行動する2人に会った。

 ご婦人は、今朝6時前、東京から、在来線で来た。帰りも、今日在来線で帰るという。

 私は、箱根から東、神戸から西は、新幹線を使う。東京まで、岡山までは、日帰りです。私以上に凄い。

 ・宮城まり子さんについて

 若い頃、どこかで、宮城まり子さんに会ったことがあったが、その時の印象は、威張っていた。それですっかり嫌いになった。

 しかし、その後、仕事で、障害のある子供達を世話しているという、浜岡町のねむの木学園を見ることがあった。そして、ある時、吉行淳之介と同棲していることを知った。

 嫌い気持ちが後退して、興味を示し始めたのは、その頃からでした。

 ・障害のある人達について

 ある町長さんが、医学は進歩したが、障害ある人達を長生きさせている、とかいう発言があった。何という言い方、何という考え方だと思う。

 我々、生き物(人間もその1つ)は、出来の良いといわれるもの、悪いといわれるもの、そして、どちらでもない、ほとんどの普通のもの、すべてで 、今の世界を生きて来ている。

 今、生きている生き物は、もの凄い環境の変化があった時などでも、生きている物は絶滅に瀕しても、何とか命をつないできた。普通のものは死に絶えたが、良いものか悪いものか判らないが、一部が生き残り 、環境に対応して生き延びてきた。

 普通の資質から外れる特異な資質を切り捨てるようなことは、絶対やってはいけないことだ。 何が良くて、何が悪いかは、人間の判断出来ることではない。

 天才と言われる人、出来のよい人は、その能力を一杯に使い、頑張ればいいことであり、逆に頑張る義務があるといえる。尊敬は出来るが、当たり前のことだ。

 出来が悪いといわれる人は、天才が良い 資質を引き継いだように、たまたま、出来 が悪い資質を引き継いだだけです。ただ、引き継ぐものが違っただけです。普通の人を含めて、人間であることに変わりはありません。 また、何が良くて何が悪いかは、人間の判断できることではない。

 そして、絶対に、切り捨ててはなりません。

 人間以外の生き物は、1つ1つの命を差別しないで育てます。もちろん、育たないものも出てきます し、育たないようになっている部分もあります。それは、自然が育てたシステムです。

 考えて行動する生き物は 人間だけです(その人間を作ったのも、自然でしたが)。人間は、考える生き物だから、命を差別することは、逆に考えてはならない部分と思います。

 コロンブスが新大陸を発見した、と絶賛するが、それまでアメリカ大陸に生きていた1億人の人達が、天然痘等の病気で9割以上が死んだという。 不幸なことでしたが、どうしようもなかった。

 私は、天才と言われる人、出来のよい人は、尊敬しますが、その人達が威張ると、好きになれません。嫌いです。

 私は、普通の人間でした。しかし、気づかずに威張っていたかも知れません。これからは、少なくとも威張ることはしないつもりです。そして、自分の出来る範囲で、自分で考えて、自分の面倒と共に、他の人の面倒を見ようと思っています。

 私は、今、お金を貰う仕事をしていますが、その仕事がなくなった時は、目の悪い人達の歩きや登山の案内役をしようと考えています。もちろん、私が元気で行動できなければなりません。

 

 ねむの木村に出掛けたのは、以上のような理由からです。

 効率よくする、金儲けする、切り捨てる、の雰囲気だけの今の世界は、気に入りません。しかし、私には、その世界を変える能力はありませんので、自分の出来る範囲で、自分で考えて、最大限の事をやっていこうと思っています。

 

 この通りは、アカシア通り、と言うらしい。
 雑貨屋さん。

 毛糸屋さんと店内。

 施設の子供らの作品の売店らしい。

 職員と子供達。

 はっきりとした挨拶あり。

 溜め池、桜木池。

 前に文学館。帰りに寄ることにした。

 送電線点検のための巡視路。

 舗装道路から、けもの道が山の中に向かう。

 10:30 ねむの木こども美術館。

 文学館共で、1000円。休日は、年末年始のみ。

 この2つ、建物に入った所に掲げてありました。

 ねえ 貴方 私よくまあ つづいていると思います 小どもたちの才能は無限なのですね まり子

 

 わたしたちは造形の神のたまわれた試練を恩恵とうけとりあらゆる困難にたえ 楽しく強くたよることなく やさしくあくまでもやさしく感謝し ものごとに対処し 根気よく自分の造形に挑戦したい 心おどるであろう これがわたしたちのやったことだと まり子
 作品展示場。

 心身に障害を持つ子供達の作品。素直な感性の強い絵。

 ねむの木ギャラリー

 11:20 なお、15分ほど歩くと、別室があったが、閉まっていた。

 子供達の作品があった。

 雨が降り出す。大降りになる前に、文学館に到着。

 出身地不明の男性は、靴がびしゃびしゃ。東京の婦人は、喫茶店に入ったとのこと。

 12:00 吉行淳之介文学館。

 『驟雨』 芥川賞受賞作品の原稿など。

 真理子宛ハガキあり 文面は、言いたい放題。

 『驟雨』 『夕暮れまで』 『暗室』 『技巧的生活』 『砂の土の植物群』

 作品 1つも読んだことがない。

 旧制静岡高校に学んだと言う。

 1957年(昭和32年)に 宮城まり子と知り合った。1960年同居。

 

 吉行文枝『淳之介の背中』

 大塚英子『暗室のなかで 吉行淳之介と私が隠れた深い穴』

 高山勝美『特別な他人』

 宮城まり子『淳之介さんのこと』

 12:10 ねむの木学園。

 学園の外側を1回りしてきた。食堂にて、子供ら食事。

 ねむの木のどかな家。

 名前判らずの建物。

 

 12:30 3人、バスに乗る。

 皆、次の予定あり。駅で別れる。

 私のホームページの宣伝をする。

 いつもの通り、2人の名前、住所は聞かなかった。

 

 14:00 島田市 日蓮宗 成等山正覚寺にて、大施餓鬼会法要に参加。

 歩き 15千歩。

 16:00 在来線で帰る。

 

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