24 興福寺 平城京跡 奈良 5km 2011/05/12 |
歌の仲間のバス旅行、日帰りの恒例行事です。
毎年、旅行中に数首はと思うが、今年も出来なかった。雨の1日でしたが、渋滞もなくのんびり過ごした旅行でした。 |
まず、最初は、興福寺国宝館。
阿修羅像があるはず、で入る。 巡回路の最後に、おわした。 |
東金堂(とうこんどう)。
五重塔。 |
南円堂(なんえんどう)。 |
興福寺の構内道路。
中金堂建設中。 |
昼食は、薬師寺近くの田舎料理店。 |
薬師寺を遠望。
電柱が邪魔でした。 |
平城京の平城宮跡を見る。
1km四方の用地は、ほぼ国有地になっている。今出来ている建物は、大極殿、朱雀門のみ。 建物の上部の構造の書き物はないそうだ。広さ、柱の位置等は土の中に残っていた、想像の建物という。 柱、板は、ちょうな等で平にしたり、丸くしたりして、10年がかりで作ったそうだ。それでも、3年あれば出来るが、金が無くて10年掛かったらしい。建築技術の継承の問題もあったらしい。 奈良時代の宮殿は、場所を変えると、壊して移動するのだそうだ。焼けた、壊れたではないという。政治が不安定で、場所を変えたのだろう。 平城宮跡資料館あり、これより見学。小学生が多く来ていた。
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平城宮模型。 |
役人の働き場所。
机などは、正倉院や、土の中に残っていたので、正確に復元している。 書き物は、木簡が主。 |
木簡 文書、貢物荷札などの付札、その他告知札・暦・呪符・習書(文字の練習)などに用いられた。
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資料館から、若草山。 |
大極殿(だいごくでん)を遠望。 |
大極殿。奈良前期の大極殿。
後期は、この東側にある、第二大極殿。有名な聖武天皇の時代のもの。 |
手斧(ちょうな)の跡の残る、柱、板。
仕上がり見事。 |
内部 |
朱雀門(すざくもん)。平城宮の門。
平城京の門は、これより南4kmに羅城門(らじょうもん)があった。 |
遣唐使船。 |
バスは、朱雀門近くの駐車場に。
我らのバスと、他に1台のみでした。近鉄の踏切に、ガードマン1名おり。役所仕事と思ったが、この程度は、まあ、良いか。 雨が上がっていた。帰りも、順調な走り。渋滞はなかったという。寝ていました。 |
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