32 妙心寺 仁和寺 北野天満宮   京都

12km    2009/01/25

西行・一休など    京都奈良


 

 京都、妙心寺、仁和寺へ行ってきた。半年ぶりの京都です。

 相変わらず、早出の在来線で、花園駅へ。

 10:00 妙心寺 南の総門。
 三門(さんもん)。

 三門には空・無相・無作という、禅の境地による解脱の意味があるという。

 楼上には、観音菩薩や十六羅漢。お参り。

 天井には、人面鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんが)や楽器、飛龍などが描かれている。柱や梁(はり)、組物など一面の彩色が鮮やかで美しい。

 公開していないので、色の退色がないと説明あり。 

 妙心寺中興の祖、雪江宗深(せっこうそうしん)禅師には、四人の弟子があり、後に、「四派」を開き、妙心寺発展に尽くしたという。

 三門の北、仏殿との間に、4本の松の木あり。4本とも根元で2本に別れた松。

 四人の弟子を表し、師匠の松が近くで見守っているという。

 仏殿お参り。
 衡梅院(こうばいいん)お参り。雪江宗深禅師の塔所(たっしょ 墓所)。
 四人の弟子の「四派」が、妙心寺発展の礎となったことを顕彰して名づけられた「 四河一源 ( しかいちげん ) の庭」。

 一面の杉苔に石と楓が調和した美しい枯山水庭園。

 部屋には、水墨画。

 茶室 長法庵。

 天井に大きな楠の一枚皮が張ってあった。

 雪江宗深禅師は、

 応仁の乱で荒廃した妙心寺を再興し、「米銭納下帳」という帳簿を作成し、財政面からの再建を図った。これが「妙心寺の算盤づら」と呼ばれた。

 

 四人の弟子の「四派」とは、

 景川宗隆(けいせんそうりゅう)・・・龍泉派 祖、悟渓宗頓(ごけいそうとん)・・・東海派 祖、特芳禅傑(とくほうぜんけつ)・・・霊雲派 祖、東陽英朝(とうようえいちょう)・・・聖澤派 祖。

 この妙心寺四派は、妙心寺 住持を1期3年で順次交代したという。

 11:30 仁和寺への道、うどん 屋笑福亭で昼食。
 井上靖が、この近くに住み、よく利用したうどん屋という。

 漫才師、今いくよくるよの色紙もあった。

 店のお母さんが自慢していた。

 12:30 仁和寺の二王門(山門) 。

 知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」と共に京都の三大門と呼ばれている。

 真言宗御室派総本山で世界文化遺産。

 仁和4年(888年)に宇多天皇が造営し、「御室(おむろ)御所」と呼ばれて格式を誇った門跡寺院である。

 金堂(国宝)。

 桃山時代に建てられた御所の紫宸殿(ししんでん)を移築した。当時の宮殿建築を伝える貴重な建物。

 蔀(しとみ)戸があり、天井高く、壁に極彩色の浄土図を描いた堂内。

 本尊・阿弥陀三尊像を安置する。

 経蔵(きょうぞう)。

 経蔵(重文)は寛永18年(1641年)に再建されたもの。

 中央に据えられた「天海版」一切経を納める八角形の回転式輪蔵(りんぞう)や、描かれた壁画の細部まで、往時の美しい色彩を今も留めている。

 観音堂。
 御影堂。
五重塔。

御室桜。

 13:30 初天神に出かけた。
 北野天満宮お参り。
 上七軒歌舞練場。
上七軒の町並。
 上七軒のがま口屋。
 上七軒の瓦屋。
 バスで京都駅へ出て、いつもの中華そばを食い帰った。

 中華そば 600円が650円に。

 

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