36 島原 上賀茂神社 曲水宴 社家の家並み   京都

8km    2010/04/11

京都奈良


 

 上賀茂神社の曲水宴に、歌の仲間、3人で出かけた。7時、東岡崎駅出発。新幹線を使う。

 JR丹波口駅を降りて島原へ。

 9:20 島原歌舞練場跡。

 花街(かがい 歌舞音曲の遊宴の場 遊郭ではないという)には、必ず歌舞練場があった。今の祇園、上7軒町なども同じ。

 

 島原歌舞練場の説明と吉井勇の歌。

 宝暦のむかしの夢は見は見つれ夜半の投節(なげぶし)聴くよしもなし 勇

 島原の入り口 大門

 島原のでぐちのやなぎをみて

 なつかしきやなぎのまゆの春風になびくほかげやさとの夕ぐれ  太田垣 蓮月

 蓮月 江戸時代後期の尼僧・歌人・陶芸家。

 置屋(おきや)の 輪違屋(わちがいや) 非公開。

 置屋 太夫や芸妓を置いて、揚屋へ派遣する店。

 

 大門、置屋の輪違屋、揚屋の角屋 島原の面影を残す物は、この3つのみ。

 10:00 置屋(あげや) 角屋(すみや)。

 公開されている。

 置屋 今の料亭に当たるもの 台所があり、宴会の出来る大広間、茶室付きの庭があることが条件という。 

 長州藩志士 久坂玄瑞(くさかげんずい)の密議の角屋 の碑。

 

 久坂玄瑞は、高杉晋作・吉田稔麿・入江九一とともに松下村塾の四天王といわれた。

 角屋の玄関。

 玄関脇の昔の冷蔵庫。

 新撰組、芹沢鴨が残したという、刀傷。
 帳場。

 すべて、付けだったという。

 階下の松の間。

 臥龍の松のあり、茶室3つある、庭がある。

 

 長さのある、軒。
 庭。
 東鴻臚館(ひがしこうろかん)址 角屋の北。

 平安時代、京の中央を南北に朱雀大路が貫き、その七条以北の東西にふたつの鴻臚館(外国の使者の接待の場)が設けられていた。

 白梅や墨芳こしき鴻臚館  与謝蕪村

 島原西門

 島原八景の内、西口の菜花
 
 花の色はいひこそ知らね咲きみちて山寺遠く匂ふ春風  富士谷 世章

 富士谷 世章 江戸時代の国学者。

 10:40

 島原住吉神社 西門の際にあり。

 住吉の松の常磐に春はなほ色香あらそふ神垣の梅  富士谷 世章

 JR丹波口駅〜JR二条駅 電車に乗る。

 11:10 JR二条駅。

 バスで北賀茂神社へ。降りて昼食。

 

 12:10 上賀茂神社。

 正式名称 賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)。

 一の鳥居。

 奈良の小川。

 

 曲水宴会場の渉溪園。

 賀茂ぜんざいの無料接待所。

 13:00 曲水宴。

 本殿拝礼の後、平安時代の服装で、会場へ。

 

 歌人 米田律子氏。

     冷泉為弘氏

 歌人 永田和宏氏。

     河野裕子氏。

 奉行 京都市長の挨拶。
 奉仕役 去年の 葵祭の斎王代が行う。千万紀子さんといい、茶道裏千家の娘さんという。

 今年は、写真撮影に良い場所を見付けた。

 羽觴(うしょう)を流し。

 

 觴 盃のこと。

 歌人は歌を短冊に。
 盃を乗せた乗せた羽觴を受け、酒を飲む。
 被講(ひこう 冷泉家の人々による朗詠)。
 曲水宴が終わった後、歌人の歌の印刷物を貰い、野点のお茶をいただく。

 東京の婦人と会う。昨日、諏訪大社に行き、今日は、こことのこと。歌を詠んでるらしい。我らより上手らしい。

 細殿と立砂(たてずな)。

 細殿前の円錐状の二つの砂の山は御神体である神山を模したもの。鬼門にまく清めの砂の起源という。

 楼門。

 結婚式を終えた新郎新婦。

 14:30

 社家の家々。

 家がなくなり、空き地となっている一角があった。

 15:30 京都駅。

 上賀茂神社からバスに乗った。50分。新幹線で帰る。12千歩。

 

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