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2003/08/22〜2003/08/24

 その他

29 富山 埴生護国八幡 葵塚巴塚 倶利伽羅峠猿ヶ馬場 山姥神社 姨捨山

2003/08/22〜2003/08/24

能舞台の名所・旧跡へ


 

 車で出かけた。小牧ICから高速道路に入り、東海北陸道へ。荘川ICで降り、国道156号線の白川街道を行く。御母衣ダムの湖が大きい。
 白川郷で飛騨牛の焼き肉の昼食を。合掌造りの店だった。夏休み の金曜日だったためか、お客が多かった。白川郷の中心を車で行く。よく写真で見る、合掌造りの集まった地区が垣間見えた。
 白川郷ICから高速道に入る。観光雑誌の高速入り口の地図が珍しく間違っていた。トンネルと橋だけの高速道路と言う感じの道だが、瞬く間に、山間部を抜け、福光に入る。小矢部ICで降りた。
 小矢部市の埴生(はにゅう)護国八幡宮をお参り。木曽義仲の銅像があった。

 謡曲「木曽」は、埴生八幡宮の加護を得て、大軍の平氏に大勝した経緯を描いている。義仲は、学のある覚明に命じて「願書」を作らせ奉納し、倶利伽羅峠で、牛の角に松明を括り付けた、火牛の計でもって大勝した。

 水の絶えない、「鳩清水」があった。富山の名水の1つだそうだ。
  埴生八幡から、倶利伽羅峠に向かう途中の、今は山の中と成ってしまっているが、昔は、街道筋だっただろう所に、義仲の女、巴と葵の塚があった。 二人との女豪傑だったとの事。

 葵は、ここで戦死して葬られ、巴は、その後、別の男に嫁し、子供もでき、長生きしたそうだ。

 倶利伽羅峠に登る。余り高くない峠だ。峠に「猿ヶ馬場(さるがばば)」があった。平家10万の軍隊の本陣の跡だ。

 句碑があった。 「義仲の 寝覚の山か 月かなし」 芭蕉

 この句は越前の義仲の城だった、燧(ひうち)ヶ城趾での句だそうだ。この燧ヶ城を見ていると、義仲も見ていただろうと感慨一入(ひとしお)だと言う意味。。義仲が好きだったようだ。大津の義仲寺に無名庵を営んでいし、墓もある。

 「火牛の計」の牛の像があった。
 越中八尾見向かう。1時間ほどで、八尾の駅前、福島の宿に着く。

 今日は、福島地区の前夜祭で、駅前の仮設舞台での踊り、町流し、福島公民館前での輪踊りがあると言う。8時から10時まで。

 

 「風の盆若き娘の白き腕すらりとのびて一瞬止まる」

8/23 八尾の町を車で走ってみた。下新町、今町、新本町、鏡町、西町。坂の道の両側に店のある通り。落ち着いた町だ。もう1度、来よう。
 途中、聞名寺(もんみょうじ)お参り。浄土真宗のお寺さん。踊りの舞台にも成るようだ。

 また、おわら堂で、卵で出来た菓子を買う。

 富山ICから高速道に入り、朝日ICへ。8号線で、越中と越後の境川に行き、上流に登ると上路 (あげろ)の集落に着いた。

 謡曲「山姥」は、踊りの名手と言う、百万山姥が善光寺参りの途中、上路の山中で、本物の山姥に会う。山姥は舞の奥義を示しながら、山また山を山廻りして、何処へともなく去っていく、筋だ。

 山姥神社お参り。

 神社際、沢の砂防ダムに、山姥の銅板が埋めてあった。

 「山姥の 春立つ尾根は 連ねたる」 義視

 宝生流宗家の親不知薪能「山姥」上演記念植樹の碑があった。又、地元の俳人、斎藤義視氏の句碑があった。もう1つ碑があったが、草が深く蝮の居そうなので、行くのは止めた。

 「山姥の 月夜の舞ぞ 憶ふべし」 義視

 親不知ICで高速道へ入り、糸魚川ICで降り、国道8号を行く。海岸沿いの、冬のどす黒い海が想像も付かない、夏の青く透き通った海を見ながら、直江津までドライブ。
 春日山神社お参り。上杉謙信の居城だった跡にある。山は高く入り込んでいて、山全体が城。城に向いた土地。今は神社と公園になっている。謙信の像があった。
 上信越自動車道で野尻湖に向かう。

 野尻湖のナウマン象博物館を見る。ナウマン象は食い尽くされて絶滅したと説明があった。

 野尻湖は、狩に最高の場所だったようだ。狩ってその場でさばいて、不要な物を捨てたとの事。ゴミ捨て場でもあった。

 高速道路に入り、長野自動車道を通り、長野ICで一般国道に。初めての上山田温泉宿泊。硫黄臭の温泉。食事込みで、宿泊費用1万円で済ませた。
8/24 上山田温泉から姨捨山に登る。登り口を、2,3回間違えたが、無事登る事が出来た。冠着(かむりき)山(姨捨山とも)の車で上る最高地点(1000m位と思われる)まで、登った。余り、みんなが通らない県道らしく、道に草が被さっていた。
 JR姨捨駅を目指し下る。
 駅の下方に、長楽寺があった。天台宗のお寺。お参りする。姥捨(おばすて)山、田毎(たごと)の月とも言われている、月の名所。お寺は割と新しい、江戸時代の創建らしい。
 観音堂、月見堂があり、月を見るに都合よく、東向きになっていた。
 姥岩があった。年寄りの背に似ているから、そう呼ばれたそうだ。

 東に向いて、月見に都合よく、よい岩がありお寺も出来たようだ。江戸時代からの碑がすごい。

 「芭蕉翁面影塚」があった。「おもかげや 姥ひとりなく 月の友」 芭蕉

 日本三塚の一つだそうだ。他の二つは、陸前松島の「松島や ああ松島や 松島や」、常陸鹿島根本寺の「月はやし 梢は雨を 待ちながら」なのだそうだ。

 

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