45 兼六園 風の盆(西町) 平泉寺白山神社 風の盆(鏡町) 鳥越城址 一向一揆歴史館 富山 石川 福井 560km 2005/08/26〜2005/08/28
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26日7時52分、名古屋発しらさぎ1号に乗る。自由席。難なく座れた。米原で進行方向が逆になる。
10時44分、金沢下車。レンタカーを借りる。 レンタカーは、カーナビがあり、非常に便利だが、地図上の自分の位置が判り難くなり、方向も不確かになる。 自分の位置を地図上に2次面的に把握する、昔人間の私には不便。目的地には、難なく到着できる事は結構だ。 |
兼六園を訪ねる。昼飯はざるそばを食う。
琴柱灯籠。何十年ぶりだろう、変わっていない。 |
唐崎松。冬は、雪吊りが掛かり、格好が良くなるようだ。
右は、根上がり松。藩主が、盛った土に植え、成長するに従い盛土を取って根を露出したと説明があった。 |
時雨亭。
最近、再現したとのこと。通せんぼうしてあった。行けなかった。 |
雁行橋。鴨がいた。鴨にとっては安全地帯。
水は、人の作った用水から取っているとのこと。 |
霞ヶ池。 |
桂の古木。 |
金沢城の石川門。1788年に作られた重要文化財。 |
八尾へは、4時頃までに行くつもりでいたので、お城は止め、八尾へ。4時到着。
泊まった旅館で、踊りがあると言う。呼ぶお客があるらしい。横からそっと見せて貰った。 |
鏡町の踊り手だ。踊り手4人で、約30分。
お値段は、5万円位とか。 |
鏡町は、昔の遊郭だったそうだ。この踊りは、始め芸者達が踊った。その後、改良を加えながら、みんなが踊るようになった、と言う。また、今の踊りは、新しいのだそうだ。
女踊りは、鏡町が1番と言う。 |
若い踊り手。背の高い二人だった。 |
町に出てみた。
西町の宮田旅館。 踊りの絵の入った、うちわがあった。1本、1500円。 |
西町の公民館。町踊りの準備中。
若い娘が多い。 |
テレビ局が取材していた。 |
西町の流しが始まった。子供も多い。 |
西町のはやし方。
輪踊りがあったが、明日の鏡町があると思い、切り上げた。(結果的に失敗だった。鏡町は、人が多く、、とても写真どころではなかった) |
鏡町の広場で、練習をしていた。階段のある歩道に座り、見る。
明日、本番も、ここに座ろうと思いながら、撮る。 |
男女が、寄り添う所作があった。
明日、本番が見られる。 |
8月27日 福井県勝山市へ。 |
平泉寺白山神社を訪ねる。 白山を開いた、泰澄大師によって、717年建立された。繁栄したが、一向一揆で焼け落ちた。 |
いまは、苔むした広大な境内がある。 |
旧玄成院庭園 社務所の奥庭にあった。
室町時代の庭園。苔むした庭で、枯れ山水。 苔は、地面からしみ出る地下水のせいと思う。 |
苔の生えた、敷石。 |
本堂をお参り。建物は、他にはなし。
それでも、皆さん、良く来ているようでした。 昼は、ざるそば。店に、有名人の写真が懸けてあった。
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芭蕉の句碑有り。 うらやまし浮き世の北の山桜 芭蕉 平泉寺を歌った歌ではないようだ。帰ってから調べた。 金沢の門人句空宛に贈った句。浮世の北とはその金沢を指す。芭蕉はこの頃、江戸蕉門の派閥抗争、家族の病弱、住いの狭隘と喧騒など、身辺近くに多くの問題を抱えていた。 |
平泉寺町内に、勝山城博物館。
お城は、今の市役所の当たり、町の真ん中のようだ。 |
福井県立恐竜博物館を訪ねる。 |
福井県は、恐竜の化石がたくさん出るところだそうだ。
たくさんの子供達が、親といっしょに来ていた。 |
八尾に帰り、鏡町の階段の場所を取りに出かけたが、すでに、皆さん確保済みで、今更、空いている場所もなかった。これも失敗だった。
今日も、踊りの注文があり、7時からあるという。今日は、写真撮影禁止という。音の録音をした。虫の音の入った、よい録音が出来た。 |
8時からの鏡町の踊りを見に行く。さすがに、人出一杯。鏡町と諏訪町が人気があるんだそうだ。
踊るに丁度良い広さ。見所は十分ですが、人の方が多すぎる、と言う感じ。 |
昨夜は、4組練習していたが、本番は、3組だった。
女の肩に、男の手が載る形、色っぽい。大きな歓声が起こった。 |
一般の人が入っての輪踊りが始まった。 |
踊りには、「豊年踊り」(男女同じ)、「かかし踊り」(男踊り)、「四季の踊り」(女踊り)がある。
「豊年踊り」が、基本で、踊り方の指導があり、一般の人との輪踊りは「豊年踊り」。 |
踊りが終わり、静かな町に戻った。
今回は、見ることは、十分見る事が出来たが、写真は、不十分だった。 良い写真が撮れるまでには、10年位通う必要がある。 |
8月28日 八尾お別れ。 石川県鳥越村(白山市)へ |
鳥越村は、手取川上流の大日川との合流点にある。
鳥越城、二曲(ふとげ)城は、小高い丘の上にあり、鳥越城を見たが、質素な城であった。 500年前、一向一揆が始まり、「百姓の持ちたる國」が、約1世紀続き、織田の武将、柴田勝家らにより、鳥越城、二曲城が落城した。 |
「一揆破れて山河あり」の碑あり。
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本丸への門、中の丸門。簡単な石積があった。
本丸門。 この城で、織田軍を何度も撃退していると言うが、様子からして、後は、人の気力しかない。 最後は、300人ほど生け捕られ、全員処刑されたという。 |
本丸から、手取川下流、金沢方面を見る。 |
鳥越一向一揆歴史館が出来ていた。
鳥越から見た、一向一揆の視点で資料を集めてあるとのこと。 昼食。ざるそば。 |
江戸時代の豪傑僧、任誓の碑。百所のために色々やってくてたとの事。
加賀一向一揆、山ノ内門徒衆 の鎮魂の碑もあり。 |
二曲城址。登らなかった。 |
鳥越の五十谷に、大杉があった。 |
1200年経っている巨木。目通り7.2m。
車は、このようなとき便利だ。 |
俊馬川が、手取川に落ち込んでいる滝。綿ヶ滝という。
この手取渓谷は、幅数十メートルが数十メートル落ち込んでいる。詳しくは知らないが、流れも比較的真っ直ぐだし、手取川は断層の破壊された部分を流れているのではないかと思う。 綿ヶ滝は左岸。 |
右岸からも、水が落ち込んでいる。 |
仏御前の屋敷跡、お参り。小松市原地区にあり。 |
今回、鳥越は、前日27日に行き、今日は白山スーパー林道を越える予定をしたが、全然下手な計画で、ガタガタに変更した。。 従って、時間を余してしまい、今日も、14時金沢着となった。特急1本早く、帰ることができた。 金沢駅前。前夜祭のポスター。 |
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