12 談山神社 良助親王墓 冬野 畑 加夜奈留美命神社 栢森 飛鳥川上坐宇須多岐命神社 稲淵の棚田 奈良 21km 2004/05/02
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1年ぶりの奈良に出かけた。名古屋から近鉄で、桜井まで行き、バスで談山神社へ。10時に歩き始める。 |
談山神社の西大門跡と、そこの石仏を拝見する。6,700年前の石仏。穏やかな仏さん、頭の上がかけていた。 |
また、談山神社は女人禁制だったとのこと。この石柱は、女性の人権に関わる歴史的遺物として後世に残し人権文化の教材にする、と説明があった。
頭のかけた写真になったが、ごめん。 先回は、冬野川に沿って、石舞台に出たが、今日は、ここから南下し、冬野、畑、栢森、稲淵に抜け、石舞台へのコース。 |
舗装のない登りの山道を行く。草刈りされ山道も歩きやすくなっていた。
冬野の名水の看板があり、御不動さんが2体あった。
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30分程で、峠を越えた冬野の集落に着く。数軒の小さい村らしい。標高678m。
竜在峠への道標在り。ここまで、明日香から車が入るようだ。 |
地図を見ると、ここからずっと下りらしい。11時。亀山天皇皇子良助親王墓をお参り。粗末なお墓だったが、例の宮内庁の守衛室、門、看板があった。余りにも山の中。ここの娘に産ませた子かな? |
お地蔵さんと康申さんあり。舗装された際に、山際に移されたようだ。 |
畑の西外れ、細川に出る分岐点に、お地蔵さん。これも古い仏さんだ。 |
飛鳥川に出た。二段の滝あり。女淵あり。男淵もあるのだろう。農耕民族の日本らしい。子孫繁栄と豊作祈願の意味だろうと思う。 |
見事なかえでがあった。赤みの強い葉だ。 |
栢森(かやのもり)の集落の中に、加夜奈留美命神社(かやなるみのみこと)あり。お参り。 |
大きな樹皮の額が正殿に掲げてあった。珍しい物らしい。
ここで、昼食。弁当を買ってきて正解だった。店、便所も無し。無住のお寺さんに便所があったので、無断で借用する。 神社の形式は古いようだ。 |
芋峠に通ずる県道に入る。
栢森綱掛神事の勧請縄「女綱」あり。 綱掛神事は、栢森、稲淵の両大字に伝わる神事。子孫繁栄と五穀豊穣を祈ると供に、悪疫などこの道と川を通って侵入するのを押止し、住民を守護する神事と言う。 |
栢森神事の特徴は、仏式で行い、福石(陰物とも言う)と言う石の上に祭壇を整え、僧侶の法要の後、飛鳥川の上を横切って、陰物をかたどった「女綱」を掛け渡す。
下流の稲淵では、神式で、「男綱」を渡す。 昔は、生活が、おおらかだったんだなと思う。天皇の子を村娘が産むことも、「陰物」をどうどうと飾ることも、ごく普通のことだったんだろう。 |
「女綱」の少し下流に、地蔵石仏群があった。 |
稲淵の手前に、飛鳥川上坐宇須多岐命神社(あすかかわかみにますうすたきひめのみこと)お参り。200段の階段を登る。ここも古い神社。お参り。 |
関西大学飛鳥文化研究所あり。
遣隋使、南淵請安(みなぶちせいあん)の墓あり。お参り省略す。 |
稲淵の綱掛神事。
神式で行い、神所橋と言う橋の上に祭壇を整え、神職がお祓いの後、飛鳥川の上を横切って、陰物をかたどった「男綱」を掛け渡す。 綱の中央の飾り物の形が、「女綱」、「男綱」で異なっていた。見る限りは、縄で編んであるようだ。 |
稲淵から、坂田の棚田を見る。まだ、苗作り中で、田に水が入っていなかった。雪の時も綺麗だろう。 |
坂田の集落。飛鳥川を少し下ると、石舞台へ行く橋、玉藻橋に到着。稲淵は、石舞台から、直ぐだった。気づかなかった。
飛鳥駅から、近鉄に乗る。近鉄八木駅16時の特急で帰る。 |
野の花 |
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