15 島原 西本願寺 東本願寺 京都博物館 知恩院 飛雲閣 青蓮院 仏光寺 仏光寺本廟   京都

1998/04/19 作成 2003/08/12

京都奈良


 

 京都に、蓮如500回忌記念東西合同特別展覧会を見に出かけた。
 勉強せずに島原の町に 来てみたが、島原に何を尋ねるか判らず諦めた。勉強して再度来る事にしよう。
 西から歩いて、西本願寺お参り。国宝の唐門を見る。伏見城から移設した、桃山時代の唐門の代表格で、彫刻のある派手な門。

 書院建物内は拝観出来、能舞台を見てきた。

 本願寺のおおイチョウ。小さい内に剪定等の管理をしっかりやったので、根本から枝を張る特異な形をしている。

 西本願寺は、信長と和解し、石山本願寺(今の大阪城の所)を退いた後、秀吉から寄進を受けたこの地を本拠地とした。

 東本願寺お参り。記念行事の1つ 、仮設の舞台があり、雅楽等の演奏をしていた。900畳の御影堂に上がり、お参り。400畳の阿弥陀堂お参り。

 家康が西本願寺に対抗する教如(きょうにょ)に与えた地にある。浄土真宗の分裂を図り、勢力の分散を図る家康の考えに沿ったものと思う。

 アニメーション映画、蓮如物語の宣伝が寺前の道にあった。蓮如一色だった。
 京都博物館まで歩く。「蓮如と本願寺(その歴史と美術)」の展示をしていた。

 膨大な、書いた文書があった。蓮如は85歳まで生きたが、妻を5人娶り、子を27人作り、最後の子は、死ぬ前年に生まれている。

 晩年は、天皇、公家の世界にも勢力を広げている。

 浄土宗の知恩院お参り。知恩院は浄土宗の開祖法然上人が30有余年にわたって念仏の教えを説いた京都東山の地「吉水の草庵」に始まる。法然上人滅後23年、弟子の勢観房源智上人が報恩のために伽藍を建立し、四条天皇より「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜り、法然上人の御廟、念仏の根本道場の基礎を築いた。
 蓮如の生誕地を尋ねた。当時、東山大谷にあった本願寺。今は知恩院境内の塔頭、崇泰院の敷地。崇泰院の門前の道路わきに「大谷本願寺故地」の石碑が建つ。蓮如が成人となる頃、都は乱世で本願寺は衰微し、宗祖親鸞の真影(木像)と阿弥陀仏を安置した小さな御堂と住居があるだけ。蓮如自ら当時を回想し「御文」(御文章)の中で「あわれなるかな、わが生所はいづくぞ、京都東山粟田口青蓮院南のほとりは、わが古郷ぞかし」と記す。
 生誕の地の北側が青蓮院お参り。17歳の時、ここで得度出家した。『お得度の間』があり、親鸞聖人が得度されたお部屋で、大谷本願寺の代々の宗主、蓮如上人もこの部屋で髪をそったとの事。
 浄土真宗の仏光寺派、四条の仏光寺をお参り。三重県には、高田本願寺派の専修寺がある。共に、関東を主に勢力を得たようだ。
 三条の仏光寺本廟お参り。真宗仏光寺の別院。宗祖親鸞の廟堂の一つ。本堂は,足利尊氏の寄進と言う。
 

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