7 平安神宮 京都会館(遍路シンポジウムと演奏の集い)  京都

7km   2003/04/05

京都奈良


 

 愛知県岡崎市の岡崎公園は、この地方の桜の名所の1つである。ほぼ満開。少し寒いが、人出もまずまずの様子。

 岡崎市内を流れる伊賀川と言う小河川の堤防は、隠れた桜の名所。地元の人しか来ないが、桜は立派。この桜を見ると、この1年、また、生きてきたなと、思う。昨日、見てきた。

 平成遍路シンポジウムが京都、京都会館にあるので出かけた。JR東海道本線で行く。2時間が3時間、乗車賃半分。朝早く出て、時々この手を使っている。

 山科で降りて、地下鉄で、東山駅へ出た。白川沿いの細い道を北に歩き、途中、観世会館に寄り、 京都会館へ。この白川の水源は、疎水だった。今まで知らなかった。白川、疎水沿いの桜も満開。

 京都会館を確認して、平安神宮へ行く。ここも遠くからはよく見るが、境内に入るのは何十年ぶりだろうか。神門を潜り、広い境内へ。

 松の若木があった。上につんつんと伸びている若木は初めて見る。一所に佇んで、暫し見とれる。

 名古屋能楽堂の鏡板(能舞台の後ろに張り付いている松の描いてある壁板のこと)が、若木だったので、一悶着あった。老松の鏡板を追加して作り、現在は、交互に使っている。多くの能楽堂は横に枝の伸びた老松ではある。

 12時半から、「平成遍路 歩けば自分が見えてくる」 シンポジウムと演奏の集い に参加。

 まず始めは、俳人黒田杏子さん「遍路吟行 花に逢う、人に逢う」のお話。私と同年齢との事。うらやましいほどの張り切り、うらやましいかぎりだ。

 60歳までサラリーマンだった、今は退職して俳句、一筋。吟行は、その土地をたずねて、じっくりと土地と自然と人と付き合って、句を作るとの事。歩きと同じだ。主催者の意図もそんな所だろう。

 月岡祐紀子さんの「遍路組曲」の演奏。いやしの音楽、歩く音楽だった。打楽器奏者の熊谷祥子さんから、小鼓が出てきたことには驚いた。驚く方が古いかな。

 名古屋で、五能線という津軽三味線を弾く2人組が居たが、最近聞いていない。頑張っているだろうか。

 二胡は中国の楽器、三味線、琴、尺八は和楽器。音色がいい。西洋の古楽と言われる音楽楽器もいい音色だ。共に好きだ。

 CD「遍路組曲」を買ってきた。

 パネルトーク。佐藤孝子さんのリードで話し合い、と言うより、佐藤さんの問いかけに答える形の話し合いだった。このような形式の話を聞くのは初めてで、TV,ラジオの討論会のように予想していたが、なかなか、TV,ラジオのようには行かないだろうと感じた。

 「掬水へんろ館」の串間さんの、遍路とインターネットの関係の話は、判りやすく、皆さん良く判ったと思う。ただ、遍路とインターネットに感心のない人の耳には、入らなかったと思う。

 読んで欲しいのは、「僕の場合 遍路ひとり歩き日記」なのに、人気のあるのは、談話室とのこと。そうだろうと思う。

 「掬水へんろ館」へ行けば、内容が充実しているので、みんなのほしい、新しい情報が、沢山詰まっているからだ。だから、その談話室へみんなが行く。是を維持するのは、大変なことだろう。

 今回の参加者は、俳句のみの方が多かったように感じた。遍路はまだまだ少数派だ。

 早川暁さんの話は、難しいことだったが、判りやすかった。「探して、見つけること」、「思って、やること」

 やることは、実際は、なかなか出来ない。私などは、師匠の舞台に、定期的に稽古に出かけている、これが続ける条件になっている。要するに、1人では何も出来ず、みんなに世話になっている、みんなの力で続いている。その分、皆さんに感謝しなければならないのに、それも満足に出来ないでいる。恥ずかしい限りだ。

 黒田さんが、盛んに、吟行を続けたと言ったことは、案外、そんなことかもしれないと思った。要するに1人では、何も出来ないと言っているように聞こえた。あんなにしっかりした人さえ、そうだから。

 お遍路も、そうだと思う。

 よい1日だった。

 

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