10 荒子観音 冨士権現社荒子城趾 速念寺前田城趾 愛知 9 km 2003/01/04
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前田利家の故郷を歩いてきた。地下鉄高畑駅で降りると、壁と道に歩きの方向が表示されてある。去年は、沢山の人が歩いたのだろう。 まず初めに荒子観音をお参り。参拝客で歩くも大変かなと思ったが、人は少なかった。 本堂は新しかった。 多宝塔は室町末期の建物で、最近、解体修理が行われた。名古屋最古の建物で、国の重要文化財となっている、との事。 |
お寺の裏から入り込んだので、後回しになったが、立派な門があった。参道が南に真っ直ぐ延びていた。 案内地図に従い、門を出て、右に曲がり、古い面影のある道を たどった。細い昔からの道を歩いて、荒子城に向かった。300mほど南に歩いて荒子城址に着いた。 |
冨士権現社お参り。ここに荒子城があった。TVの「利家とまつ」に出てくる荒子城である。周囲の地形などから見ても、ほんの少し小高い高台の地である。TVでは、周りに山のあるお城だった。東西68m、南北50mの一重の堀のあるお城 だった由。 前田利家卿誕生之遺址の大きな碑があった。 |
名古屋三弘法の1つ、厄よけ大師、宝珠院をお参り。修行大師の石像があり、「へんろは生死の道である 左から一歩一歩あるかねば・・・・・」の石碑があった。私は先月、四国遍路を歩き で一回りしてきた。 |
庄内川の新前田橋を渡り、前田西町の前田速念寺をお参り。前田氏発祥の地である。ここには前田城があった。昔は梅林があり、「梅の寺」とも呼ばれていたそうです。又、前田氏は、菅原道真を祖と仰ぎ、梅鉢の紋を用いている、と説明があった。城は東西100m、南北200mほどだったそうだ。 利家は分家筋であり、本家はこの前田城の前田氏だったが、関ヶ原の時、秀吉側に付き、滅びた。戦死した前田与十郎の墓があった。その子長種は北陸の利家の許に身を寄せた。利家は長種に長女お幸を妻合わせ、能登七尾城を与えて1万石をもって遇した。明治には男爵を得た。 家康と利家の力関係がよく見える。利家が癌で死ななかったら、歴史は変わっていたと思う。 近鉄伏屋駅で、電車に乗った。 |
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