21 三ノ宮駅前 三宮センター街 三宮神社 神戸朝日ホール    兵庫

    言論の自由を考える5・3集会 次は誰だ「つるしあげ社会を問う」を聞く

8km       2011/05/03

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 久しぶりに新幹線に乗った。連休中で、ジパングが使えない。

 行きは混んで、漸く座れたが、帰りは、空き空きでした。早いことも良いことですが、やっぱり、のんびりモードの方が良い。

 11:30 JR三ノ宮駅前。
 11:40 道路上の芸人と人だかり。 その近くには、ものを売ってはいけません、の立て札あり。

 帰りも、別のメンバーがやっていた。

 おおらかで結構です。

 三宮センター街。

 三宮神社の鳥居。

 12:00 三宮神社お参り。

 神戸事件発生地の看板あり。

 神戸事件。幕末、三宮神社の前で、備前藩の行列の前を横切ったフランスの水兵を切って国際問題化。

 責任者1名が、6カ国の立会人の前で切腹して、切りが付いたという。

 外国人に切腹を深く印象付けることとなった事件という。。

 12:50 神戸朝日ビル。

 朝日ホールは、4階。

 神戸朝日ビル横の海に抜ける町並み。しゃれた店あり。

 
 言論の自由を考える5・3集会 次は誰だ「つるしあげ社会を問う」を聞く。

 12:30 会場に入る。

 鞄は危険なので、預けろと言われる。預かり所に行って、理由をただすと、折りたたみ傘が鞄の横にさしてあるせいらしい。

 傘を鞄に入れたら、鞄を提げたままで通れた。

 どうも、傘は持ち込ませるなと言うことらしい。今日のような日は、折りたたみ傘は、皆さん持ってると思うのに。なんで、鞄に入れろ、と言えないのだろう。

 また、コーディネーターの1人が、ペットボトルのお茶のラベルが外してあるのを見て、NHKなら黙っているが、朝日新聞さんもこんなことやるんですねー、と言っていた。

 1987年、朝日新聞阪神支局襲撃事件を機に始まった「言論の自由を考える5・3集会」が3日、神戸市中央区の神戸朝日ホールであり、聞いてきた。500人のホール満杯でした。
 
1 基調講演 「わかりやすさが奪うもの」 50分 森達也(映画監督・作家 オウム真理教事件をテーマにした映画、本を書いている

 ・わかりやすさが奪うもの  そのため危険なものを排除する。大合唱になる。

 ・オウム真理教麻原彰晃事件の裁判 本人は、すでに駄目になっていて、裁判にはならないはずだが、未だに続いている。精神鑑定を受けさせる気配はない。みんな黙っている。早く殺してしまえの雰囲気がある。

 信者は、ごく普通の人達である。皆さん、信者が普通の人と聞いて驚くそうだ。

 ・ オウム真理教→凶悪、洗脳された集団→2元化、極端化→動機の不在→集団化、現場化→仮想的を作る→自衛戦争を始める→強いリーダーを望む。

 戦争は、すべて自衛戦争でした。

 ・ドイツのヒットラー、日本の軍部、20世紀の特徴→子供のいじめと変わらない。

 
2 パネルディスカッション 次は誰だ「つるしあげ社会」を問う

 ・現在の、我が国、世界の、次は誰だ「つるしあげ社会」を問う。メディアや世論が雪崩を打って個人を糾弾する社会について意見が交わされた。

 ・あと、1月もしないうちに刑務所に入るという、堀江貴文氏、事件をめぐるマスコミの報道について「集団リンチのようなつるしあげだった」と振り返っていた。

 ・他のパネリストに、なぜ、組織にへばりついているのか、飛び出したらどうだ、といっていた。

 ・TBS「報道特集」キャスターの金平茂紀氏は「マスコミ内の人の想像力が劣化している」「自分の周りの人、特に、自分の直ぐ上の人の意向でみんな回ってしまう。マスコミがそのように動くのではなく、個人の考えでそのようになる」、と指摘。

 ・また、組織内でやっているのは、まだ、全部組織を活用していないからだ、組織で、大勢の人でやるメリットも大きい。まだ、組織を出る気はない。

 ・映画監督の森達也氏は「報道は加害性があると認識し、なぜ伝えなくてはならないかを考えなくてはいけない」、「事実をしっかりと伝える」。

 ・大阪地検特捜部の証拠改ざん事件をスクープした朝日新聞の板橋洋佳氏は「検察の横暴の事実を見つけることも担当者の存在意義と思い、取材にあたった」、「すべて、自分たちで調べ、記事にした」、という。

 上司、上部機関へは、記事になる直前に報告したという。それで、記事になったという。

 東電の社長が自衛隊機で東京へ向かったが、途中で戻されたという、小さな新聞記事を思い出した。

 ・ビンラデン氏殺害、殺して当たり前のようなアメリカ。そのまんまの報道。歓喜して喜ぶ人達の報道。人を殺して歓喜する、正常と言えるか。

 ・9.11の時は、アラブの人達が、歓喜する映像が流れたという。

 ・私の周辺でも、謡曲の素人会に規定通り、間違いなくやろうと、くどく押し付ける現象がある。

 ・また、ママさんバレーなどもその傾向が強いという。そんなに難しいことを言うとやる人が無くなる。それでも良いらしい。

 ・ゴミのリサイクルも、極めて強い分別の押しつけである。市民は、そんなに暇ではない。分別にそんなに時間はかけられない。

 ・分別の表を各家に配布してあるから、そのように分別して当たり前だという。 今は、面と向かっての言い方はないようだが、雰囲気が変われば、竹槍訓練に出ないのは、非国民であるというようになりそうだ。一般の人がそう言うようになりそうだ。

 ・嫌な世の中に向かっているようだ。

 ・主催者の「折りたたみ傘が危険物」の押しつけは、いただけなかったが、来年も聞きに来ようという気になった。

 

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