a 第1日目     2012/11/11 (日) 

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 経路    −自宅−岡崎駅駅−名古屋駅−徳山駅−光駅−バス室積公園口−普賢寺−バス室積公園口−光駅−新山口駅−

 歩き距離 9.9千歩 7.2km  出発 6時  到着 16時  曇り

 宿屋    新山口駅前 新山口ターミナルホテル


 

 6:00 自宅を出る。

 切符は、岡崎〜博多の向こうの今宿までの一筆書きで購入。ジパングで、9210円。

 利点は行き先に向かう方向であれば、途中下車OK。通用期間7日間。一筆書きから外れる支線、戻る場合は使えない。その場合は、其の区間のみ新規購入した。

 それと西鉄太宰府に行く場合、博多の地下鉄部分での途中下車となり、この場合の扱い方ははっきりしなかった。

 現地に行って、地下鉄の駅員に確認して、結果的に、博多〜天神まで、新規購入。天神〜姪浜は通しきっぷで乗れた。

 11:20 新幹線で、徳山駅到着。駅は工事中で、山陽本線ホームを探す。

 徳山駅山陽本線ホーム。

 約1時間電車待ち。

 ホームで、うどんを食う。

 12:30 光駅。

 バスで、室積(むろづみ)公園へ。

 室積は、潮待ち、風待ち、避難の、良い港だった。

  13:00 普賢寺山門。

 本堂の南にあり。その間に広い庭あり。

 その庭に、普賢寺の本尊、普賢菩薩を安置したという性空(しょうくう)上人の碑、と 平康頼の碑があった。

 平康頼は俊寛等と鬼界ヶ島に流される途中、シケで入港した室積の潮松庵 (普賢寺敷地内にあった)に活堂(かつどう)和尚を訪ねて出家し戒を受けて法名を性照(せいしょう)と改めたという。

 「ついにかくそむきはてけむ世の中を とくすてざりしことぞかなしき」という一首を残した。

 この1首、平家物語巻第二「康頼祝詞(やすより のっと)」にある という。記憶にない。

 普賢寺 臨済宗 元は天台宗という。

 本堂お参り。

 境内の池(堀のような)に、亀がたくさん。

 芭蕉句碑  句は詠めませんでした。

 お地蔵さん、列ぶ。

  「雪舟庭 入口」の石碑につられて行く。

 普賢禅寺の石碑と方丈。その南面に庭あり。

 雪舟が造ったという室町時代後期の枯山水庭。

 拝見料、100円を木箱に。

 雰囲気が滋賀県米原市 の長沢御坊、福田寺(ふくでんじ)に似ていた。

 長州藩撫育方(ぶいくかた)室積会所跡 現在、山口大学附属光中学校。

 毛利藩が瀬戸内海側の年貢米を売り裁いたり、他国の商品の売買を行う役所、長州藩撫育方を、室積に置いた。

  14:00 寺の跡らしい。

 すべて、海に向いている。

 バスで光駅に向かう。山陽本線にて新山口駅(昔の小郡駅)へ。

 新山口駅。

 駅前に泊まる。

 

 

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b 第2日目     2012/11/12 (月) 

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 経路    −新山口駅−バス秋吉台−秋芳洞−景清洞−歩いて大正洞−新山口駅−湯田温泉駅−湯田温泉−

 歩き距離 22.4千歩 16.1km  出発 7時  到着 16時半  晴れ

 宿屋    湯田温泉 スーパーホテル山口湯田温泉


 

 6:00 起床。

 6:30 朝食 今回、姪浜を除いて、朝食の用意がしてあった。

 朝食について、ホテルが競争しているという。

 7:40 秋芳洞行きバスに乗る。

 8:30 到着。

 右の小型は、乗合タクシーでした。

 秋芳洞から、景清洞、大正洞に行くのに利用した。3便/日のみでした。

 秋芳洞入り口への店の並ぶ道。

 その道にカッパの像。「禅師かっぱ」

 銘板「正平9年(1354)干魃に苦しむ村人を救うため、秋芳洞で雨乞い祈願をした寿円禅師と行を共にしたかっぱを禅師かっぱと呼び、水眼成就の守り神として語りつがれてきました。」とあり。水眼は水願 かな?

 秋芳洞入り口。

 景清洞について聞いたら、3洞入場券を進めら購入。2000円。

 始めは、我1人なれど、奥に入っていけば、降りてくる団体客あり。

 秋吉洞内部。

 約1時間 黒谷口まで行き、戻って秋吉台エレベーター出口に出る。

 秋吉台。 カルスト台地。

 樹木のないのは、人間が切ったという。従って、毎年、野焼きをする必要があるという。

 昭和天皇の歌。

 洞内も明るくなれりここに住む生物いかになりゆくらむか

 9:50 景清洞行きタクシーに乗る。

 10:20 景清洞に。我1人のみ。

 錣引き(しころびき)で有名な武将悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)が、ここに隠れ住んだそうだ。

 能「景清」では、盲目の乞食として登場する。場所は日向の国。

 景清は目を悪くして、現在は、目を治す神様になっており、いろんな所に祭られている。名古屋。熱田神宮近くにも、目の神様、景清社がある。知多半島にもあり。

 ここにも生目八幡あり。お参りする。賽銭の音、鳴り響く。

 景清洞内部。
 秋吉台リフレッシュパーク 美東町 の看板。

 今は、美祢(みね)市。

 宿泊施設、オートキャンプ場あり。

 11:00 景清洞から大正洞まで歩く。

 秋吉台縦走歩道を行く。

 30分、2kmほど山越えを歩く。

 11:30 大正洞。
 犬ケ森ポノール。深さ40m。 ここは、雨降りの時のみ流れる。

 ポノール(吸引穴):雨水が、地下鍾乳洞まで流れ込む穴のこと。

 大正洞内部。

 ここも、我1人のみ。

 12;15 食堂あり  昼食。

 13:30 秋芳台行きタクシーに乗る。

 1日3本の2本目に乗る。景清洞から、山越えの歩きの効果だ。

 秋吉台展望台付近の黄葉。

 13;45 再度、エレベーターで秋吉洞へ入る。ゆっくり鍾乳洞を見る。

 14:40 新山口駅に乗る。

 山口行きのバスもあり、迷ったが新山口に決める。

 15:20 新山口駅新幹線口。

 種田山頭火の像あり。この人も山口の人。

 まったく雲がない笠をぬぎ 山頭火

 16:10 湯田温泉駅。

 15分ほど歩いて、湯田温泉へ。

 

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c 第3日目     2012/11/13 (火) 

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 経路    −湯田温泉駅−津和野駅−諏訪兼位碑−益田駅−バス高津−柿本神社−歩いて益田駅−東萩駅−歩いて松陰神社−松下村塾、誕生地、墓地、博文旧宅−

 歩き距離 25.7千歩 19km  出発 7時  到着 17時  曇りのち雨 のち晴

 宿屋    東萩駅前 萩トラベルイン


 

 6:30 起床。7:00 朝食 写真、忘れる。
 7:30 湯田温泉駅ホーム。

 2両連結の気動車に乗る。山口で乗り換える。今度は1両。

 9:10 津和野駅。

 山陰の小京都と言われている。

 乙女峠のマリヤ堂。殉教者追悼のため。

 明治元年から6年まで、長崎から153人のキリシタンが連れて来られて、ここに収容され弾圧されたという。

 拷問で、36人が殉教。

 安太郎は、3尺牢に入れられが、聖母マリヤが現れ慰められたという。殉教。
 殉教の記念碑。

 水責めの池。

 織部灯籠。

 一部にキリシタン灯籠といわれる灯籠があるとのこと。

 帰りの下り道にて、登ってくる牧師に会い、挨拶する。急な登りのため、息が切れていた ので声は掛けなかった。

 永明寺近くの紅葉 と門。

 

 永明寺お参り。

 本堂と境内。

 森鴎外の墓。

 遺言により墓には一切の栄誉と称号を排して 「森林太郎ノ墓」。

 脳医学者、俳人の田中瑞穂の生まれた家。

 地質学者、小藤文次郎の生まれた家。

 名大の諏訪兼位(かねのり)さんの名前の入った説明看板あり。
 
 諏訪先生は、地質学者であり、名古屋の短歌の先生です。
 世話になっています。

 殿町通り。 津和野のメイン道路。

 堀割に鯉。

 津和野町役場。大岡家老 家の建物。

 多胡家老の門。家老を務めた多胡家の武士屋敷の門構え。

 鷺舞 (さぎまい)の像。
 藩校養老館。
 津和野カトリック教会。
 本町通り。

 古い店。店を覗きながら駅まで。

 昼食にカツ丼を食い、予定より1本早いのに。

 11:43 に乗る。

 12:23着 益田駅。

 入ってきた蟠竜湖行きバスに飛び乗り、高津バス停で下りる。うまい具合に目的のバスに乗れた。

 上手に柿本神社を回ってくれば、13時に乗れる、と思う。次は、17時台。 

 12;30 高津の柿本神社

 万葉集の有名な歌人柿本人麻呂の一生は謎に包まれているそうだ。 特にその末路は諸説が、歌人の斉藤茂吉は石見国で流行病に斃れたという。

 

 高津柿本神社お参り。

 

 人麻呂辞世の歌碑。

 鴨山の磐根し枕(いわねしま)ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ

 人磨公像。

 山崎寥村(びょうそん) 石見路に歌の神あり月の萩

 浅井喜多治 椎の実を拾いし子ら足早に石段くだる日の暮るるころ

 益田市高津の町。山口線横断の踏切。

 バスが30分ほど後のため、地図を見て、2km弱を、足早に歩くことにする。

 13:27に乗れた。萩の町を半日早く歩けそう。

 15:00 東萩駅。

 萩の東側を歩く。

 15:15 郡司鋳造所 。

 郡司鋳造所碑と鋳造所。

郡司家は、江戸時代前期に、大砲鋳造の技術により長州藩に召し抱えられた。
 松陰神社お参り。
 薩摩長土連合密議の處の碑。

 松陰歌碑。

 親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん 寅二郎

 松下村塾。
 吉田稔麿(としまろ)誕生地。

 松下村塾において、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、と共に四天王と称された人物である。池田屋事件で死去。

 伊藤博文の 生家。

 初代総理大臣伊藤博文の別邸。東京から移築。

 玉木文之進の旧宅。

 松陰の叔父で、玉木家を継いだ。松下村塾と名付け子供相手の塾を開いた。

 高杉晋作草庵跡地の碑。

 隣には、松陰以下の墓、松陰の生誕地あり。

 吉田松陰の墓。

 高杉晋作の墓。

 玉木文之進の墓。

 久坂玄瑞の墓。

 松陰が金子重輔を従え、下田沖のぺりー艦隊を見つめている姿を彫刻したもので、高さは約8m。
 伊藤柏翠(はくすい)の句碑。

 柏翠 この花の松陰を生み志士を生む

 松陰誕生地の隅にあり。

 松陰の生まれた所。

 16:20 萩の町を見下ろせる山の上にあり。

 岡崎より、30分ほど日暮れが遅い。何とか半日予定を早めることが出来た。

 歩いて、宿に。17:30 到着。

 

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d 第4日目     2012/11/14 (水) 

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 経路    −歩いて野山獄跡、孝允旧宅、菊屋住宅、菊屋横町、晋作誕生地、−明倫館跡、玄瑞誕生地、渡辺蒿蔵旧宅−萩駅− バスで東萩駅−長門駅−歩いて仙崎駅−金子みすゞ館、みすゞ墓参り−仙崎港前−

 歩き距離 21.3千歩 15.6km  出発 8時半  到着 16時半  曇り

 宿屋    仙崎駅前 青海島観光ホテル


 

 7:30 朝食。

 朝の連続ドラマを見てから、出発。

 昨日に続いて歩くことにする。

 9:00 野山獄跡。道路の向こうには岩倉獄跡。

 野山獄が上牢として士分用、岩倉獄が下牢として庶民用だった。

 密航を企てて失敗した吉田松陰は野山獄に、門弟の金子重輔は岩倉獄につながれた。

 松陰は、ここで囚人の教化をしたという。

 田町、御成道 の朝。
 9:30 萩城城下町。

 多数の観光客に出会うが、先に行って貰い、ゆっくり回る。

 木戸孝允生誕地。
 円政寺、金比羅社。

 高杉晋作、伊藤博文の子供時代の遊び学びの場所。

 田中義一生誕地。
 高杉晋作生誕地。

 立志像 2010年10月31日除幕式。

 10:00 萩城の外堀。

 田中義一銅像。

 豪商菊屋家住宅。
 萩美術館。
 10:20 藩校明倫館。
 久坂玄瑞生誕地。
 渡辺蒿蔵旧宅。

 松下村塾に学び、日本近代造船界のパイオニア。

 松陰に学んだ塾生で一番長生きをした人という。昭和14年没。

 金谷神社。

 大木戸跡という。

 11:30 萩駅。無人駅でした。食堂が見当たらないので、東萩駅に戻ることにした。

 萩循環まぁーるバスにも乗りたかった。

 萩駅から北上、左折して城下町を回り、東萩駅へ。運賃100円。

 13:25 長門市行きに乗る。

 14:02 長門駅到着。

 JR仙崎行きは、16:21。仙崎まで歩くことにした。仙崎行きの線路を右に見て北上する、直ぐ、人家は少なくなる。15分ほど経った頃、仙崎方面から歩いてくる若い人に会う。声を掛けると、仙崎の帰りで、長門駅まで行くという。

 同じ方向だったら良かったに、と思う。

 通称仙崎線、正式には山陰本線支線。時刻表にも、線名山陰。

 

 14:40 仙崎駅。

 構内は、みすゞのモザイク絵とみんなの焼き物モザイクが壁一杯に。

 表に仙崎の案内看板。
 15:00 みすゞの家、金子文英堂。

 金子みすゞ記念館 入場料350円。

 駅からの道は人がいなかったが、ここだけ20人ほどの人がいた。自家用車で来ている人のようだ。

 金子みすゞ記念館のパンフレット。
 立派な書あり。
 みすゞの部屋。 2階の部屋。

 「私の髪の」

 

 井戸。

 「井戸ばたで」

 みすゞ座像。

 「我が家の庭」

金子みすゞ について

 日本の童謡の隆盛期、大正時代末期、彗星のごとく現れ、ひときわ光を放った童謡詩人・金子みすゞ。

 金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれ、学校の成績は優秀、おとなしく、読書が好きでだれにでも優しい人であった。

 童謡を書き始めたのは、20歳の頃。投稿した作品が、すべて掲載されるという鮮烈なデビューを飾った、という。西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をした。

 しかし、その生涯は決して明るいものでなかった。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられ、さらには病気、離婚と苦しみが続いた。

 ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去った(1930年)。

 彼女の残した作品は散逸し、いつしか幻の童謡詩人となってしまう。

 それから50余年(1984年)。長い年月埋もれていたみすゞの作品は、児童文学者の矢崎節夫氏(現金子みすゞ記念館館長)の執念ともいえる熱意により再び世に送り出され、今では小学校「国語」の教科書に掲載されるようになった。

 

 歌仲間への土産として、 みすゞ自筆の詩のはがき20枚を。
 16:00 遍昭寺と墓。

 お参り。

 「こころ」

 仙崎港。

 捕鯨が盛んだったという。

 16:20 青海島観光ホテルに 泊まる。

 この旅の初めての2食1泊。魚の料理が新鮮と思われたので注文。

 18:00 夕食。

 客は同年配のおじさんと2名でした。

 

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e 第5日目     2012/10/15 (木) 

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 経路    −仙崎駅−長門駅−下関駅−バス満珠千珠島−バス前田砲台跡−歩いて平家一杯水、天皇入水の地、御裳川−歩いて門司トンネル、和布刈神社、門司トンネル−歩いて赤間神宮、平家一門の墓、芳一堂、金子みすゞ顕彰碑−バス下関駅−門司駅−歩いて柳御所跡−門司駅−水巻駅−歩いて八剣神社−黒崎駅−

 歩き距離 27.9千歩 21.1km  出発 7時  到着 17時  晴れ

 宿屋    黒崎駅前 西鉄イン黒崎


 

 6:00 起床。

 6:20 朝食。相棒は、まだ起きてこない。

 宿の側壁にみすゞのモザイク。金子みすゞ記念館は、直ぐ裏だった。

 7:45 仙崎駅。

 山陰本線の景色の良いところ。長門〜黄波戸(きわど) 長門二見〜宇賀本郷 湯玉〜小串

 海岸線沿いのカーブのある箇所で、見晴らしが良かった。五能線に似ていた。

 10:10 下関駅。

 1日乗り放題のバス切符を。1番遠い満珠・干珠(まんじゅ・かんじゅ)島を見に。

 松原バス停から歩く。

 豊功(とよこと)神社への途中に、櫛崎(くしざき)城址あり。

 石垣の上に民家あり。

 10:50 豊功(とよこと)神社お参り。

 境内から満珠・干珠島を見る。

 豊功神社の宮司さんが、パンフレットを持って話しかけてくれた。

 日の出の名所という。

 明治天皇御製 さしのぼる朝日のごとくさわやかに も たまほしきは心なりけり

 北原白秋作 わたつみの潮満つ珠の照りわたるその島かけて波の寄る見ゆ

満珠・干珠島について

 壇ノ浦の戦の源氏の拠点。

 はじめ潮に乗り源氏が攻めたが、潮が変わり今度は平家が優勢となる。源氏は、満珠・干珠島まで押し返される。

 義経は、平家の船頭を狙い撃ちにして盛り返す。平家方は、寝返りが続き壇ノ浦に押し詰められた。

 天皇入水、知盛、碇をかついで入水。全滅。

 戦いの様子は謡曲「小原御幸」「碇潜」に詳しい。

 前田バス停までバス。

 11:15 前田砲台跡。教科書の図にある場所。

 

 11:30 平家一杯水。

 左に海を見て南下。道路の直ぐ際にあり。

 壇ノ浦。壇ノ浦古戦場の看板。

 高速道路の吊り橋。

 11:40 壇ノ浦砲台跡。
 安徳帝御入水処。

 二位尼辞世 今ぞ知るみもすそ川の御ながれ波の下にもみやこありとは

 義経と知盛。
 御裳川(みもすそがわ)。

 小さな川だった。今は国道の下。

 国道2号線の関門国道トンネルには、人の歩ける人道がある。

 入口にはエレベーターがあり、下関側は地下約55m、門司側は地下約60m降りる。

 通行料は無料。軽車両(自転車・原付)は20円の通行料が必要で、どちらも押して歩く。

 今回、関門国道トンネル、新幹線在来線の鉄道トンネル、計3本を通ったことになる。

 歩くトンネルの長さ 780m。観光で訪れる人をはじめ、ウォーキングやジョギングをする人、通勤や買い物に利用する人などたくさんの方が利用 。

 下関側エレベーターで、歩きの婦人と会う。話が弾んで、写真を忘れた。

 婦人は九州の人、歩いて下関を歩いてきたという。勤め人とのこと。

 旦那は、付いてこないという。年に1度は、一緒に出掛けるようにしているそうだ。

 和布刈神社は初めてと言う。和布刈神社で別れる。

 住所、名前を聞くのを忘れた。ホームページの宣伝も忘れた。

 この4枚は帰りの写真。

 12:10 和布刈神社お参り。
 海藻を刈る神事をするところ。

 謡曲史跡保存会の看板。

 和布刈砲台跡。
 松本清張文学碑。

 「神官の着ている白い装束だけが火を受けて、こよなく清浄に見えた。この瞬間、時間も、空間も、古代に帰ったように思われた。」(小説「時間の習俗」より)

 12:30 下関に戻り 、9号線を行く。

 高速道吊り橋の橋脚部。

 鋼材など最新の物で作ってあると思う。点検をしっかりやっているかな。

 立石稲荷大明神

 平家が京都伏見稲荷の分霊を祀ったと言われる。

 9号線山側の。急斜面にあり。

 12:50 赤間神宮お参り。

 水天供養塔。

 平家一門の墓。
 七盛塚。

 二位尼時子、知盛と弓を取り交わした家長の墓もあり。

 芳一堂。

 七盛の墓包み降る椎の露  高浜虚子

 神もあとたれて千歳に月かなし  其桃(きっちょう)

 黄桜に及ぼす神の光かな  漁陽 ...

 赤間神宮を出て、唐戸から、少し山手にいる。

 金子みすゞの顕彰碑。みすゞは、下関にも住んでいたことがある。

 バス停海響館前から乗り下関駅へ。

 山陽本線の関門トンネルを通り門司へ。

 14:20 門司駅。

 柳御所の場所を聞くも判らんと言う。

 地図を頼りに町の中へ。

 柳御所(やなぎのごしょ)のバス停。
 14:30 御所神社お参り。

 柳御所のあったところ。

 安徳天皇の碑。

 都なる九重の内(おく)恋しくは柳の御所を立寄りてみよ 忠度

 の歌が彫られている。

 君住まはここも雲井の月なるをなほ恋しきは都なりけり  時忠

 分けて来し野辺の露と消へずして思はぬ里の月をみるかな   経正
 

・九月十三夜の歌読の事

 寿永2年(1183年)安徳帝を奉じた平家一門は柳が浦に上陸し柳御所を造営。

 九月十三夜の歌宴を此処で催し次の歌を詠んでいる。

 打解けて寝られざりけり揖枕今宵の月の行方清むまで  宗盛

 月を見し去年の今宵の友のみや都に我を思ひ出づらむ  忠度

 恋しとよ去年の今宵の終夜月みる友の思ひ出られて  経盛

 

・清経、柳が浦へ入海

 重盛三男 左中将清経は柳御所より小舟に乗り沖に出て「哀れはかなき世の中よいつまで有るべき所とて」と静かに念佛して波の底に沈んでいった。
 

・『平家物語』巻第八 緒環(おだまき) では

 上記の薩摩守忠度の歌 月を見し〜 と、修理大夫経盛の歌 恋しとよ〜 は太宰府で詠まれた歌として書かれている。


・『平家物語』巻第八 太宰府落 では、清経の入水について

 小松殿の三男左の中将清経は、もとより何事も思ひいれたる人なれば、「都をば源氏がためにせめおとされ、鎮西をば惟義がために追ひ出さる。網にかかれる魚のごとし。いづくへゆかばのがるべきかは。ながらへはつべき身にもあらず。」とて、月の夜心をすまし、舟の屋形にたちいでて、横笛ねとり朗詠してあそばれけるが、閑に経をよみ念仏して、海にぞ沈み給ひける。男女泣きかなしめども甲斐ぞなき。

 

 15:40 黒崎駅。

 謡曲「砧」に関係ある神社が水巻駅近くにあるので、今から出掛けることにした。

 

 水巻駅の写真を忘れた。駅から地図を頼りに歩く。

 遠賀川(おんががわ)右岸にあった。

 砧の芦屋は、遠賀川の河口にある。明日出掛ける。

 16:30 八剣神社お参り。

 現地には、謡曲「砧」との関係は説明なかったが、日本武尊が熊襲征伐の時、都から逃れてきていた砧姫と結ばれ、その証として植えられたイチョウがあった。

 「金剛流 美賀和会 横須賀」ホームページに八剣神社の説明がある。見に行って下さい。

 大イチョウ。

 樹齢1900年。

 霊樹碑(れいじゅひ)。

 八剣神社、大イチョウの由緒を記した碑。

 この神社の東に、長専寺があり、その境内に鏡観音があり、砧姫を祭っているという。謡曲史跡保存会の看板があるそうだ。勉強不足でした。
 水巻駅に戻り黒崎駅へ。

 九州の鉄道は、複々線で高架が多く運転本数も多い。電車は8両編成。

 17:30 黒崎駅着。

 西鉄のビジネスホテルに泊まる。

 朝食付き。大風呂あり。ベット幅広。今ホテル業界は、この3点で競争をしているとのこと。

 大風呂が良かった。大風呂と行っても10人程度は入れるだけですが。

 

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f 第6日目     2012/11/16 (金) 

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 経路    −黒崎駅−折尾駅−バス山鹿−歩いて魚見公園、山鹿城址−バス折尾駅−東郷駅−バス宗像大社−東郷駅−香椎駅−香椎神宮駅−香椎神宮−歩いて香椎駅−箱崎駅−歩いて筥崎八幡宮、博多東公園、日蓮銅像、吉塚駅−博多駅−天神駅−太宰府駅−太宰府−藍染川−二日駅−歩いて榎社、都府楼址、都府楼前駅−天神駅−姪浜駅−  

 歩き距離 28千歩 21km  出発 7時半  到着 15時半  晴れ

 宿屋    姪浜駅前 ビジネスホテルいずみ


 

 6:00 起床。 6:30 朝食。朝食の写真を忘れる。忘れ物が多くなった。

 予定が進んでいるので、明日の太宰府は今日行くことに変更。天気も悪くなりそう。

 7:00 黒崎駅から折尾駅へ。

 謡曲「砧」の里について

 これは芦屋何某(あしやのなにがし)にて候 と出てくる。

 其の芦屋は、

 遠賀川(おんががわ)の河口、響灘(ひびきなだ)を望む地にあり。遠賀川の左岸。

 右岸は、山鹿(やまが)。謡曲「清経」に、さても九州山鹿の城へも敵寄せ来ると聞きし程に〜 とあり。今回、バス停に戻る時にと思っていた、写真撮りを忘れた。

 

 芦屋へは、バスしか無く、折尾駅からバスに乗った。

 通学時間で、学生が乗っていた。大学があるらしい。

 8:20 芦屋町山鹿の魚見公園に登る。標高70m。

 魚見とは、漁の見張り場のこと。

 ここに国民宿舎があり、頼んだが、満員で断られた。

 句と歌の碑。

 鵜の湾を八重の冬波うちしらめ  野見山朱鳥(あすか)

 天霧(き)らひひかた吹くらし水茎の岡のみなとに波立ち渡る   万葉集 第七巻 覊旅(きりょ)
 

  川向こうが芦屋。約1時間居て、折尾駅へ戻る。

 9:50 東郷駅に向かう。

 10:20 東郷駅から宗像(むなかた)大社へ

 今回の旅は、都合の良いことが多く、運が良かった。

 東郷駅を降りて、数人の乗り込むバスを見付け飛び乗った。 乗ってから行き先確認、大成功。

 謡曲「大社(おおやしろ)」に 第二には湊の大明神九州宗像の明神と現れ給う、とあり。

 また、運の良いことに、20分程後に東郷行きバスあり。急ぎお参りする。

 10:40 宗像大社お参り。

 万葉歌碑。

 ちはやぶる金の岬を過ぐれどもわれは忘れじ志賀の皇神(すめかみ)  巻7 1230

 道の辺の草深百合の花咲(はなゑみ)に咲(ゑ)まひしからに妻と言ふべしや  巻7 1257

 

 11:40 香椎駅。駅前で昼食。

 12:10 香椎駅から香椎線香椎神宮駅に向かう。乗車時間3分。

 謡曲「藍染川(あいぞめがわ)」に 香椎博多を打ち過ぎて、とあり。

 12:20 香椎宮お参り。
 句碑。

 綾杉やこぼす神威や露涼し

 綾杉。

 この近くに歌碑があるらしいが見付け損ねた。

 ちはやふる香椎の宮のあや杉は神のみそきにたてる成けり  新古今和集 読み人知らず

 秋立や 千早ぶる 世の杉ありて  夏目漱石

 香椎駅まで歩 こうと、鉄道に沿って行く。

 10分ほどで着く。

 13:20 箱崎駅。

 博多駅に向かって歩く。

  筥崎(はこざき)八幡宮の裏門でした。
 筥崎八幡宮。お参り。

 一の鳥居と楼門。本殿撮り忘れ。

 楼門には「敵國降伏」の額あり。

 文永の役後の社殿再建時に亀山上皇により寄進されたという。

 蒙古襲来について  説明文には、元寇という表示が多かった。

 文永の役(1274年)では 、ここ筥崎八幡宮は鎌倉幕府軍の根拠地となったが、敗退しすべて焼かれたという。蒙古軍3〜4万人。

 弘安の役(1281年) 蒙古軍15万人。 蒙古軍は、住み着くつもりで鍋釜を持ってきたそうだ。共に、たくさん死んだそうだ。沢山捕虜も出たという。

 筥松 (はこまつ)。

 大楠。

 元寇歌曲碑。

 蒙古軍船碇石や元寇防塁の碑。

 唐船塔 と夫婦石。

 唐船の文字の下に和尚の歌。

 謡曲「唐船」について

 日本に捕われた唐人、祖慶官人(そけいかんにん)が箱崎殿に仕え、日本人妻との間に2人の子をなし平和に暮らしていた。やがて唐土に残した子供2人が迎えに来たので箱崎殿はこれを憐れみ日本で生まれた子も連れて帰ることを許した。

 親子共々喜んで帰ったが、夫婦、母子別れの悲劇もからまった物語である。迎えに来た子が、父がもし死んでいたら建てようと持ってきた供養塔が、この塔という。 箱崎での出来事だが、日本人妻は現れない。

 歌は聖福寺の画僧仙香iせんがい)和尚の作で  箱崎のいそべの千鳥親と子となきにしこえをのこす唐船

 また、祖慶官人と妻が別れるときに腰かけて名残を惜しんだといわれる一対の石を「夫婦石」とい う。

 日本人妻の出ない物語が気になった人がいたんだろう、と思う。

 句碑。

 鯖雲や 大神風の こと語る   河野静雲

 吉塚駅。
 吉塚駅前の東公園に日蓮聖人銅像。

 元寇に因んで建てられたという。

 14:00 吉塚駅から次の駅、博多駅に向かう。

 博多駅で地下鉄天神駅で降りる方法を尋ねるも判らず、地下鉄改札口で聞けとのこと。

 地下鉄で聞くと、博多〜天神まで切符を買って乗れ、帰りはJR切符を見せれば乗れるとのこと。

 その通りやってみた。帰りに天神駅で駅員に声を掛けると、降りた時のことを聞かれる。その他いろいろ聞かれたが、JR切符で改札を通った。

 15:00 西鉄二日市駅。

 15:20 太宰府駅。

 太宰府参道。

 御神牛の像。

 

 太宰府八幡宮。お参り。
 飛梅。
 境内の庭園。

 高浜年尾の句碑。

 紫は水に映らず花菖蒲  年尾

 田口白汀の歌碑。

 ひと時の茜といえど雲を焼く大き自然や限りなき空や  

 東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ の歌碑を見損なう。探しもしなかった。
 光明禅寺。
 藍染川の石碑。道路右の小さな川が藍染川。
 梅壺侍従蘇生の碑。
 謡曲 藍染川について

 京に赴任した太宰府天満宮の神官が、京女梅壷と子供を作った。太宰府に帰った神官を追いかけてきた梅壷は、神官の妻に責められ、藍染川に身を投げる。哀れに思った神官が祈ると、天神が現れ、梅壷が生き返る、という物語。

 生き返るところの謡曲の表現は判りにくい。

 「ここに宿因内に通じて。受け難き人身を受け。知識外に助け逢い難き。誓いの春に。又逢う事も」、とあり。私の能力では、生き返ったと読めない。

 伝衣塔(でんえとう)。

 際の看板に、

 「大宰府横岳の崇福寺にいた聖一国師の夢枕に菅神(菅原道真公)が現れ禅の教えを問うた。そこで国師が宋(中国)の仏鑑(ぶっかん)禅師を紹介したところ、菅神は一夜のうちに宋に渡り、忽ちに悟りを開いて戻って来られたという。渡宋天神の話であるが悟りの証にもらった法衣を聖一国師の弟子の鉄牛円心和尚が納めて建てた塔が伝衣塔であり、その時創建された寺が光明禅寺と伝えられる。 太宰府市」

 梅ヶ枝餅。100円。1個買う。歩きながら食った。

 大宰府天満宮参拝土産として長年親しまれてきた梅ヶ枝餅。

 帰りは西鉄二日市駅にて降りて、榎社と都府楼址を歩いた。

 榎社(えのきしゃ)お参り。

 道真が左遷されてから逝去するまで、2年をここで過ごした。

 榎社は、道真の世話をした浄妙尼(じょうみょうに)を祀っている。

 手島一路の歌碑

 白蓮の清純ここに極まりてきわまるものはかなしかりけり   一路

 都府楼址近く、朱雀大路の交差点。
 都府楼址。

 太宰府の役所があったところ。

 奈良時代から平安時代、壮麗な建築が建ち並んでいたが、天慶3年(940年)に藤原純友の乱で焼失した。

 日が大分傾いてきたので、急ぐ。
 17:00 西鉄都府楼前駅。

 何とか写真が撮れた。

 天神駅で地下鉄に乗る。JR切符で乗れた。JR切符は明日まで有効。

 18:00 姪浜駅で降りる。さすがに暗くなっていた。

 

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g 第7日目     2012/11/17 (土) 

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 経路    −姪浜駅−歩いて姪浜元寇防塁、生の松原元寇防塁、今宿元寇防塁−今宿駅−博多駅−名古屋駅−岡崎駅−

 歩き距離 16.4千歩 12.6km  出発 8時半  到着 19時半  雨

 


 

 朝から雨の1日。今宿まで歩こうと思う。JR切符が手元に残る。

 朝食のないホテルでした。パンと牛乳の朝食。

 8:45  姪浜元寇防塁。

 海側は、埋め立てられ、大きな商業施設。

 「史跡 元寇防塁」の石碑と説明文あり。

 史跡として指定いる箇所は、箱崎、地行、西新、姪浜、生の松原、今宿、今津、の7箇所。

 今日1日、防塁を訪ねている者、私以外1人も居なかった。

 今宿を目指し唐津街道を行く。

 9:15  生の松原。
  生の松原の海岸線。
 生の松原の元寇防塁。

 一部を復元。長さ50m、高さ3m位。

 10:00  生の松原の長さ 3km位。

 海水浴場あり。良い散歩道の海岸線。

 10:20  今宿元寇防塁。
 10:30  今宿駅。

 帰りの切符で乗る。

 姪浜まで7分、博多まで30分でした。

 昼食は博多駅。美味そうで安かった店に入ったが、後で気がついたが、全国のチェーン店でした。

 帰りは、新幹線。大阪で乗り継ぎ、約4時間で名古屋。

 行きのJR乗車券。手元に残った。

 

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