15 唐招提寺 薬師寺 法隆寺 中宮寺 2000/09/03
|
尼ヶ辻駅を降り、垂仁天皇陵の大きな濠に沿って南下する。静かなよい天気だ。まもなく唐招提寺。南大門から見るお気に入りの金堂は工事中で、丸い柱のお堂は囲われて見えなかった。残念であるが、一回りして、戒壇、ダイゴ井、鑑真和上御廟をお参りする。
鑑真和尚は長い時間をかけて何回も遭難しながら日本に渡り、東大寺の戒壇院を作り、天皇に戒を授けた。そして奈良に着いた時は失明していたとのこと。 排仏派の物部氏が排除され100年以上経った頃のことで、仏教国家が形を整えた時期であり、最後の仕上げをしたんだなと思う。その当時の日本の力を感じると共に、和尚のこのようなエネルギーはどこから出たのだろうかと思う。 このお寺の雰囲気は、いつ来ても最高だ。 池越えの薬師寺を見たくなり、南大門を出て南へ歩き、西の京駅横を西に通り抜け、国立療養所前の大池へ出た。以前、大きく見えた薬師寺が今日は小さくしか見えない。 この場所の眺めは、朝夕、また、秋の場所かな。いつもの薬師寺が見えなかった。大池だけ馬鹿に大きく見えて、薬師寺はあまりにも小さくしか見えない。気持ちの持ちようかもしれない。 薬師寺へ戻る。道が下りだ。大池は随分高いところにあるんだなと思いながら道を下った。5万分の1地図を見ると、薬師寺と大池の高さは50mの差があった。 薬師寺北口から入り、西塔、東塔をお参りして、南口から出る。ここも工事中。いつも感じるが、唐招提寺の方が、親しみがもてる。どうしてかな? 昼も近いので、食堂を探しながら表通りへ出るが食堂なし。法隆寺行きのバスを待つ。時刻表を見ると、1時間2本の回数、丁度良く、すぐにバスが来た。これに乗る。 法隆寺で食事。 |
久しぶりの法隆寺である。南大門へ歩く。回廊、金堂、五重塔とも飛鳥時代の建物、600年代の物。700年代の平城京は何にも残っていないのに、法隆寺はでんと腰を下ろしたように堂々とここにある。
唐招提寺の講堂は平城宮の建物を移築した物だそうです。東大寺、興福寺は、良く焼けたのに、平城京の中心部にあった唐招提寺や、この斑鳩のお寺は、良く現在まで残った物だと思う。政治への関わりがなかったためかな。 斑鳩は難波と飛鳥の交通路にあり、聖徳太子が長く住んだ所。遣隋使を派遣した所。その頃の実力者蘇我氏を避けた所が見える。 聖徳太子法隆寺建立は607年。大化改新は645年。蘇我氏滅び、藤原氏の世になる。法隆寺も政治への関わりがなかったのかなと思う。 |
中宮寺の半カ思惟像をお参り。コンクリートの建物の中におらした。太子の死を悼んで作られたと言う、天寿国繍帳は気が付かなかった。斑鳩宮跡と言う若草伽藍はどこか判らなかった。聞いてもみなかった。少し勉強してから改めて来よう。
(拝観のしおりによれば、中宮寺が斑鳩御所の場所とあった。また、中宮寺の旧地は東方3丁の所で最近発掘調査した。とあった。若草伽藍はこの中宮寺の近くかもしれないと思った。) 今回は、謡曲に関係する所が少しも無かった。 法隆寺の少し西よりに、大和川に注ぐ竜田川、竜田神社があり、謡曲「龍田」の謡蹟である。久しぶりのお好みのお寺さんに熱心になり過ぎ、行くつもりが行けなくなった。 JR法隆寺駅まで、バスに乗りJR奈良駅に戻った。 |
以 上 TOPへ戻る |