6 三重 伊勢神宮内宮 竹神社 斎宮 忠盛塚 伊勢平氏発祥地 阿漕塚 伊勢神宮内宮外宮 久昌寺  四天王寺景清鎧掛松 景清遺跡

1994/09/24 作成 2003/06/25

西行・一休など    能舞台の名所・旧跡へ


 

 伊勢神宮内宮お参り。天照大神のお宮。謡曲「花筺(はながたみ)」「大原御幸」「絵馬」「氷室」「佛原」「水無月祓」「右近」に、天照大神が出てくる。

 ここを流れる五十鈴川は、御裳濯(みもすそ)川とも言う。謡曲「御裳濯」があるが、今は金春流のみ。御裳濯川は、「大原御幸」「第六天」「國栖」「絵馬」「金札」に出てくる。

 竹神社お参り。謡曲「絵馬」に「これははや勢州斎宮に着きて候。今夜は節分にて、この所に絵馬を掛くると申して候間、今夜はこの所に逗留し、絵馬を掛くる者を見ばやと存じ候」とあり、斎宮で絵馬を掛ける行事があった。今は、この竹神社に絵馬堂が有るのみ。
 斎宮跡も少し整備され、公園になっている。「史跡斎王宮址」「斎王宮址」の石碑があった。

 謡曲「野宮」で、六条御息所が姫の斎宮について伊勢へ行ったことなどを扱っている。六条御息所は光源氏の女で凄い女。

 津市産品(うぶしな)は、代々の伊勢平氏の根拠地で、平清盛の父親、忠盛が生まれた地だ。忠盛も中央で活躍し、 子の清盛の時、盛期を迎えた。忠盛の胞衣(えな)塚、産湯池、邸宅址など有るとのことだが、見ていない。
 津市阿漕町の阿漕(あこぎ)塚を尋ねる。謡曲「阿漕」の地。

 神宮の御用禁漁区で、密漁した漁師がついに見つかり簀巻きにされ殺された。後に尋ねて来た僧が、そこの漁師に聞くとその謂われを話し、回向を頼まれ、回向すると漁師の霊が出てきていろいろ話し、なお、回向を頼み消え失せる。

 西行が、止ん事無き女に、通い詰めた時、「阿漕なるぞ」とたしなめられた。「隠し事も積み重なれば、ばれるぞ」の意味。

1996.3.17 伊勢神宮内宮外宮をお参りした。
 内宮をお参り。
 1996年のおかげ横町。赤福本店。
 外宮をお参り。
1997.1.19 伊勢の知盛山久昌寺を尋ねた。
 伊勢市矢持町の知盛山久昌寺(ちしょうざんきゅうしょうじ)お参り。お寺の縁起説明板に、知盛(とももり)は、生き残り 一族を引き連れ、この地へ逃れ再起を図った。この寺も創建したとあった。
 1998.1.2 伊勢街道を歩いている時、津市の四天王寺境内に景清鎧掛松の石碑を見つけた。
 安濃川の手前に四天王寺あり。お参り。聖徳太子建立とも言う。

 境内に平景清鎧掛松の石碑あり。景清は藤原秀郷(ひでさと 俵藤太とも言う)の子孫で伊勢の住人だったと言う。

2000.11.4 桑名市志知にて、景清遺跡の石碑を見つける。
 景清が平家の目代としてこの地にあった時期があった。子が出来、母方の姓を名乗り今も生きているとの事。その邸跡にこの碑を建てたとあった。
 

以    上  TOPへ戻る