6 東京 目黄不動尊 吉原見返り柳 吉原神社 水天宮 深川えんま堂 深川不動尊 富岡八幡 梶原稲荷 最明寺時頼供養塔 綱坂 慶元寺 井草八幡

1994/06/19〜1994/06/20 作成 2003/06/20

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 目黄不動尊は江戸五色不動の1つであり、永久寺と言うお寺さんだ。江戸五色不動とは、目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊のことで、寛永年間(1624〜43)の中頃、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定したと伝えられている。
 吉原見返り柳を尋ねた。遊び帰りの客が後ろ髪を惹かれる思いをしつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから「見返り柳」の名が付いた。今は、ただの柳だった。
 吉原神社お参り。吉原の地主神の稲荷を合祀して吉原神社を作った。

 「吉原の古地図あり」の小さい看板を出している家があったので、尋ねてみると、吉原の記録がなくなってしまうので、自分たちで作ったとの事。1部求めて帰る。

 昔の遊郭らしい家が幾つかあったが、トルコ風呂とかの看板の店が多かった。

 水天宮お参り。水難の神さんであったが、今は安産の神さんとして有名。九州久留米の有馬さんの水天宮が発展したもの。有馬屋敷の跡に建っている。安徳天皇、建礼門院、二位の尼が神様。謡曲「大原御幸」のメンバーを祀っている。
 深川えんま堂お参り。法乗院と言うお寺さん。曽我五郎時致(ときむね)足跡石がある。足跡がしっかり付いた石だった。

 仇の工藤祐経を探しに来た時、残したと言う。

 深川不動尊お参り。成田山新勝寺の別院で、参詣客が絶えない。
 富岡八幡お参り。寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて6万余坪の土地を得た。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」。
 品川の梶原稲荷お参り。梶原景時の所領だった。品川の海を下に、遙かに安房、上総を見渡せる景勝地だったそうだ。
 品川の海晏寺(かいあんじ)の最明寺時頼供養塔お参り。謡曲「鉢木」の北条時頼である。梶原景時の供養塔もあるようだが、見つからなかった。
 慶応大学の近く、三田の三田綱町に渡辺綱産湯井を尋ねたが、見つからず、かわりに「綱の手引坂」、「綱坂」を見つけてきた。渡辺綱は嵯峨源氏、源頼光四天王の1人。謡曲「羅生門」のワキ、「大江山」のワキツレである。
 世田谷の慶元寺お参り。頼朝旗上げには、平家側であったが、再起した頼朝には参加した、江戸三郎のお寺。

 その後、皇居の辺りを治めていた江戸氏が太田道灌によって追われて、隠れ住んだのがこの地であり、江戸氏の名前も変え「喜多見氏」と名乗るようになった。「江戸時代」には江戸氏は既に存在せず、地名だけが残った。喜多見氏は徳川家康に召し抱えられ、大名になったが、元禄時代に刃傷沙汰を起こしお家断絶となってしまった。

 杉並の井草八幡お参り。奥州平泉を攻めた時の、天然記念物となっている源頼朝手植黒松を捜した。老松は枯れて保管され、後に、若松が育っていた。
 

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