3 静岡 焼津神社 小夜の中山 千手の墓 熊野の里

1991/05/22 作成 2003/05/08

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  謡曲「小鍛治」のクセに日本武(やまとだけ=日本武尊)が東征に出た時火を放たれ、草薙の剱で草を払うと、焔と草が吹き替えされて猛火は却って敵を焼けば数万騎の夷どもは忽ちここにて失せてんけり、とある。

 その場所は、ここ焼津と言われ、日本武尊が祭られている。境内には石像があった。

 日坂の、夜泣き石の小夜の中山。東海道の谷の迫った難所の1つ。昔は、夜泣き石が道の真ん中にあったそうだが、今は、1号線際と久延寺にある。

 昔、女が、襲われ殺されたが、傷口から子が生まれ、女の魂魄がそばにあった丸い石に乗り移り、夜毎に泣いた。村人は、その石を夜泣き石と言った。子は久延寺の和尚に飴で育てられた。その子は成長し、母の仇を見つけ、仇を討った。その後、弘法大師がこの話を聞いて、石に同情して、仏号を刻み立ち去った。 と言う言い伝えがあるそうだ。

 久延寺前の旧東海道。

  謡曲「千手(せんじゅ)」の千手の前のお墓が磐田市にある。お参り。

 奈良の寺を焼いた平重衡が源氏に捕らえられ、鎌倉に送られる途中、手越の里で、千手が世話をし仲良くなった。その後、平重衡は京木津で殺されるが、千手は尼になって供養したとの事。

 字野箱と字白拍子の境界付近に「傾城塚」があり、「せん松樹傾信女(せんしょうじゅけいしんじょ)」(せん:南の右に「成」の字)が刻んであったそうだ。字名の白拍子、千手堂も何か曰くありげな地名である。現在まで残る理由があるのだろう。

 豊田町池田に 謡曲「熊野」の熊野の生まれ故郷、池田の宿である。墓は、行興寺の藤棚の中にある。藤野めいしょでもあるが、東海道が出来てからは、すたれた里になった。

 

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