4 東福寺 泉涌寺 六波羅蜜寺 阿古屋塚 清盛塚  六道之辻 六道はん 経書堂 馬留め 清水寺 地主権現 地主桜 子安の塔 音羽の滝 田村堂 八坂の塔 高台寺 西行庵 長楽寺 八坂神社 忠盛灯籠 蹴上 仏光寺 粟田神社 鍛冶神社 相槌稲荷 金戒光明寺

1993/02/25 作成 2003/05/27

西行・一休など    能舞台の名所・旧跡へ


 

 俊成の墓を尋ねて 、新幹線の南の東福寺へ行ったが、見つける事が出来なかった。東福寺お参り。
 隣の泉涌寺お参り。真言宗のお寺であり、皇室の菩提寺との事。謡曲「舎利」の舞台。足疾鬼(そくしっき)がここの舎利 (しゃり)を奪って逃げるが、寺を守る韋駄天(いだてん)が追いかけ追い払い舎利を取り返す話。正面に仏殿、その後ろに舎利殿。
 今熊野観音寺をお参り。十一面観音が本尊のお寺で、後白河法皇が深く信仰して見えたそうだ。
 六波羅は平安末期は平氏の屋敷が並び、鎌倉に入ると、六波羅探題があった。十世紀頃、空也上人が開いた六波羅蜜寺お参り。今は、真言宗。
 その境内に、阿古屋塚。景清の女であり、歌舞伎では、琴三味線を弾かせる、琴責めで詮議される。 景清の事をばらしてしまい、景清を怒らた。景清を密告した阿古屋は頼朝の怒りを買い、簀巻きにされて川に投げこまれるんだそうだ。

その隣に清盛の塚があった。 理由はわからない。

 六波羅蜜寺から北へ50mほどで松原通に出るが、その角が六道之辻。少し清水寺へ向かうと、左に 地元の人は六道はんと言う、六道珍皇寺(ちんのうじ)。

 謡曲「熊野」に「愛宕(おたぎ)の寺もうち過ぎぬ、六道の辻とかや。げに恐ろしやこの道は冥途に通うなるものを心ぼそ鳥辺山・・・」とある。謡曲の文句と合わないが愛宕の寺は六道はんらしい。六道はんで弔われ、葬送の道、六道の辻を通って、「心ぼそ鳥辺山」に捨てられた。

 清水寺の裏に鳥辺野、鳥辺山があり、昔からの葬送の地であった。今も、広大な墓地である。

 なお、少し行くと、経書堂(きょうかくどう)。謡曲「熊野」に「御法の花も開くなる経書堂はこれかとよ」とある堂だ。
 謡曲「熊野」「はや程もなくこれぞこの車宿り馬留め(くるまやどりむまとどめ。ここより花車おりいの・・・」とある、馬留め。清水寺の仁王門の階段の左にある。
 修学旅行の写真の清水寺の仁王門。清水の舞台。
 清水寺の境内に地主権現の地主神社。地主の桜。桜の名所であり、謡曲「田村」、「熊野」で、誠に上手に、桜の美しさ、見晴らしのよさを謡っている。
 今は名前が変わってしまったが、田村堂がある。征夷大将軍坂上田村麻呂のお堂。謡曲「田村」は田村麻呂の話で、田村堂の中に消える場面がある。

2003年9月7日 以前無かった、田村堂と言う名札が、掛かっていた。真新しい名札だった。

 音羽の滝。高血圧神経痛など慢性病を治してくれる霊水。昔から評判がよい。
 境内の奥、清閑寺の近くに、子安の塔。聖武天皇の皇后、藤原不比等の娘の光明皇后が孝謙天皇を生んだ時、天照大神から貰った観音山を祀ると言う。
 八坂道の八坂の塔。聖徳太子の草創との事。白鳳時代の様式と言う、柱の礎石を拝観。塔内の仏さんをお参り。

 この辺りが、謡曲「熊野」の「祇園林下河原 (ぎおんばやししもがわら)」である。

 高台寺お参り。秀吉の女房浅野ねねのお寺。謡曲「自然居士」の自然居士は人の名前。東山雲居寺に仕える修行中の僧。その雲居寺の場所に建てたのが高台寺である。

 行動力、正義感に富んだ自然居士が、人買いに買われた少女を助ける交換条件に見せる芸づくしや人買いとの激しい会話の応酬が見どころ。自然居士は、鞨鼓を打ったり舞を舞ったりの遊興で仏教を広めた人。

 円山公園の近くに、西行庵を尋ねた。京都での隠棲の地と言われ、「願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」を詠んだ所らしい。

 西行桜もあったようだが、今回、見あたらなかった。

 ここから東に突き当たった所に長楽寺がある。時宗のお寺。安徳天皇を死なせた、建礼門院が京に帰り、最初に入ったお寺である。
 八坂神社の境内に、平忠盛灯籠がある。清盛の父親。八坂神社の鬼退治で名をあげ、白河法皇から祇園女御を貰っている。西海の海賊退治、宋との貿易などで平家の基礎を作った。後妻が頼朝の命を助けた池禅尼だ。なお、灯籠は、毎晩火を入れた当時の灯籠らしい。
 蹴上。蹴上水の伝説がある。牛若丸が金売吉次に連れられ陸奥に下る時、平家の侍が、水を蹴り上げてからかったので、牛若は切り捨て通り抜けた。以後、蹴上と言うようになったそうだ。
  京の玄関、粟田口の仏光寺お参り。三条宗近邸址の碑があった。三条小鍛治が刀を作る時に使った井戸があ ったと言う。
 粟田神社お参り。謡曲の奉納額が掲げてあった。その境内にある、小さい社の鍛冶神社お参り。小鍛治宗近の鍛冶場だった所。
 なお、三条通りを西に行くと、北側に、合槌稲荷社あり。宗近に剣を打てとの勅があった時、我に劣らぬ相槌を求めたが無く、氏神稲荷へ頼みに向かう時 、天の声があり、無事剣が打てたそうだ。
 黒谷さんの金戒光明寺をお参り。平敦盛を殺した熊谷直実と平敦盛の供養塔があるので出かけたが、所在不明だった。
 

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