9 長野 姨捨 長楽寺 田毎の月

1992/11/23 作成 2003/05/18

能舞台の名所・旧跡へ


 

 湯田中温泉に泊まり、帰りに、姨捨の里を尋ねた。まだ、高速道路のない時代で、篠ノ井から県道を登ったと思うが、余り確かでない。

 謡曲「姨捨」は、3老女と言われる老女物の1つ。難曲だ。

 都の男が、中秋の名月を眺めようと姨捨山に登ると、里の女が現れて「わが心慰めかねつ更級や 姨捨山に照る月を見て」と詠んだ旧跡はここと教え、月が出たら、夜遊を慰めよう、と言って消える。月が出ると、老女が現れ、仏説を語ったり、舞を舞ったりするが、明け方になると、自分の姿は人に見えなくなり、男は帰ってしまい、老女は、昔捨てられたように、捨てられて姨捨山になってしまったよ、で終わっている。

 満月の照る中で、愚痴も無し、淡々と仏説を語り、舞を舞うのみ。何を、どう演じるのだろう。

 田舎の信州の田舎の姨捨山。その山麓の長楽寺も、ささやかな建物、 善行寺平を眺望出来る、南に姨捨山のさびれた様子。

 この前、ラジオ放送だったと思うが、そばに適した土地だからそばが旨いと言っていたが、本当は、そばしかできない土地、貧しい土地で苦しい生活をしていたが、飽食の時代になり、見直された食べ物。本来、貧しい生活があった。ここ姨捨もそのような土地だからこそ、姨捨伝説が育ったと思う。

 仏教の自然など周囲の条件を素直に受け入れる事、人も歩けば、何万と言う生き物を殺している事を自覚する事など含めて演じるのだろう。それにしても、それらの状況の中で何を表現したらよいのだろうか。

 芭蕉始め、沢山の文学碑があった。

    「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」  芭蕉

 月の名所である。東に千曲川を見下ろし、その向こうの山陰を臨み、山裾をだんだんに刻んだ田は、田毎の月を写し、 さぞ、満月の月見は最高だろう。

 

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