2 愛知 常福寺 生目神社 芦沢の井 野間大坊

1991/05/18 作成 2003/05/08

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 大府市吉田町半月に、知多西国三十三観音第二十八番札所万年山常福寺 (じょうふくじ)がありお参りする。

 景清の謡蹟である。文治2年(1186)壇ノ浦の合戦で源氏に敗れた平家の武将悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)が難をのがれ居住したとされている。

 景清の神詠と言う歌碑があった。 「かげ清く 照らす生目の水かがみ 末の世までも 雲らざりけり」

 生目神社(景清神社)、景清の井戸、芦沢の井があった。景清は、晩年目を悪くしているが、目の神さんになっている。名古屋の熱田にも、景清社があり、目の神様で、繁盛していた。

 知多半島の西海岸の野間。野間大坊をお参り。

 謡曲「朝長(ともなが)」に「父義朝はこれよりも、野間の内海に落ち行き、長田を頼み給えども。頼む木のもとに雨漏りて、やすやすと討たれ給いぬ」

 すっかり有名になった、主殺しの長田忠致(おさだただむね)である。また、義朝の家来、鎌田正清の女房の父親。その縁で、野間に落ちてきた。

 木刀の山に囲まれたお墓あり。

 義朝の首を洗った池、血池。

 やはり、ここで殺された鎌田正清の墓。

 どう言う訳か、俊寛らの仲間、平康頼の墓。ここで余生を送ったらしい。

 また、頼朝の寄進した門。

 寺の宝に尾張藩主、徳川義直の命により幕府の御用絵師、狩野探幽が描いたと言う「源義朝御最期の絵解(えとき)」があり、見てきた。

 

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