13 兵庫 中山寺 満願寺 素戔嗚神社 小童寺

1996/05/04 作成 2003/07/15

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 宝塚市の中山寺お参り。山号を紫雲山と称する真言宗で、西国三十三ヶ所観音霊場の第24番札所として知られている。このお寺は、聖徳太子が建立したとされるお寺で、古くは現在地の北の山腹にあった。しかし、寿永の乱や荒木村重の乱で兵火にあい、消滅したが、豊臣秀頼の命により、片桐且元の手によって諸堂が現在地に再建された。

 謡曲「仲光」の舞台である(他流では「満仲」)。多田源氏満仲は子、美女丸(びじょまる)を中山寺に修行に出したが、学問に励まなかったので、家来の藤原仲光に切れと命じた。仲光はやむを得ず自分の子、幸壽丸(こうじゅまる)を身代わりに打ち、美女丸を逃がした。その後、満仲が我が子の供養をしていると、叡山の僧が美女丸を連れて現れ、仲光の苦衷を語り、美女丸の許しを請うた、許されるのを見て、仲光は舞を舞うが、我が子を失った悲しみは拭い去る事は出来なかった。

 川西市の満願寺お参り。満仲が摂津守と成った時、菩提寺とした。以来、源氏の信仰厚くなった。美女丸は出家して、この寺で、法を説いた。幸壽丸、美女丸、仲光の墓があるようだが見損なう。

 少し変わった山門があった。仁王さんが、左右にいた。

 満願寺境内の坂田金時の墓お参り。例の金太郎である。

 金太郎は、相模国足柄山で生まれ、やがて21歳の時、上総の国から上京する源頼光にみいだされて、坂田金時の名をあたえられ、渡辺綱(つな)、ト部季武(すえたけ)、平井保昌(やすまさ)らとともに源頼光の四天王として、後に大江山の鬼を退治したと言う。

 川西市西畦野の素戔嗚神社お参り。渡辺綱の勧請とあった。
 川西市西畦野の小童寺お参り。浄土宗のお寺。美女丸、後の名僧多田法眼源賢僧都(ただほうがんげんけんそうず)が幸壽丸の菩提を弔うために建立した。幸壽丸を仲に、左に仲光、右に美女丸の3基の墓がある。
 頼光四天王の墓があった。 左から、卜部季武、平井保昌,坂田金時。渡辺綱だけ、別の場所にあった。
 

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